タネ明かし ~この世にある全ては死に捕捉されている

 名前を呼んではいけない神様って、本当にいるんだろうか?

 もし存在するのなら、その名前を知りたい……。


 そう思われた方がいらっしゃるかもしれないので、タネあかしをします。



 その神さまの名前を教わったとき、教授は「その神の名をこれから書くけれども、災いが降りかかってはいけないから、一文字ずつ黒板に書く」と宣言しました。


 教授が最初に書いた文字は「お」でした。


 ふだんオカルトを信じていない教授がそんなことをやり始めたものだから、私たち学生は、戸惑いながらも教授の次の言葉を待ちました。


 教授は「お」を消して、その次に書いた言葉も、また「お」でした。


 おお……。


 学生たちはオカルト的な期待で胸を高鳴らせて、続きを待ちます。


 教授が次に書いた文字は「か」

 そして最後に書いた言葉は「み」


 つまり、「おおかみ」でした。

 ……狼?

 なんだか拍子抜けな顔をしていた私たち学生に向かって、教授は楽しそうに笑いました。

「まじでビビったでしょ? ねえビビったでしょ? うひゃひゃひゃ」


 災いなんてなかったのです。完全に騙されたー!


 私は教授と同じことをやろうとしたってわけです。設定には結構創作が入ってますよ、ごめんね!


 あ、でも、狼が名前を呼んではいけない神さまだというのは本当です。熊もそうですね。オオカミとクマは、山では呼んではいけないそうですよ。あれらは日本に古くから住む山の神さまなので……とかなんとか習った記憶がありますが、細かい話はほとんど忘れてしまいました。


 言霊的な意味もあったのかもしれません。おおかみと声に出して呼んだら、本当に狼が出るぞ、みたいな。

 山とともに暮らす日本人にとっては、熊や狼ってのは可愛い動物じゃなくて、神さまに匹敵するぐらい怖い、おそろしい存在だった、ということなんでしょうね。



 というわけで、これが名前を呼んではいけない神さまの真相です。がっかりしちゃったらごめんね!

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。



☆☆☆


 さて、ここからは蛇足です。


 実は……。


 私が興味本位で顔を出していたのは民俗学だけじゃなくて、宗教のほうもチラリと遊びにいっておったのよ。

 大学っていくら受講しても学費は同じじゃないですか。なら、いっぱい受けたほうがお得じゃないですか! ねえ!?



 ただまあ、何を習ったかほぼほぼ覚えてないんですよね。もう何なの。受けた意味~。


 あ、でも、とある仏教の試験だけは覚えています。トンチ? なんだろ、お題に対して回答するっていう問答? をやらされた記憶があるのです。

 「室町時代における仏教」みたいなテーマの講義を受けたはずなのに、テストはとんちってどういうこと? と、かなり戸惑いました。


 その試験問題が独特だったので、今回はそれについて紹介したいと思います。



☆☆☆


 問題。

 以下の質問文を読んで、自分の見解を述べよ。


「問い1、あるところに、飢えに苦しみ、病に倒れ、死を待つのみという人間がいた。そのものが眠りにつくとき、何を思うか」


 試験開始の合図と同時に、問題用紙を見て、「なんだこの試験……」とフリーズしましたよ。なんだこれ。

 教授は仏教のお坊さんでもあったので、なんかそういう……お寺で修行としてやっておられることを学内でも試したかったのかもしれません。



「問い2、そのものが三途の川を渡りそうになっている。

 引きとめるべきか」


 ええ……!? 三途の川ですか。どうしましょ。



「問い3、そのものに対して、僧侶はどうあるべきか」


 あ、これはちょっと仏教の試験っぽいですね。




 どうですか?

 ちょっと考えてみるのも面白いんじゃないでしょうか。


 私はなんて書いたのかなあ。全然覚えてませんけど、限られた試験時間内にどうにか解答用紙を埋めないといといけませんから、何かしら書いたんだろうとは思いますけども。

 こういうのはきっと正解はないのでしょう。ですから自分はこう! 世間から批判されようとも、仏教の教えに反していようとも、私はこうなのだ! っていうのを熱く語ればナントカなると思います(ナントカなったので、こっちも最高評価もらっちゃった。そうだよ、また自慢だよ!)。



 ではでは、最後に、ウパニシャッド(ヴェーダ。仏教誕生前に書かれたとされるものが一般的)の一節を引用して、話を締めたいと思います。


『ホートリ祭官アシヴァラは、彼に質問することにした。

「ヤージニャヴァルキヤ殿。この世にある全ては死に捕捉されている。祭主は何によって死の捕捉のかなたに解放されるのか」

「ホートリ祭官によって。アグニによって。ことばによって。」』


長尾雅人責任編集(1969)『世界の名著 1  バラモン教典・原始仏典』

服部正明訳「ウパニシャッド」より



 僧侶は言葉によって、その命、存在によって、死に向かうものを救済する責務があるのかもしれません。なんかそんな感じのことを私は試験では書いたような。あんまり覚えてないですけどね。



<おわり>


『ニーアオートマタ』っていうゲームをプレイしたら、ふとウパニシャッドのことを思い出したので書いてみました。

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名前を呼んではいけない神 ゴオルド @hasupalen

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