浦島太郎

 むかしむかし、あるところに浦島太郎という心優しい 漁師がおりました。


 浦島家は古くから続く由緒正しき漁師の家系であり、その歴史は上代にまでさかのぼり万葉集や日本書紀にも記述があるというのですが、屋敷の蔵に古い文献があるわけでもなく、というかそもそも浦島太郎の家に蔵などなく、実際にはそう名乗っているだけのただの漁師の家系でした。


 浦島家にはおきてがありました。長子の名前は太郎とするというおきてです。なんでも海の底にある竜宮に連れて行ってもらえるという言い伝えがあるからだそうです。しかし海中の竜宮に行くのは近代版から登場する設定(Wikipedia「浦島太郎」より)であり、たぶんひいおじいさんぐらいの浦島太郎が適当に考えたんだろうと浦島太郎は思っていました。


 浦島太郎はたいそう頭がよかったため、浦島太郎(父)から許しを得て大学に進学しました。京大理学部へと入学し、その後も秀才ぶりを発揮してたったの四年で修了、そのまま院進して博士(理学)も取りました。ちなみに専門は物理学とかではありませんでした。


 しかしいつの時代もポスドクとは厳しいものです。そんな折、浦島太郎(父)から「そろそろ引退したいので帰ってこい」といわれ、浦島太郎は地元で漁師になりました。結婚したら浦島太郎(子)は妻に任せて、研究キャリアに復帰しようと甘いことを考えていました。浦島太郎は博士課程で仲間たちが次々と結婚していった現実を直視していませんでした。自分だけが博士論文の末尾に代々の浦島太郎への謝辞を書くハメになったことも記憶から抹消していました。浦島太郎は心優しい青年だったため、なんんかんだ大学へ進ませてもらって博士号も取らせてもらえたことには感謝していたのです。ツンデレです。


 そうして浦島太郎は地元に戻り、漁師となりました。


 𓆉


 ある日のことです。漁から帰ってきた浦島太郎が「浦島太郎は毎朝浜辺を散歩するべし」という健康的な家訓に従っていつも通り浜辺を散歩していると、子どもたちが騒いでいるのが見えました。どうやら亀を棒でつついたり、石で叩いたりしていじめているようでした。


 別に放っておいてもよかったのですが、「浦島太郎は浜辺で子どもにいじめられている亀がいたら助けるべしと」いう家訓がありました。随分と状況設定が細かい家訓だなあと浦島太郎は思いましたが、まさにその状況であったため、浦島太郎は子どもたちに言いました。


「こらこら、亀をいじめてはいけないよ」


 浦島太郎が声をかけると、子どもたちは一目散に逃げていきました。


「助けていただいてありがとうございます」


 亀が言いました。


「亀がしゃべった」


 浦島太郎は言いました。当然の反応でした。


「受け入れてください」


 亀は軌道修正を試みました。


「いやそうは言われても」


 浦島太郎は受け入れられません。


「おれいに海の底にある竜宮城にお連れします」

 

 亀は無視して言いました。


「はあ。海の底ですか」

「海の底です。出発するので私の背中に乗ってください」

「今から海の底に行くのはちょっと……。少し待ってもらえませんか」

「少しというと」

「一週間ほど」

「わかりました。では一週間後にお迎えに上がります」


 浦島太郎はいろいろ腑に落ちませんでしたが、言い伝えのこともあるので納得することにしました。


 その日の午後、広域メールで「浜辺で半裸中年男性による声掛け事案」という不審者情報が流れてきました。浦島太郎は悲しくなりました。浦島太郎はまだアラサーでした。研究者としては若手なのに、世間からは中年と見られてしまう現実にむせび泣きました。


 𓆉


 一週間後、浦島太郎は約束通り浜辺に行きました。

 

「それで浦島太郎さん、これはいったい」

 

 亀は自分のとなりにある巨大な物体についてたずねました。

  

「しんかい6500です」 

「しんかい6500」

「最大深度6,500mです。不足でしたか」

「いえ、足りますが」

「なにか問題でも」


 問題しかないのですが、亀は浦島太郎と、それから著者に対して一つだけ言うことにしました。

 

「いくら元研究者とはいえしんかい6500を借りてきたという設定は無理があるのではないかと」

「現実には存在しない準光速宇宙船を登場させるよりはマシでしょう」

「そうなんですけど…………そもそもわたしの存在意義って何……? わざわざいじめられたのに……。もしかしてわたしっていじめられるためだけの存在…………?」


 亀はなにやらぶつぶつと言いました。


 そうして浦島太郎は亀に案内されながら、しんかい6500に乗って竜宮城へと向かいました。ついていくのは大変だから場所だけ教えてくれればいいと言ったのですが、亀は案内の役目をかたくなに手放そうとしませんでした。


 𓆉


 浦島太郎が龍宮城につくと、それはそれはきれいな乙姫さまが出迎――


「貴様はもしや浦島太郎! おのれ、お父上とあにさまのかたきっ」


 一匹の深海魚が浦島太郎に襲いかかってきました。

 

 浦島太郎は腕のたつ漁師だったので、海の生き物たちからは嫌われていました。浦島太郎は底引き網漁を行っていたため、深海にも家族を奪われた者が多くいました。浦島太郎は憎きかたきでした。


「失礼しました。大変お待ちしておりました、浦島太郎さま。さあこちらへ。あやつめは後で活け造りにしてお出ししますのでどうかお許しを」


 乙姫さまは笑顔で言いましたが、浦島太郎は言葉の裏をうたがってこわくなりました。なにかの罠ではないかと思いました。


 しかしここで帰るわけにもいかないので、浦島太郎はしかたなく乙姫さまについていきました。


 そこで待っていたのは、沢山の魚料理でした。


「心ゆくまでお楽しみください」


 乙姫さまはそう言うと、どこかへ行ってしまいました。


 代わりに魚たちが入ってきて、舞い踊りを披露してくれました。


 浦島太郎の前には刺し身の盛り合わせや焼き魚など、たいへんごうかな料理が並んでいます。さっき襲ってきた魚も活け造りにされて並んでいました。魚たちは舞い踊りを続けています。浦島太郎は罪悪感でいっぱいになりながら料理を食べました。美味でした。かたきを打たれたほうがマシだと思いました。


 それから浦島太郎は、沢山の魚たちに歓待を受け、三日にわたって針のむしろのような日々を過ごしました。


 浦島太郎はついに帰りたいと切り出しました。家族が心配だとほうべんを言いました。


 乙姫さまは、お土産にでもと言って、この三日間浦島太郎の世話をしてくれた深海魚たちをディープアクアリウムに詰めてくれました。どれも新種でした。浦島太郎は深海の倫理観について考え込みましたが、知的好奇心に負けて受け取りました。


「それから、この玉手箱を持っていってください。しかし決して開けてはいけませんよ」


 乙姫さまはそう言って玉手箱を渡しました。浦島太郎は、開けてはいけない箱の存在意義について考え込みましたが、とりあえず受け取りました。


 そうして浦島太郎はしんかい6500で浜辺へと戻っていきました。帰るだけなので一人で良かったのですが、亀はどうしても案内するとかたくなでした。亀にも譲れない一線がありました。


 𓆉


 浦島太郎が戻ってみると、どうしたことか風景はすっかりわってしまっており、浦島太郎(父)はおらず、家もなくなっていました。


 見つけたコンビニに入ってみると、どうやら百年も経ってしまっているようです。


 浦島太郎は図書館に行き古い新聞を調べました。失踪したしんかい6500と浦島太郎は大きなニュースになっていました。捜索は打ち切られ、浦島太郎は死亡したことになっていました。


 医療技術の進歩は目覚ましいものです。百年後の世界でも、浦島太郎の知り合いはまだけっこう生きていました。中には現役の研究者もいました。ものすごく偉くなっていました。


 浦島太郎は昔のつてを使い、玉手箱を分析に回しました。その結果、玉手箱の表面はチタン合金であることが判明しました。内側にはX線を透過しない部分があり、鉛板のようなものが入れられていることが推測されました。中身を見ることができなかったので、開けてみるしかありません。浦島太郎は妙に準備の良い玉手箱だなあと思いました。


 次に浦島太郎は、偉い人に対して院生時代の黒歴史修論と博論で謝辞に書いた彼女の名前が変わっていることをチラつかせてあんにおどし、BSL-4施設と専門の人間を借りたうえで、安全に配慮して玉手箱を開けました。そこまでする必要はなかったのですが、すごい施設を使ったほうがお話が盛り上がるのです。目視では煙が観測されましたが、とくに何もおこりませんでした。成分はほとんどがただの水蒸気でした。浦島太郎は煙を浴びることもなく、おじいさんになることもありませんでした。


 その結果に浦島太郎は大変な顰蹙を買いました。現実では実験して結果が派手ではなかったという理由で怒られたりはしませんが、物語の都合上いろいろあって大きな騒ぎになりました。


 そうしていると、騒動を聞きつけたテレビ局がやってきました。その後なんだかんだあって「AIマツ◯会議」に出演することになりました。YouTubeは一周回って廃れており、そこには浦島太郎が子供の頃に楽しんだテレビが復活していました。マツ◯デラックスさんは流石に存命ではありませんでした。


 浦島太郎はその後も度々メディアに出演し、持ち前の人がらの良さと、博士号を持つという経歴から、おもしろ博士としてお茶の間の人気者となりました。


 百年間の潜水を行ったしんかい6500は江の島博物館に展示され、大変な名物となりました。「浦島太郎はかせのしんかい教室」大好評開催中!(参加費無料・中学生以下限定)


 おしまい。

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