第287話 会議前日 前編

 王都を出立した俺とソフィアがルイス=ハート法国に到着したのは、その日の夕暮れだった。


 明日の会議には間に合うのだが、これから会議に向けて各国の出席者と最終調整を行わなければならない。


 飛行中、ソフィアから話を聞いた限りでは、ヴァイラント国王は全面的にゼルデリアの復活に賛同してくれるそうだ。


 エルス共和国の大統領も、魔族に奪われた自国の領土さえ返還されるならゼルデリアの旧領回復に賛成。


 法皇は中立の立場であるから、問題はオルフォード帝国である。


 ソフィアはヴァイラントの外交官を通じて、オルフォード帝国との事前交渉を試みたらしいのだが、こちらの要望はのらりくらりとかわされるだけで帝国側は魔族領の北半分の領有という、先日の停戦交渉時と同じ主張を繰り返すばかりだという。


 各国が合意に至らなければ条約は締結されない。


 俺とソフィアは法国の首都ルイスに到着するなり、早足で宮殿へと赴いた。


「ヴァイラント王国のユレンシェーナ公爵、ソフィア・エレオノーラ・フォン・ユレンシェーナです」


 ソフィアは宮殿前にいた衛兵に名乗ると、衛兵はすんなりと中へ案内してくれた。


 俺達が案内されたのは宮殿3階の貴賓室である。


 ソフィアはこの貴賓室で寝泊まりするのだが、使用人の俺は別室にある使用人用の客間に案内された。


 俺の部屋は豪奢な貴賓室に比べ質素なものだったが、どうせ寝るだけの部屋だ、最低限の設備さえあれば文句はない。


 俺は自分の部屋の間取りを確認すると、再びソフィアの貴賓室を訪れた。


 各国貴賓室の前にはルイス=ハート法国の衛兵が警備している。


 本音を言えば俺がソフィアの警護をしたい所ではあるが、徹夜で番をするのも明日の会議に響くと判断し、この国の衛兵に任せる事にした。


 俺は貴賓室に行くとソフィアと共に部屋を出て、まずはヴァイラント国王のいる部屋を訪ねた。


 今回、会議の出席は各国から代表者二名が出席する。


 ゼルデリアは言うまでもなくソフィアと俺。


 ヴァイラントは国王と、トマスという名前の宰相だった。


 トマス宰相は、国王がケンプフェル要塞へ親征していた時も留守を預かって政務を取り仕切っていた人物だという。


 地味だがエリート貴族出身の有能な人材で、ボーデンシャッツ公がクーデターを起こした際もそのまま宰相として執政を任されていたのだという。


 そのトマス宰相は、俺とソフィアが国王の貴賓室を訪れると、テーブルを挟んで国王と対話をしていた。


「ソフィアか。どうやら会議には間に合ったようだな」


 国王が安堵した様子でそう言った。


「はい、伯父様。ご心配をおかけしました」


 国王とソフィアは伯父と姪の関係である。


 俺は二人が一緒にいる所を見るのは初めてだが、今のやりとりを聞いている限りどうやら関係性は良好のようだな。


 トマス宰相は座っていたソファを立ち上がり、ソフィアにその場を譲ると、自身は国王の後ろに控えていた。


 宰相は白髪交じりの茶髪、鷲鼻に鼻眼鏡をかけている。


 ピシッとスーツを着こなし、紳士然とした風体をしていた。


 華やかさはないが、謹厳実直で仕事の出来そうな感じの男性ではある。


 ソフィアはトマス宰相が退いたソファに腰掛け、俺はその後ろに佇んだ。


「さて、明日の会議に向けて方針の確認をしよう」


 国王がそう切り出した。


「ヴァイラント王国としては旧ゼルデリア領はそのままゼルデリアに返還、同様に旧エルス共和国領も共和国に返還したいと考えている」


「ありがとう存じます、伯父様」


 ソフィアの言葉に頷く国王。


「先ほど、共和国のドナルド大統領に挨拶して来たが、彼の意向も我々と同じくするものであった」


「わたくしも事前にそのように伺っております」


 共和国からはドナルド大統領と、外務大臣が出席するのだという。


「うむ。だが、問題は帝国だ」


「ええ。彼らは魔族領の北半分を領有するといって譲りません。もし帝国の言い分を聞かなければ、また領土を巡っての戦争になるでしょう」


 帝国は強引だからな。


 話し合いで解決出来ないとあれば、武力をって従わせようとする。


 少なくともエルス共和国も旧ゼルデリアも、今の帝国に抵抗出来るだけの戦力がない。


 唯一対抗し得るのがヴァイラントだが、果たして国王がゼルデリアの為にそこまでして軍を動かすかどうか――


「であるな。その点についてはトマス宰相とも話をしていた所だ」


 国王が宰相の名を出すと、彼は一軽く会釈をして話を始めた。


「ワタシの方で、ゼルデリア北半分を帝国へ租借そしゃくするという妥協案を立案しました」


「ゼルデリアの領土を帝国へ貸すって事か?」


 俺の問いにトマス宰相は頷いていた。


「あの広大な領土が返還されたとて、今のゼルデリア人では土地を開発・発展させるのは困難でしょう。であれば帝国に貸し出して、彼らの国家予算によって復興してもらい、然る後に返還させるのです」


 なるほど、極めて合理的な考え方だ。


 だが、あの帝国が租借期限が切れたからといって、素直に領土の返還などするだろうか?


「租借の期間はどれほどを?」


「最低で25年、最長でも50年といった所でしょうな」


 最低でも25年か……


 その頃は俺も40歳を過ぎ、あのマリーだって33歳だぞ?


 そこまで住み慣れた帝国人達が、大人しく領土を返還するとは益々思えない。


 まあでも、それくらいの期間がないと、帝国も交渉には応じないだろうがな。


「エルス共和国はその案に賛成なのでしょうか?」


「彼らは魔族に奪われた自国領が取り戻せればそれでいいのです。ですから、魔族領の北半分ではなく、旧ゼルデリア領の北半分を租借という形にすれば文句は言いますまい」


 ソフィアの問いにトマス宰相は淡々と答えていた。


「それ、事前に帝国には伝えてあるのか?」


「いいえ、これは我らの切り札ですから」


「切り札?」


「はい。帝国は魔族領の北半分の領有権の主張を譲らないでしょう。すると我々の議論は平行線の一途を辿る。そうして議論が行き詰まった所で、妥協案として提示するのです」


 なるほど。


 帝国が議論の中でゼルデリア領を諦めればそれでよし。


 だから、議論を紛糾してどうにも結論が出ない――という段階になってから租借案を切り出す事で、帝国を納得させようというのか。


「ちなみに、帝国側の出席者は誰になるんだ?」


「存じません。到着が遅れているようでして……明日の会議で直接相まみえるしかないでしょうな」


 帝国の出席が遅れてるって、アイツらが一番ここに近いんだろうに。


 何かトラブルでもあったのか?


「状況はわかりました。わたくしも租借案には賛成です」


「すまんな、本案については事前にそなたにも話をしておくべきだったのだが」


「いえ、わたくしでは思いつきもしない案でしたので、助かりました」


 ソフィアは微笑を湛えてそう言った。


「それでは、わたくし達はドナルド大統領へ挨拶をして参りますので」


「ああ。ではまたな」


 そうして俺とソフィアは国王の貴賓室を出ると、その足でエルス共和国の貴賓室へと向かった。

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