フォークの上より愛をこめて

月見 夕

外堀は秒速で埋めろ

 小学校の体育館ほどの広さの薄暗い倉庫で、私はヘルメットを被り直してと相対した。

 カウンターバランスフォークリフト。

 1トン程度の重量物であれば、L字型の爪で易々と持ち上げ運ぶことが出来る1人乗りの荷役運搬車両であり、現場・倉庫作業系職業の無くてはならない相棒であり――これからたった3日間で、私が乗りこなさなければならない小型特殊車両だ。


 いざ目の前にすると、黒鉄の躯体は余計に大きく見えた。今からこれに乗り込まねばならないのだが、どうにも尻込みしてしまう。

 落ち着け、散々脳内で練習したじゃないか。

 私はずれたヘルメットを正してぬるい空気を吸い、地面に整然と並ぶ2本のフォークを指差して教わったばかりの呪文を呟いた。

「……前ヨシ」

 思わず珍妙なポーズで指を差して「ヨシ!」と叫ぶ現場猫が頭をよぎるが、言ってる本人は全員大真面目である。なんせ1つの確認ミスが即命に関わるからだ。乗車前の確認を怠れば車両の異常に気付かず事故の元になるし、バック時の確認を怠れば誰かを轢く事になる。

 現場猫としてネットミームになりあれだけ茶化されるのも分かるくらい、実際の現場の人間は本当に頻繁に指差し確認をするのだ。

 教わったばかりの呪文は傍でブンブン回る工場扇の音に掻き消され、奮い立たせた気持ちまで吹き消されそうになる。


 指先で描く四角い魔法陣に精一杯の安全を祈念して、私は座席に乗り込んだ。



 ◆



 2週間ほど前のこと。

 あれは確か休憩時間に差し掛かり、さて昼飯は何にしようかと思い巡らせていた時のことだった。どうせ毎日1人カップ麺には変わりないのだが。

文川ふみかわさん、車の運転に自信はありますか」

「え?」

 経理の斉木さいきさんが私の席に来るやそう尋ね、私は思わず鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまった。

 2、3年後輩に当たる彼女の涼しい瞳に真っ直ぐ見つめられ、不覚にもドキドキしてしまう。藪から棒にどうしたというのだろう。

「突然ですが、フォークリフト免許講習を受けていただきます」

 フォークリフト。確かにうちの事業所の隅にも1台ある。誰かが動かしていること自体が稀だが、年に何回かのペースでパレット(リフトで荷乗せをするための台)単位での備品の納品があるため、事業所に数人免許保有者が在籍しているのだ。

 確かにその内の1名が先月、他の事業所に異動していったのは知っていたが……。

「なぜ私が」

「人事の判断ですのでお答えしかねます。私は経理ですので、予算の管轄が仕事です」

 斉木さんは表情筋を動かさずにさらりと言い放った。そんなAIみたいに答えなくても。

 それにしても面倒なことになった。一応自動車の運転免許は保有しているが、私はとにかく機械の操縦のような同時作業が発生する動作を苦手としている。前後左右に気を配りながらアクセルを踏んでハンドルを切るのが重労働だと感じる人間だ。路上教習で躓いて、長期滞留で追い出されるギリギリまで自動車学校に在籍していた私の鈍臭さを舐めてもらっては困る。何とか断れないだろうか。

「で、でもそんな急に……部署の予算に余裕が――」

「余剰は確認済みです。先月の異動による減員で文川さん1人分の教育費を確保しました」

「ではスケジュールを確認して後ほど連絡――」

「もう押さえてます。申込手続き・入金済みですので2週間後のこの日でお願いします」

「……」

「なお文川さんの上長にも通達、了承済みです」

 流れるように畳みかけられ、何も言い返せない。くっ……できるな、この娘……。外堀を5秒で埋められた私には成す術がなかった。

 こうして私は心の準備も整わぬまま、薄闇の伏魔殿特殊車両教習場へと誘われることになったのだった。

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