第32話 旅立ちに向けて
◇◇◇◇◇
――高級酒場「夜蝶」
「おい……。なんで“みんな”いる?」
俺は大きくため息を吐き、ズラリと並び片膝をついている使用人たちに苦笑する。
サーシャへの洗濯の魔道具。
レイラとの風呂の約束。
このまま飛んでしまおうかとも思ったが、後が怖い。エリスに王都に一泊したのち明日の朝、待ち合わせたところで“コレ”だ。
思えば2年前、手紙一つで逃亡したのが事の発端なのだ。釘を刺しておくのもいいか……などとただそれだけの理由で「夜蝶」へと歩いた。
それが、なんでこうなった……?
「……先生」
俺と目が合った瞬間にポロポロと涙を流すハイル。
「カッカッ! 久しぶりだな、アルトォ!!」
会いたくなかったヴァルカンは一目散に立ち上がり酒のジョッキを手渡して来た。
「アル様。喉が渇いて仕方ないのですが……」
「アル様〜! “コレ”、マリューの眷属にしたかも!」
「お前たち、静かにしろ! まずは報告を、」
「うるせぇぞ、オーウェン! 俺とハイルは久しぶりなんだ! 再会を祝わせろよ!」
「ヴァルカン! 貴様、今の現状を、」
「アル様! ダメですよ? あんなに刺激的な魔力を」
「サーシャ! お前まで何をしている!?」
「アル様ぁあ! マリュー、偉いかも!」
サーシャはペロリと唇を舐め、マリューは俺に飛び込んでくる。俺は仕方なしにマリューを抱き止めながら、頭が痛くなって来ている。
魔王軍四天王のアーグは俺を見るなり床を見つめてダラダラと冷や汗まみれ。使用人どもはお祭り騒ぎ。
いや、1人を除いてだが……。
ん? そう言えばもうお前は使用人ではないのか?
「……もう食事が冷めてしまいましたよ? ……ご主人様、どこでなにをしていたのです? “他の女”の匂いをつけて……」
ぷっくりと頬を膨らませて口を尖らせるレイラは椅子には座ったままプイッとそっぽを向く。
「はぁ〜……」
俺は深く息を吐く。
カーティスト家でもここまで使用人が揃う事はなかった。あくまで、「裏」で動いていた俺たちが、こうして大人数で顔を合わせる機会などそうそうなかった。
ヴァルカンがいるだけで1.5倍はうるさい。
もう口を開く気すら失せてしまう。
未だに静かにさせようと必死なオーウェンに同情してしまうほど、好き勝手に喋り散らす面々。ハイルも久しぶりに顔を合わせたかと思えば泣いてばかりだし、もうカオスだ。
「アルト!!」
「アルト様!」
「アル様?」
「……先生ぃ」
「アル様ぁ〜……!!」
使用人たちの声に俺は頭を抱え、またため息を吐く。
「お前ら、少し落ち着け。まずはオーウェン、」
「レイラからです!!」
「……レ、レイラは飯を温めてくれ。お前はこれからいくらでも時間を取れるだろ?」
「……ッ!! し、仕方ありませんね!」
レイラはボッと頬を染めると、食事を盛り付けた皿を手に取りキッチンへと消えていく。「マリューもお手伝いするかも!」などと俺から離れ、レイラの後を追うマリュー。
俺は「ふぅ」と小さく息を吐き、近くのテーブルの椅子に腰掛けた。
「で? オーウェン。まとめて報告してくれ」
「はい。まずは今回の首謀者ですが、どうも“勇者”が絡んでいるようで……、」
この後の報告が更に俺の頭を悩ませることは、きっと確定していて、俺はどう足掻いても幸運【E】なのだなと、また一つ息を吐いた。
※※※※※
――王宮「宮廷魔術師の自室」
「……どうされたのですか、マーリン様?」
一心不乱に机に向かい、魔法陣を描き続けるマーリンにエリスは首を傾げた。
マーリンが没頭し始めると手がつけられない。それを認識していながらエリスは疑問を口にした。
血走り瞳孔が開きすぎている瞳。
「んっ……あぁ……えっ? いやいや……」
机に向かうマーリンは何かに取り憑かれていると言った方が伝わりやすいのかもしれない。
あまりに理解の範疇を超えていた『アルト・ルソー』。
その判断を“女神”に求めたエリスは、マーリンの前には連れて来ないという判断を下し、それを伝えにやって来た。
それなのに……、
カリカリカリカリッ……
マーリンは手を止めない。
これまでとはまるで違う嬉々とした狂気。
自分の存在すら気にも止めず、まさに一心不乱の“師”を前にエリスは眉を顰めた。
「ふんっ……貴様が“聖女”……か? なるほど。確かに“あの者たち”に似たものを感じるな……」
部屋の隅で椅子に腰掛けている“エルフ”の男。
まるで地獄から帰還したかのような絶望を顔に滲ませ、自嘲気味に「ふっ」と笑う姿は、人外の者に会い、全ての希望を摘まれたかのようだ。
何も答えないエリスに痺れを切らしたように口を開いたのはよく知る“大公爵”。
「……“殿下”。私は……私はもう平穏に過ごし、」
「それはできない相談だ。『ゆっくり休みなさい……』と、そう言っていただろう? その意味がわからぬ“ミーガン公”ではあるまい?」
「『指示があるまでこれまで通り』……と言うことなのでしょうが……。……私の“今まで”はなんであったのか……。寝る間も惜しみ、この王国のために必死に……」
「……“中立”を貫いた其方(そなた)の心中は、私に計れるものではない……。だが、派閥がどうのなどと……正攻法で国を改革しようとしていた私も……」
「ハハッ……。こんなことになるのなら、殿下につけばよかったのでしょうかね……?」
「いや、全ては……気づけるか、気づけないか……」
「気づけるはずがない! 巧妙すぎる……。それに、口を割る事は万死に値する。いや、それ以前に、その“利益の恩恵”を受けれるのなら……口を割ろうとすら考えない」
「“利益の恩恵”……。なかなかどうして……。まさにその通りだ……。ただ……、この虚無感はどうしたものか……?」
エルフの男がポツリと呟けば、カリカリッと魔法陣を描いていたマーリンの手がピタリと止まる。
「……“虚無感”? 冗談でしょう? これに“高揚”できないのならさっさと降りなよぉ〜? “アルバート”。“ミーガン”。死にたくなったら教えて? 楽に殺してあげるから」
カリカリカリカリッ……
また鳴り始めたペンの音。
「「…………」」
無言でグッと唇を噛み締めた2人を前に、エリスはその意図に気がついた。
『では、“そう”してもらおうか……?』
おそらく、2人は同じ言葉を噛み殺した。
あるいは……、家族が、信念が、恐怖が、立場が、プライドが、ギリギリのところでストッパーになったのだと察してしまった。
(……この2人……『絶望』しているわ)
2人の瞳に色がない。
これまでの人生観がひっくり返った瞳。
努力が、我慢が、幸福が、理想が……全てが無意味であったと自覚してしまった瞳だ。
エリスはひどく動揺している。
つい先ほど、教会にて……。
ただ強く引き寄せられただけ。
それなのに激しい心拍数に耐えられず逃げ出した。顔の熱はいつまで経っても収まらず、いつもおどけてばかりだった目つきの悪い男が、真剣に自分を守ろうとしている姿に胸が焦がれていた。
だが、この王国の“何か”が大きく進展……あるいは、後退したのは肌感覚で伝わってくる。
そこにいるのが初対面である亜種王子と呼ばれているアルバート殿下であるのも、この国を実質的に運営しているミーガン公爵の顔色が優れないのも。
いつも、どこか退屈そうに研究に勤しんでいた“師”が、見た事もないほどに生き生きとしているのも……。
“何があったのです?”
エリスはその言葉を飲み込む他ない。
平民であることはもちろん。
この国の行く末が決まるほどの大事変の最中、意中の男性にドキドキしていたなどという自分には、“それ”を聞く資格がないと口を閉じる事しかできないのだ。
「……“聖女、エリス・ミレイズ”よ……。『魔王』とはどのような存在を言うのだ?」
「……質問の意図がわかりかねます、“アルバート殿下”」
「掴みどころがなく、全てを裏で操り、まるでチェスでもしているかのように『人間』を駒にして遊んでいるような存在ではないか……?」
「……」
「“駒にされていた生物”が駒であると自覚することほど不幸なものは、」
グチュンッ……!!
「風の刃」がアルバートの頬を掠め、部屋の壁に大きな爪痕を残す。アルバートの白すぎる頬にはツゥーッと赤い血が伝った。
「アハッ! ダメダメ……。“殺してくれ”と言う言葉を飲み込んだなら、愚痴るんじゃないよ、アルバート……。ここの会話なんて“筒抜け”なんだからさ」
マーリンの言葉に、アルバートとミーガンは「ち、違っ……」とうわごとのように呟き、黙りこくった。
あまりに異様な光景を前にエリスは思わず口を開く。
「マーリン様……。明朝、王都を立ちます」
脈絡のない宣言に、マーリンは「ふっ」と小さく笑みを溢し、言葉を続ける。
「相変わらず賢いね、エリス。何も質問しないのは正解だよぉ〜? さっすがこのマーリン様の弟子!!」
「……1つだけお聞きしても?」
「んー? なに?」
「……“雷神の加護”という言葉をお聞きになった事は?」
「……ア、アハッ……アハハハハッ!! なるほどねぇ〜!! ふふっ、“触らぬ神に祟りなし”ってねぇ〜! ああ、よかった! 怖い、怖い! ……“ハイル様”の言葉は、あたしのためってのもあったのかなぁ〜……?」
「……マーリン様?」
「いいや! なんでもないよぉ〜?」
「……そう、ですか」
「でもさ……まぁ、いつか会わせてよ。“護衛騎士”に……。マーリン様は大人しぃーく、待ってるからさ! マーリン様の弟子であるエリスの『旦那様』を」
「マ、マーリン様!!」
「ぷっ、アハハハッ!! いってらっしゃい、エリス。さっさと“魔王”を屠って来なよ」
「……はぃ」
「ふふっ……」
エリスは尖らせそうになる口を押さえながら宮廷魔術師の自室を後にした。
扉が閉まる直前にチラリと見えた重鎮2人の顔は、まるで「正気か?」とでも言いたげなドン引きしている変な顔だった。
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