死の案内人
あおいの人
第1話 死の案内人
時刻は午後八時。僕はとある人物を待って、六畳半の部屋の真ん中で座り込んで待っていた。いつから僕はこうしているのだろう。最後に時間を確認した時は確か午後一時。その時に座って待ち始めたから、もう7時間も経っているのか。ここ最近は時間感覚も、おぼつかなくなってきている。
「ほんとに来るのかな。」
僕はこの部屋で待っている。顔も名前も分からないとある女性を。
彼女との出会いは二日前。僕が死のうとした日のことだった。
目の前では波が静かに音を奏でている。いつぶりだろうか。海に来たのは。
本来、僕は人が多く暑い海は避けて生きてきたが、夜の海というものは、存外心地の良いものだ。最後がここならいいかもしれない。
「こんばんは。」
波の音に紛れて女性の落ち着いた声が聞こえる。
僕はその声に驚かず、静かに振り返る。
「こんばんは。」
僕はそう一言だけ呟き、前に向き直る。もう今日で終わりなのだ。他のことなどどうでもいい。僕は静かに海に向かって歩き始める。
遺書は家に置いてある。身辺整理も終わった。心残りはもうない。
「君。」
僕はその声に、歩いていた足を止めた。理由はない。何となく止まったほうが良いと思った。それだけだ。
「なんですか。」
僕は振り返らずに答えた。
「君はどんな風に死にたい。」
僕は意味が分からず、振り返り、彼女のほうを向く。
あたりが暗いせいで表情は見えない。だが声色から彼女は真剣に話しているような気がした。
「すまない。紹介が遅れたね。」
そう言いながら彼女が近づいてくる。波で足が濡れようと、彼女はまっすぐこちらに歩み寄ってきた。
「私は案内人。死を望む人間に、その人間が最も望む死を提供する。さぁ、君はどんな死を望む。死に方、死に様、死ぬ前にやりたいこと、死に関するものなら、何でも叶えてやろう。何なら私の体だってk」
「綺麗な所。」
僕がそう言うと彼女は少し首をかしげた。
「綺麗な所?」
「はい。綺麗な場所で、死にたい、です。」
彼女は「ふむ。」といい顎に手を当て考えるようなそぶりを取っている。
「よし、分かった。」
彼女はそう言い僕の目の前に手を差し出してきた。
「最善の場所を用意する。ただ二日待ってほしい。どうだい。」
僕は彼女の手を取った。死に場所なんてどこでもいいと思っていたが、綺麗なとこで死ねるなら、そのほうが良い。
「契約成立だ。二日後、君の家にこの時間帯に迎えに行く。待っていてくれ。」
僕はその言葉を聞いた後意識を失った。目が覚めると僕は自宅のベットの上で眠っていた。一年ぶりによく眠れた。そんな気がした。
「...普通に考えて夢だよな。」
そう。普通に考えて夢だ。それは自分でも分かっている。けど、どうしても彼女のあの言葉が頭から離れない。
「契約成立だ。」
「まぁ、いいか。」
別に明日何もやることのない僕は、このまま彼女を待つことにした。
来ても来なくても、僕のやることは変わらないんだから。
それから何時間立ったのだろうか。体感一時間くらいな気がするが、正直あてにならない。僕は壁掛け時計に視線を送ろうとする。
ピーンポーン
静寂の中に響いた音に不覚にも驚いてしまう。僕は慌てて玄関に向かい、ドアを開ける。そこには見たことのない女性が立っていた。
「やぁ、こんばんは。すまない、日付を跨いでしまったね。もう行けるかい?」
聞いたことのある声。おそらく二日前の「案内人」なのだろう。雰囲気もどことなく似ている。
「はい。大丈夫です。」
「そうか、じゃ行こう。」
僕は彼女について外に出る。家のカギは閉めなくていいだろう。もう戻ってこないんだ。
「目的地までは車で向かうよ。さぁ、助手席に座って。」
僕は促されるまま、助手席に座った。一瞬どこに行くのだろうと思ったが、すぐにどうでもよくなった。
「じゃあ行こうか。」
車のエンジンがかかり静かに発進する。窓の外に見える町はいつもと変わらない。
もうここともお別れだ。
カチッ
運転席から音が聞こえ、甘い匂いがほのかに漂う。
横を見ると案内人はたばこを吸っていた。
「たばこですか。」
「あぁ、すまない。たばこは嫌いかい。」
「いえ。...たばこって、そんな甘い匂いするんですね。」
「いや、これは特別製さ。私の友人が作ってくれたんだ。君も一本どうだい。」
「遠慮しときます。未成年なので。」
「興味はないのかい?」
興味はある。だが、どうしても貰うのを躊躇してしまう。
「最後なんだ。それに、咎める人間はここにはいないよ。」
そう言い、彼女は一本差し出してくる。確かにもう最後なんだ。
僕はそう思い受け取る。
「火、もらえますか。」
「あぁ。」
僕は彼女からもらったたばこに火を付け、一度ふかし、二度目から肺にいれる。
「慣れているね。吸ったことがあるのかい?」
「いえ。ただ、昔知り合いに吸ってる人が居て。その人が吸い方を教えてくれたんです。でもこれ、吸いやすいですね。もっとむせるかと思ってました。」
「言ったろう。特別製だ。...あぁ、別に怪しいものではないから安心してくれ。」
「別に構いませんよ。怪しいものでも。もう...」
僕は一吸いし、肺に深く入れ紫煙を吐きだす。
「最後ですから。」
彼女は「そうだね。」と言いながら前を向く。
僕は少ししてタバコを吸い終わり火を消す。そういえば目的地まではまだ少し時間がかかるのだろうか。
「目的地まではまだかかる。寝れるなら寝るといい。」
「はい。」
僕は何となく目を閉じる。車の揺れが心地よく、いつの間にか眠ってしまった。
懐かしい夢を見た。とある部屋のベランダ。僕は空に昇る煙りを見上げながら歌っている。横からは、僕の歌声を支えてくれるアコギの優しい音。
横を見ると彼女がタバコを咥えながらアコギを弾いている。
灰が落ちるよ
僕がそう言うと彼女は演奏をやめ灰を落とす。
次、何歌う?
そう言い彼女が優しく笑う。
あぁ、なんて優しくて、暖かい夢なのだろう。
いっその事このまま覚めなければ...
「着いたよ。」
その声で僕は目覚めた。周りを見るとどこかの森の前のようだ。
「すいません、寝てしまいました。」
「構わないよ。じゃ、行こうか。」
僕は彼女につられ助手席を降りる。僕たちは月明かりを頼りに森に入る。
随分と道はあれているが、かろうじて歩ける程度には残っていた。
「転ばないようにね。」
「はい。」
彼女はそう言いながらスイスイと歩いていく。慣れているのだろうか。
歩いて数十分。
「着いたよ。」
そこには小さな池が広がっていた。池に月が写っていて、周囲は月明かりに照らされている。とても幻想的で、どこか...
「これが私の準備できる最善の死に場所だ。どうだい?」
僕は池のほとりに歩く。池には月と僕が写っている。池のほとりに座り空を見上げる。
僕は思い出した曲をいつの間にか口ずさんでいた。
死んでしまう少女と、生きてしまう少年の、約束の話。
ずっと忘れていたあの歌を。
「いい歌だね。」
「...ありがとうございます。」
僕が一通り歌い終わると、案内人が声をかけてきた。
今まで誰にも聞かせたことのない歌。それをいい歌だと言ってもらえるのは、うれしいものだ。
「昔話、付き合ってもらえませんか。」
「構わないよ。」
僕昔、同年代の子と付き合ってたんです。
彼女は静かで、心のある子で、音楽が好きな子でした。
僕も歌うのが好きで、同じ趣味だった僕達は、いつの間にか仲良くなって、付き合いました。
そのころから僕たちは、放課後彼女の家で歌を歌うようになりました。
僕が歌って、彼女がギターを弾く。
あぁ、そういえば彼女がタバコを吸うのもその時初めて知ったんですよ。
最初は驚きました。でも慣れるととそれも、心地よかったんです。
僕たちは曲も作りました。二人で頭を捻りながら、どうにか作ったのがあの曲なんです。
ある日、僕は彼女に誘われ、少し遠出をしました。彼女が言うには、五駅離れたところにある森。そこには綺麗な泉があるから、そこに行ってみたい。とのことでした。
僕たちはその森に行き、いつものように歌いました。いつもより心地よかったのを覚えています。だから僕達は、また行こうと約束し、その日は帰りました。
...翌日、彼女は自殺しました。遺書もなくて、誰にも理由が分かりませんでした。
傍に居た僕ですら。僕はその日以来、生きる意味を、理由を失ってしまったんです。
僕が一通り話すと、案内人は黙ったままだった。
僕は周囲を見渡す。やはりそうだ。ここに来て感じた懐かしさは、気のせいなんかではなかった。
「君はどうするんだい。」
そう案内人が問うてくる。
「君にある選択肢は二つだ。このまま死ぬか、生きるか。」
...答えはもう、決まっている。
「...生きます。」
「...理由を聞いてもいいかい。」
「約束を。彼女とした約束を思い出したんです。それを果たさずに死んでも、彼女に合わせる顔がないですから。」
今思えば、あの歌は彼女の遺書変わりだったのかもしれない。随分と不器用なことをしたものだ。
「そうかい。なら私からできることは一つだけだ。」
そう言い彼女は僕に近づき手を差し出してくる。
僕はその手に握られたものを受け取る。それは金木犀色のネックレスだった。
「これは?」
「お守りのようなものさ。」
そう言い案内人は僕の手を両手で包み込む。
「君の人生に私からできる限りの加護を。」
そう言い手を離した案内人はどこか優しいような、安心したような顔をしていた。
「さぁ、仕事は終わりだ。帰ろう。」
「案内人さん。」
僕がそう呼ぶと案内人が振り返る。
「なんだい。」
「最後に質問していいですか。」
「構わないよ。」
「なぜ僕に生きる道を選ばせてくれたのですか。」
僕が約束を思い出したのは彼女のおかげだ。けど彼女は案内人だ。死の案内人。
死なせる理由はあっても、生かす理由はないのではないのだろうか。
「...私はね。本人が死にたいというなら、それで構わないと思うんだ。
でもね、死を見届けるのも簡単じゃないんだ。君は想像できるかい。救わなかった命が目の前で散るのを眺め続ける日常が。...私は耐えられなかった。だから私は、与えることにした。死を望む人間へ、最高の死を。そして生の選択肢を。
最後に選ぶのは本人さ。それでも、救わなかったという罪悪感からは逃れることができた。」
そう言い案内人は、たばこに火を付け紫煙を吐きだす。
「軽蔑してくれて構わないよ。」
「いいえ。」
そういうと案内人は少し驚いた顔をした。
「もし僕があなたの自己満足で救われたのだとしても、あなたに救われたのは事実です。あなたが居なければ僕はきっと生きてはいなかったでしょう。
だから僕はあなたに感謝することはあっても軽蔑はしません。」
僕は彼女の目を見つめながら、はっきりとそう言った。
彼女の手からは、たばこの灰がぽろぽろと自然に落ちている。
「...そうか...そうだったのか。私は...救えていたのだな...」
そう言い彼女は空を見上げた。
「...ありがとう。まさか依頼人に救われるとはね。」
「困ったときはお互い様ですよ。」
「ははっ、そうかもね。」
僕たちは空を見上げる。月も沈み、朝日が徐々に空を照らしている。
きっともう、終わりなのだろう。
「さぁ、帰ろうか。また会えた時は、君の曲を聴かせてくれよ。」
「はい。...最後にいいですか。」
僕と彼女は向き合う。きっと、これが最後の会話なのだろう。
「あなたの、名前は。」
「...私は、案内人。死を望む人間には、その人間が最も望む死と、生の選択肢を。
生を望む者には、私からできる限りの加護を与える。...また会える日を楽しみにしているよ。さようなら。」
眩しい。僕は開きづらい目を無理に開け、周囲を見る。
「...家だ。」
僕は家のベットで寝ていた。昨日のことは夢なのだろうか。そう思ったが、すぐにその考えはなくなった。いつぶりだろうか、起きることが心地よかったのは。
ふと部屋の端にかけてあるギターに視線を向ける。随分と待たせてしまったな。
僕は布団から起き上がり、ギターの前へと歩く。
「...待たせてごめんな。もう大丈夫だよ。」
僕は、手のひらに握っていた金木犀色のネックレスを首にかけ、ギターに手をかける。
「...あっ」
僕はふと思い出し、少し笑ってしまった。
「たばこの銘柄、聞いとけばよかったな。」
視界に映った空が、いつもより綺麗だと思った。
死の案内人 あおいの人 @iyo1022
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