第2章 北の領土ノースジブル
5.公爵様からの縁談
お父様に呼ばれ、私は執務室へと足を運んだ。扉の前に立ち私が来たことを告げると中からお父様の声が聞こえてきた。
「アリス、入りなさい」
「はい」
私が扉を開けるとそこには美しい銀髪の男性がいた。長い艷やかな髪を一つに結び、男性の服を着ていなければ女性に見間違えるほどの美しさだった。彼に見惚れていると私の前に跪き、私の手を取った。
「お初にお目にかかります。王国の光、アリス様。」
彼は深々と頭を下げると私にそう告げた。
「顔をお上げ下さい。それに私はもう随分前に聖女としての力は無くなったのですから王国の光ではありません。今ではただのアンリゼット家の長女、アリス・アンリゼットです。」
彼は私の返答を可笑しく思ったのか微笑みを私に向けながら言葉を紡いだ。
「そんなことはありません。国民もアリス様がどれだけ慈善活動に積極的か知らない者はいおりません。…知らないとすればあの世間知らずの元婚約者でしょう」
美しい見た目とは裏腹に中々に深刻なことを言うというのが彼の印象だった。
「申し遅れました。私はノースジブル領主のリヒト・ヴェンガルデン公爵様の補佐を務めておりますクロード・メイナードと申します。お気軽にクロードとお呼び下さい。」
「…ノースジブル領から?」
ノースジブルはラティア王国の最北端に位置し、隣国のラミザ帝国とは国境線の堺にある。厳しい寒さが続く土地で作物が育つことも難しく食糧不足に悩み、亡くなる者も少なくないと言われていた。しかし、クロード様が仕えているリヒト・ヴェンガルデン様が公爵を継ぎ、領主になって以降、特産品の開発や寒冷地に適した作物を育てることで改善に向かったと言われている場所だ。
「私も一度だけノースジブル領に行ったことがあります。あちらの雪景色とても美しかった思い出があります。」
「それは嬉しいです。ですが、今後は思う存分に雪景色を楽しめるかもしれませんよ?」
「え?…クロード様は何の御用で来られたのですか?」
「それは私から話す。アリス、落ち着いて聞きなさい。」
お父様が私の顔をじっと見ると静かに口を開いた。
「アリス、クロード様は縁談のお話しに来られたのだ。」
「私に縁談ですか?」
あまりの驚きに少し口が空いてしまった。私はすぐに冷静になるとお父様のほうを見た。
「クロード様の仕えるリヒト・ヴェンガルデン公爵様から縁談の申し込みがあったのだ」
「ヴェンガルデン公爵様から?」
リヒト様のことは当然知っている。確か年齢は私よりも一回りか上のはずだ。今まで領主として何度も色んな令嬢から縁談の話しがあったが、立て続けに断り、ついには男色家なのではと噂もされていた。
「ええ、我が主リヒト・ヴェンガルデン公爵様から頼まれ本日は私がかわりにお話しに参りました。」
私は淡々と話すクロード様に驚きながらも返事をした。
「あまりに急なことで」
「無理もありません。本日は縁談のお話しをしに参っただけですから。…今すぐに返事をというわけではありません」
「そういうことだそうだ。…クロード様、この度は長旅でお疲れでしょうから部屋を用意しましたのでそちらでお休みになられてはいかがでしょう?申し訳ありませんが少しアリスと話す時間を設けたいのです。」
「お心遣いありがとうございます。それではそうさせていただきます。こちらとしても急なお話しですから返事は急がないと公爵様から預かっております。どうぞごゆっくりアリス様とお話し下さい。それでは。」
クロード様はそう言うとその場を後にした。残された私とお父様は静かに目を合わせ、お父様に促されるままに腰をかけた。
「まずは黙っていてすまなかった。先日、ヴェンガルデン公爵様から知らせがあってな。」
「ええ」
お父様は言葉を選ぶように私に事の経緯を話した。ヴェンガルデン公爵様から縁談の話は私が婚約破棄をされてからすぐには届いていたがお父様はあまりにもすぐのことで返事を渋っていたそうだ。そして、この度ヴェンガルデン公爵様から屋敷に使いの者を送ると一報があったそうだ。
「クロード様は返事を急がないと言っていたが、アンリゼット家の屋敷まで来たのは催促の意味も込めてだろう…しかし、ヴェンガルデン公爵家にお前を送るには心配事がありすぎる。それにお前の意見も聞いていなかったからな」
「そうなのですね」
私は急なことで頭が纏らなかったがお父様が曖昧に返事を遅らせていた理由もよくわかった。ヴェンガルデン公爵家にはある噂があるからだった。
私はお父様には暫く考えるが長くはさせないと言い、私も自室へと戻った。寝台へとドレスのまま寝そべると私は独り言を呟いた。
「リヒト・ヴェンガルデン公爵様か」
彼が一体どんな意図を持って私に縁談を申し込んだのかは分からないが、クリスとの婚約破棄をされた私はもう結婚することなど無理ではないかと考えていた。元第一王子の婚約者で元聖女など他の貴族達もどう扱えばいいか分からない存在が今の私だ。そう思えば今回の公爵様からの縁談はまたとない機会だった。
ノースジブル領はラティア王国の中でも異質で唯一自治領として認められている。自治領として認められている理由はヴェンガルデン公爵家が王家の血筋を引いていること、都市から離れすぎて王家の管理が行き届かないこと、そしてヴェンガルデン公爵家が呪われていることとまことしやかに噂されているせいだと言われている。実際に王宮の祝賀行事に参加しなくてもお咎めがないほどだった。
なので私もリヒト・ヴェンガルデン公爵様に会ったこともなければ見たこともない。
「とにかく今は少しだけ」
そう呟くと私は眠りに誘われていった。
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