第9話 センパイはなにもしてくれない

「どうした辻堂。私のことは邪な目で見ないのか?」


 彼女は扉を後ろ手に閉めながら、タイトスカートの表面をもう片方の手で撫でた。


 誰のことも見てないし、そもそも年齢……とかいうと殺されそうなので口を噤む。

 三十路を目前とした彼女に、年齢の話は禁句なのだ。一度、口を滑らせた生徒が血祭りにあげられていたのを見たことがある。


 鵠沼先生。国語教師であり、生徒会顧問だ。

 部活動と同じように、生徒会にも担当の教員はいる。


 生徒会は生徒による組織。基本的な運用は生徒会役員に任せられているが、教師もサポートすることになっている。

 特に金銭面や、学校行事など、生徒だけでは難しいことも多い。

 顧問の存在は、教師との橋渡しにもなるし、大事だ。助けてもらうことも多いからな。……本来であれば。


「先生、お疲れ様です! 生徒会長になってまだ日は浅いですが、今日も精一杯やらせていただいてますよ」

「……ちょっと」


 立ち上がり、朗らかに挨拶する。

 先生は目を尖らせて、低く唸った。


「私の前では、そのうすら寒い愛想笑いとおべっかはやめろって言ったでしょ。気色悪い」

「それが生徒に対する言い草かよ」

「猫被る奴は嫌い。職員室で見飽きた」

「先生は少しくらい取り繕ったほうがいいかと……」


 職員室で見飽きたって、誰の話だろうなー。聞かなかったことにしよう……。


 どうしてか、鵠沼先生に俺の演技は通じない。

 バレてるのに続けるのも馬鹿らしいので、最低限の敬語だけを残して態度を崩す。


「辻堂こそ、後輩女子を連れ込んでなにをしているの? 大庭、このクズ生徒会長に変なことされてないか?」

「やっ、私が勝手に来ただけだから! センパイはなにもしてくれない」

「可哀そうに……脅されているようだ」


 先生の中で俺はどんなイメージなんだ……。

 たしかに、副会長時代には色々やったけど。


 というか「してくれない」ってなんか言い回しおかしくないか?


 椅子に深く腰掛けて、足を組んだ。


「で、なにしに来たんです?」

「えっ、くげぬーって生徒会顧問だったよね? 来るの普通じゃない?」

「なにそのニックネーム……」


 不思議な呼び名とともに、萌仲が当然の疑問を口にする。


 俺をチカパイなどと呼んでみたり、彼女は特殊な呼び方をするのが好きなのだろうか……。

 それはさておき、俺の言葉に萌仲が首を傾げるのは、普通なら正解だ。生徒会顧問が生徒会室を訪れる理由なんて、顧問だから、だけで十分である。


 現実問題、生徒だけで生徒会を運営するのは無理なのだから。

 サポートといいつつ、顧問がほとんどの決定権を持つ学校も多い。俺が生徒会に入る前の顧問もそうだったと聞く。


 だが……鵠沼先生にその常識は当てはまらない。


「ふふっ、そんなの決まっているじゃない」

「へえ?」


 謎に自信満々に言い放ったので、俺は頬杖をついて続きを待つ。


「仕事が終わらないので助けてぇえええ」


 情けないことを言いながら、彼女はすごい勢いで土下座した。

 美しいフォームだ。かなりの熟練度が見て取れる。


「はぁ」


 予想通りに展開に、俺は深くため息をついた。


「ええ……クールビューティだと思ってたのに」

「萌仲、お前見る目ないな」

「いつもカッコイイし、こんなの予想できないよ……」


 萌仲が隣でドン引きしている。


 まあ、俺も初めて見た時は驚いた。

 いかにも仕事できそうな美人なのに、実際はポンコツだからな……。副会長時代に見飽きたけど。


「お願い。辻堂だけが頼りなんだ……」


 なお、鵠沼先生は俺たちの冷たい視線を物ともせず、頭を下げ続けている。


「教頭がニヤニヤしながら仕事を押し付けてきたんだ……ううっ、私が若手だからって」

「若手?」

「あ?」


 ぼそっと呟くと、先生は顔を上げて睨んできた。


「大丈夫、くげぬーはまだまだ若いよ!」

「くっ……JKの純粋な優しさが心に刺さる……ッ」


 真の若者である萌仲の言葉に、胸を押さえてうずくまる先生。


 ついでに頼んでいる立場ということを思い出したのか、また嘆願を再開した。


「上から押し付けられた仕事を、さらに下に押し付けると……これが社会の縮図ですね」

「なにも言い返せない……っ」


 とはいえ、未だ旧態依然とした職場にいる先生に同情する気持ちもある。

 お世話になってるし……いや世話してることのほうが多い気もするけど、彼女のおかげで自由にできている部分もあるし、恩を売る意味でも助けるのはやぶさかではない。


 幸い、少しは溜まっていた仕事(これも本来鵠沼先生の仕事)も片付いてきたところだ。


「頼む! このままじゃサービス残業のほうが勤務時間より長くなってしまう!」


 それは可哀そう……。


「わかりましたよ。なにをやればいいんですか? 話だけは聞きます」

「辻堂……!」


 やれやれ、とそう言うと、鵠沼先生ががばっと顔を上げた。


「お前、良い奴だな!」

「やるかは内容次第です。まあ、たくさん恩を売りつけて、いつかまとめて回収しますよ」


 この人の前では取り繕う必要がないので、はっきりと言う。


「はいはい! 私も手伝う!」

「萌仲は関係ないだろ」

「でも、くげぬーの個人的な頼み事なんでしょ? なら、私が手伝ってもいいよね、せんせー?」


 たしかに、これは生徒会長としてではなく、俺個人が受けるものだ。

 内容は聞いていないけど、人が多いに越したことはないだろう。


 案の定、先生も渡りに船とばかりに嬉しそうに、大きく頷いた。


「ああ、助かる!」

「おっけー、任せて!」


 安請け合いしやがって。

 大した仕事じゃないといいなぁ。

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