第38話 “逆鱗”
◇◇◇◇◇
――カッゼルー 高級宿「癒しの金華」
「……遅かったようね」
宿に入ると、エリスは「ふぅ〜……」と大きく息を吐き、ポツリと呟いた。
店内はゆったりとしたピアノの音が流れ、高級でありながらそれを押し付けない落ち着いた装飾品。かなり好感の持てる雰囲気を演出している。
パラパラと客がいるが皆が満足そうなのが、それを実証してくれている。
だが、従業員たちの顔は強張っている。
おそらく、普通の客にはわからない程度だろうが、俺たちは「普通」じゃない。否応にもそれを察知してしまうのは“予備知識”があるからなのか、どうなのか……。
エリスは一目散に受付に向かうと、丁寧に頭を下げた。
「……私は勇者パーティーの聖女“エリス・ミレイズ”と申します。もし……怪我人の方や損害などがございましたら、私が対応致します」
声をかけられた受付嬢はジワリと涙を浮かべると、キッとエリスに鋭い視線を向ける。
まったく……、プロ失格だ。
“遅かった”。
つまりは勇者が何かしらやらかしたんだろう。でも、この受付嬢は勇者に対する怒りを、頭を下げたエリスに向けたのだ。
まあ、俺としては、「日常茶飯事なのだろうな……」この一言に尽きるが……。
本来であれば、各方面に事前に手を回し万全の体制で勇者たちを迎える。注意事項を店側に提示し、損害を最小限にといつも奔走しているのだろう……。
エリスが『聖女』と名乗ったのは、“そういう事”だ。仲間である勇者の失態は連帯責任と……そう思っているのだろう。
「とりあえず、こちらに……」
「……はい。大変申し訳ありません」
エリスはまた深く頭を下げ、後を追う。
当然のように俺もエリスに付いていこうとするが、エリスはチラリと俺を見てフルフルと首を振った。
「……じゃあ、気をつけてな?」
俺はエリスの背に声をかけると、エリスはコクリと頷いて従業員以外立ち入り禁止であろう場所に消えていく。
(さてさて……)
1人残された俺。本来であればエリスの後を意地でもついて行き、現状を把握、そこから思案し、行動する。
だが、把握と思案は“済んでいる”。
残るは、行動だけ……。
あとはどのパターンを勇者が選択するかだけ……。
実のところ、レイラを置いてきたのもわざとだ。
こんなに都合よく1人になれるとは思っていなかったが……、あのプロ失格の受付嬢にも感謝しないといけない。
護衛騎士の仕事はエリスの側にいること。エリスを護る事……。それは心身を護る事と言うことだ。
“身分”? “見た目”?
エリスを救うのが、今の俺の仕事。
まずは“ここから”だ。
“仲間”であるなら“従僕”はおかしい。
俺の前でふざけたことは許さない。
おそらくは「良いところ出身」の受付嬢……。貧乏な男爵と言った、下級貴族が奉公に出しているパターンだろう。
『平民』であるエリスに対する対応。
従業員らしからぬ所作。
この状況は、俺としては充分『ふざけた事』だ。
(早々に対応して然るべきだろう……)
俺はトコトコと歩き始める。
魔力を馬鹿みたいに垂れ流している場所へ。
その元凶とも呼べる場所へと……。
まずはエリスに人権を。
能力に見合った対価を。
“対等”の確約を。
俺には情報という武器がある。
魔王軍四天王のアーグの「現状」を教えればどのような顔をするのだろう? 腐敗の進むディエイラ王国に革命の兆しがあると……、その革命の主導者が『自己価値』を優先していると伝えればどんな顔をするのだろう?
各国からの寄せ集めである勇者パーティー。
『平民出の聖女』という常識。
その聖女を輩出した国が“身分”を重視しない国に変わろうとしていると伝えれば……、「世界の常識」がエリスに通じなくなった時、選民主義らしい勇者はどう動くのだろう……?
「和解か……調略か……。はたまた従属か……。全てはお前次第だ。“アーサー”」
ポツリと呟きながら頬を緩ませていた俺だが、トコトコと進み、辿り着いた別棟。
おそらくは、この宿で最高級の一室の前に立った俺は、とてもじゃないが笑みを浮かべている気分にはならなかった。
コンコンッ……
控えめなノックをして扉を開ける。
「んんっ、ああっああ!! いや、やめてくだ、さい!! も、もう、うぅうううっ!!」
「うぅっ、ううぅっ……!!」
聞こえてくる悲鳴のような女性の声と悲痛な泣き声。扉を開ける前から聞こえて来ていた“それ”が、ダイレクトに鼓膜に響く。
プツッ……
頭の中で何かが切れる音がした。
バチバチバチッ……
【黒雷】が俺の身体を包み込む。
言い訳にしかならないが、それは、無意識だった。
※※※※※※
スッ……
目の前から「勇者」が消えたと同時に、ドゴッという大きな音が部屋を包む。
吐き気のするような不快の時間が終わったのか、はたまた、また何か気に障るような事をしてしまったのか。
「うっ、うぅ……」
無意識にギュッと目を瞑り、顔を守った「癒しの金華」の従業員“ルージュ”は違和感に恐る恐る目を開けた。
バチバチバチッ……
涙で滲む視界には“黒い雷”を纏う黒髪の男性。その容姿には見覚えがあった。
(……“アルト様”?)
死んだはずの“アルト様”。
没落したディエイラ王国の伯爵家の次男。
一度は夢を見た相手……?
ルージュは“カーティスト家”の元使用人の経歴を持つ。アルトの死に散り散りとなった使用人の1人……。
だが、それどころではない。
犯され、なじられ、やっと呼吸ができたところなのだ。
「……くっ……」
視界の奥には、裸のまま壁に背中を打ちつけた勇者がいる。
「服を着ろ……。無様な死体になりたくないのならな?」
「……なんだ、お前……」
「二度、言わせるな。服を着ろ……」
「…………はぁ〜……」
勇者はスクッと立ち上がると、衣服を纏い始める。
バチバチッ……
静寂に包まれる部屋に雷が弾ける音だけが響く。
「……ル、ルージュ」
一緒に“乱暴”されていたシェルはルージュに寄り添いブルブルと震え、ルージュもシェルに裸体を寄せガクガクと震える。
2人は何がなんだかわからない。
だが、その内容は異なる。
(……アルト様だ……)
ルージュの頭の中はぐちゃぐちゃだ。
死んだはずの元主(もとあるじ)。
都合のいい夢でも見ているのかもと考えるのは至極当然。だが、シェルの温もりは本物。
ただ、目の前の『黒髪の男性』が“地獄”を終わらせてくれたことだけしか理解できない。様々な疑問を押し殺し、ただただ息を殺して漏れ出る嗚咽を我慢する事しかできない。
「どこの誰だか知らないが、俺が勇者だと知っての行動か……?」
「関係ないな。“強姦魔”は滅殺する……。どこの誰だろうとな」
「ハッ、ハハッ……。笑わせてくれるな。“合意の上”さ。ねぇ、そうだろ? “ご奉仕させて下さい”と言ったのは君ら2人だ」
勇者はルージュとシェルに声をかける。
2人はビクッと身体を震わせる。チラリと目が合った金色の瞳に先程植え付けられた恐怖が蘇る。
「は、はい……」
ルージュはポロポロと涙を流し、シェルはコクコクと頷いて勇者の言葉を肯定する。
「さぁ……。『勘違い』で勇者に危害を加えた責任を取ってもらおうか?」
装備を整えた勇者はニヤリと笑う。
「なんだ……。難しく考えなくても、お前を消せばいいだけの話じゃないか……」
アルトは指をクルンクルンと回した。
眉を顰めた勇者の表情と、ニヤリと笑みを浮かべた対照的な表情……。
ガタッ!!
勢いよく開いた扉に、アルトはポツリと呟く。
「エリス……、《蘇生》させるのは自由だが、俺はお前が蘇らせようと何度でも屠り去る」
「……ア、アルトく、」
「あぁー。俺の責任は『上司』であるお前の責任だな。諦めろ、勇者は死ぬ……。だから、お前が魔王を討て」
「……」
「ふっ……。“勇聖女(ゆうせいじょ)”。そんな呼称も悪くないだろう?」
「な、なにを、」
「アハハハッ!! 生きてたのか? クソ聖女!! コイツはお前の“犬”か!!?? 躾がなってないんじゃないのか!? この俺の邪魔をするなんて、」
「うるさい。さっさと行くぞ……」
ポワァア……
アルトが呟くと、辺りは一面に光に包まれる。
「強く生きろ……。“幸せを願う気持ちだけが平等だ”。足掻き、苦しみ。それでも前を向いて“生”を貪るんだ……。“ルージュさん”。決して自らの命を捨ててはダメですよ?」
眩い光の中、ルージュはアルトの顔を初めて見た。
相変わらずの鋭い目つきは優しく弧を描く。
癖のある黒髪は光に当てられ白を反射させる。
絶対悪である“勇者”を前に、薄い唇を綺麗に吊り上げる姿は、まるで少し目つきの悪い王子様のよう……。
パッーー!!
ルージュは眩く発光した床の魔法陣に気がつかない。
ただ、『黒髪の騎士』の優しく困ったような顔をポーッと見つめ、
「生きてらしたんですね。“アルト様”……」
視界は涙に濡れていたから……。
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