第10話 〜お兄ちゃんと地味な女〜




  ◇◇◇【side:レイラリーゼ】



 ――ボロ宿「オアシス」



「……お、お兄ちゃん。この人、だれ?」


 食材の調達を済ませて宿に帰ると、ご主人様がお風呂に入っている事を察知したレイラは「お背中を流さなきゃ」と部屋を後にしようとしたけど、ちょうどガチャリとドアノブが回った。


 一緒にお風呂に入れなかった事に「むぅう」と少し頬を膨らませながらも、ご主人様におかえりのハグをしたところで、後ろに見知らぬ女が立っている事に気づいたのだ。



「ふふっ、とても可愛らしい妹さんね? アナタが言った事もあながち間違ってないわ」


「……性格はそのままか」


「聞こえないわ。はっきりと喋ってくれるかしら?」


「“俺の妹は世界一可愛いからな”と言ったんだよ」


「あら、そう……。私と同等に見えるけど?」


「その身なりで言われても説得力は皆無だ。……妹も同席させるのか?」


「……“お客様”に強要する権利は私にはないわ」


「俺も客なんだがな……」


「……アナタは変態でしょう?」


「……まあ入れよ」


「失礼するわ」



 “地味な女”は何食わぬ顔で「ご主人様とレイラの愛の巣」に足を踏み入れた。



「レイラ。飲み物を用意してくれるか?」


「……」


「レイラ? この女は聖女だ。丁重にな?」


「……はぃ」



 レイラはなんとか返事を搾り出し紅茶を淹れ始める。ご主人様の違和感に気づかないレイラではない。このアクアンガルドで過ごした2年間が、ガラガラと崩れていく感覚に包まれる。


 ご主人様の態度が「お兄ちゃん」じゃない。

 ご主人様の態度が「ご主人様」に……?


 ――ウチの妹は世界一可愛いからな。


 嘘でも嬉しい。心臓がうるさい。

 “妹”という役職はそのままらしい……。でも、2年前に……いや、『昔』に戻っている。


 これは、商人や貴族たちを懐柔していった時の雰囲気だ。


 ……「作り笑い」だ。アクアンガルドを訪れてから初めて見せる「ご主人様」の顔だ……。


 な、なんで……?



 レイラの手が微かに震える。このまま紅茶を出して、ご主人様の“邪魔”をするわけにもいかず、強く拳を握りしめる。



「……妹にいつもこんな格好をさせているなんてね。流石だわ。見上げた変態ね? “アルト君”」


「……ふっ、語彙が乏しいな。“演じない”のは久々か? “エリスさん”」


「アナタには関係のない事よ」


「四天王を討った程度で里帰りか?」


「質問ばかりの人って嫌いだわ」


「質問に答えないヤツは嫌いじゃない」


「……何が言いたいの?」


「さぁ? 俺にもよくわからなくなった」



 カチャッ……



 レイラはテーブルに紅茶を淹れたカップを置いた。地味な聖女は「ありがとう……」と小さく呟き、ご主人様はすぐさま口をつけ一口啜る。


 ご主人様は視線は外しているようでいて、深く観察しているのがわかるのはレイラだけだろう。先程の会話のほとんどが“ハッタリ”だと気づいたのもレイラだけだろう……。


 わずかな情報から相手を観察し、優位に話し合いを続ける技能において、ご主人様の右に出る者はいない。


 頭の回転の速さ、含みのある言葉、困ったような笑み。そのどれもが動揺を演出し誘発するスパイスになる。


 ご主人様と同じ卓につくことの意味を、この地味な女は全く理解出来ていない。



「それで? まずは“変な魔力”について説明してくれる?」


「……“わからない”……と言ったのは本当だ。その前にお前が素顔を隠し、」


「では、何を隠しているの? “殺すか?”とアナタは言ったわ。私を殺せるという意味がわからないわけじゃないでしょう?」


「……多分だが、俺は魔法を使えるんだ」


「……へぇ」


「魔法と言っても火や水を出せるわけじゃない……属性ってのがないのかな? 正直、魔法について博識なわけでもないんだ。ただ魔力を自覚しているだけ……。身体に巡らせたり、薄く広げたり……」


「《身体強化》と《魔力感知》ね」


「ただそれだけだ。スキルは【視線誘導(ミスディレクション)】。ステータスも平均以下だと思う。ただ、魔力を使えるんだ。お前が聖女だろうと女。……身体に魔力を流している俺には勝てないだろうと思ったんだ」


「魔法を使えるのに平凡なフリをしてるってわけね?」


「……だから、“まだわかっていない”ってのが正しいんだよ。下手に目立てば、力が無いと分かった時、どうなるか分かったものじゃない……だろ?」


「……」


「俺は今の生活を気に入っている。金や栄誉が欲しいわけでもないんだ。家族が仲良く平和に暮らせるなら多くは望まない。もし、万が一、俺に特別な力があるとしても……権力者が怖いんだよ。変なイザコザに巻き込まれたくないんだ……」


「そう……」



 苦々しく呟いたご主人様と、無表情な女。

 眼鏡は見た事もないほど分厚く、レイラには表情が読めない。


 ご主人様も同様だと思うけど、わからずともご主人様には関係のない事だろう。


 わずかな事実を見せつつ、嘘で塗り固める。


 ご主人様の姿と所作……その全てが嘘ではない証明になる。指の先、視線の外し方、隠しているモノを吐露する姿は完璧という他ない。


 嘘だなんて誰も思わない……というより、思えない。


 ご主人様は視線誘導(ミスディレクション)を駆使して、『嘘じゃない』と演じている部分を見せているのだから当たり前だ。


 だからこそ、ご主人様は……。



 ジワァア……



 視界が滲んでしまう。


 この2年間、やっとご主人様はご主人様らしく生きられている。それなのに……、それなのに“この女”の出現で元に戻ってしまった。


 いや、違う。

 身体に染み付いてしまっている数々の交渉術。


 それをご主人様が使用する事で、「俺は変われないんだな」なんてレイラは思って欲しくないのだ。



 ――俺は『普通』に生きるぞ、レイラ。



 この言葉の裏には、シエル様を救えなかった過去、実の父親の首をジワジワと絞め続けていた過去。その2つの過去を消し去ってしまいたいというものがあるとレイラは感じていた。


 アクアンガルドでの生活の中、やっとご主人様は「自分のため」に生きてみようと思ったのだとすぐに気がついた。


 オーウェンはあるはずのないご主人様の“画策”を必死で理解しようと頭を抱え、レイラはそんなご主人様の『妹』になれて息が止まりそうなほど嬉しかった。



 もう、一生、そばに居られる。



 嬉しすぎても、幸せすぎても、気が狂いそうになる事があるのだと知った。ご主人様は文句も言いつつも、レイラのわがままを聞いてくれている。


 何より、冒険者生活を楽しそうに話すご主人様の綺麗な薄紫の瞳がレイラを見つめている。以前、シエル様に向けられていた瞳をレイラに向けてくれている。



 レイラは、本当の妹ではない。


 でも、本当に「家族になれた」なんて思っていた。メイドの本分も忘れて、妹として過ごす日々に頬を緩ませ、欲を掻いて(結婚してくださるかも!)なんて妄想する日々がこんなにも幸せなのだ。


 それをこの女が奪おうとしている事だけはわかった……。


「……アナタの言葉を信用するのは難しいわ。証拠を提示してくれないと」


「証拠?」


「案外察しが悪いのね? 冒険者カードを見せなさい。おおかた、魔法の有無は“無”にしているのでしょう?」


「……だ、だったらなんだよ? 虚偽の申請をしただなんてギルドに報告するのか? ここには2年滞在している。魔法についてよく知らないし、コレが魔法なのかもわからない。こんな状況で“魔法を使える”だなんて言う方が虚偽になるだろ!」


「違うわよ。ステータスを見せなさい。鑑定用魔道具は宮廷魔術師であるマーリン様が制作した物……。その結果を見れば、アナタの言葉が嘘か嘘じゃないかなんて簡単にわかるわ」


「……? お前は何を言ってる?」


「“ステータスは平均以下”……なのでしょう? スキルは【視線誘導(ミスディレクション)】でしたっけ?」


「……嘘だって言いたいのか?」


「ええ。信用出来ないわ。“裏の顔がある人”を簡単に信じられるはずもないでしょう? 私が聖女である事はもう知られているのだし、アナタが“少し魔法が使える冒険者”だというのなら、それを証明してやっと対等でしょ?」



 カランッ……



 ご主人様は不機嫌そうな表情で冒険者カードを机に投げ出し、手をかざして「ステータスオープン」と呟いた。


 カードが淡く発光すると、「さっさと確認しろよ」と女に行動を促す。



 この全てが『嘘』だとレイラはわかりすぎてしまう。この“久しぶり”に息が苦しくて仕方がない。


 嫌だ……。いやだ、いやだ。

 もう……嫌だ。

 何がどうなって……なんでこんな事に。



 女は冒険者カードを裏返し、ステータスを確認すると、やっと一口紅茶を啜った。



「……本来、私に護衛は必要ないわ。でも、私から離れる事は許さない。アナタは私の言うことを聞くしかない。アナタは私に傷一つつけられないわ」


「勇者パーティーに同行しろって事か? ……命がいくつ合っても足りない」


「私がいる限り死ぬ事はないわ。まあ、せいぜい努力することね」


「なんで俺がそんな事……」


「あら。四六時中、私の側に居られるのよ? 裸だって見放題。どうしてもというなら胸の一つや二つは触らせてあげるわ」


「勘弁してくれ」


「幸運【E】を呪うのね。そういう運命だったのよ」



 してやられた“バカな女”。

 とても、とても滑稽だ。


 きっと、ご主人様のプラン通り。

 全てがご主人様の思うがまま……。


 いつもそうだ。

 結局、こうなってしまうんだ。

 仕方ないよ。

 ご主人様は“こういう場”では完璧だもの。



 でも……、でも……。


 ……そんなの許しませんよ!

 もう「作り笑い」はやめて下さい……、ご主人様!



「お、お兄ちゃん!! 何がどうなってるの!? もう、レイラ、意味わかんないよ!!」



 レイラはご主人様に飛びつき、ギューッとしがみついて首元に顔を埋めた。



「レ、レイラ? 何やってる!?」



 ご主人様は顔を引き攣らせる。


 それもそのはず。

 こんな事、今までなら絶対にしなかった。

 捨てられるのが怖くて、一度もできなかった。


 でも、今のレイラは『妹』……。

 この2年間を無かった事にはしてあげない。

 離してあげない。どこにも行かせない。


 身体の髄まで染み込んでいる『偽る技術』が本当のご主人様を消してしまう事が、レイラはどうしても嫌なのだ。



「……アナタ、誰ですか!? レイラのお兄ちゃんを取らないで! 聖女だって言われても知らないよ! 関係ないよ! レイラは絶対にお兄ちゃんから離れない!」



 分厚い分厚い眼鏡の奥。

 透き通る紺碧の瞳を初めて視認する。



 パチッ……



 少し困惑を滲ませる瞳と目が合った。



「帰って下さい! 二度とお兄ちゃんに近づかないで!」



 自分から殺気が漏れ出ている事はわかっている。一瞬で自分の雰囲気が変わった事も理解出来たし、レイラが重大なミスをしたのもわかってしまった。


 少し濡れた髪。美しい瞳。形のいい唇。

 陶器のように白い肌。


 地味なんて、とんでもない。

 この女の顔は整いすぎている。


 まさか、一緒にお風呂に入ってた……?



「……冗談ではないですよ? お兄ちゃんは誰にもあげない」



 自分でも恐ろしいほど低い声が出た。




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