冥府の神も金次第?

桃元ナナ

第1話 シルヴィ、婚約者に裏切られる

 私は目の前で繰り広げられる、イチャイチャを唖然として見つめていた。


 (ええっと、この人はセリル殿下よね?)


 侯爵令嬢でもある私の婚約者。

 幼い頃から何度も顔合わせをして。

 優しい彼の事を、私はすぐに好きになったのだ。


 だけど――目の前には、見知らぬ女性と2人、身体を寄せ合うように座る殿下がいた。

 隣に座る、女性の頬や額にキスを繰り返している。

 目はとろんと蕩けるように熱く、虚ろで。

 まるで熱に侵されているような、そんな感じ。


 女性のほうは、お辞めくださいと言いながら、恍惚の表情を浮かべている。


 なんで婚約者が別の女性と繰り広げている、この場面を見せつけられぬばならぬか。


 (何の用で呼んだのよ!セリル殿下!)


 睨むように、目の前の2人を見つめると、殿下は嫌そうにこちらを向いて吐き捨てるように言った。


「シルヴィ、ユリを虐め抜いたらしいね。そんな君が僕の婚約者だなんて――嫌いだよ、君のこと」


 嫌悪感たっぷりに見つめられて、私は吐き気がするほど苦しくなった。


 こんなにはっきり嫌いと言われれば、嫌でも分かってしまう。

 ずっと殿下が私に優しかったのは、嘘だったということ。

 周りに言われて仕方なく、そうしていたということだ。


 しかも完全に目の前の女性に心を奪われた様子の殿下を見て、私の恋は終わったのだと自覚せざるを得ない。


 (頭もズキズキする――でもここで逃げ帰るわけにはいかない)


 このまま未来の王子妃として、彼らを見て見ぬ振りをする事を。

 それに関しては、否だ。

 私は本気で好きだったのだ。

 それなりに良い関係が築けていると思ってたのに。


 辛かった王子妃教育と領主教育。

 学園生活と並行して、やってきた。

 

 学園を卒業し、1年。

 先日やっと終わったところだった。

 頑張った自分を誇らしく思ってる。

 だけど、見せつけるようなこの光景は看過できない。

 

「――婚約を解消しますか?」

 私の提案に、殿下はさも当たり前だという顔をした。


「こんな美しくて心優しい彼女を蔑ろにしたんだ。当たり前だよね」

「――そう、ですか」


 何だろう。

 私は今まで、この人の何を見てきたんだろう。


 (これがこの人の本当の顔……)


 人を蔑み、個人的感情に身を任せて、判断してしまうような迂闊な人だと思ってなかった。

 そもそも、その隣の女性と私は面識がないのに、何故虐めたとなるのか。

 その辺りを、彼女の言い分だけでそれがさも真実であるかの如く振る舞うことの愚かさ。


 (こんな人、私の方から願い下げだわ)


「それでは、改めて侯爵家から解消の手続きを取ります。それ相応の慰謝料は請求しますので」


 それだけ私が言うと、一瞬、殿下の隣の女性が私を馬鹿にしたような表情が見えた。


 (そんな残念な心根を持つ人にもっていかれたなんて……)


 この人は単に王子妃に憧れて、彼に近づいたのかもしれない。

 だとしでも。

 もう私には関係ない話だ。


「それでは、失礼しますわ」

 心の中でセリル殿下へさよならの気持ちを込めて言い、殿下の執務室を後にした。


 部屋の外で待っているのは、私専属の執事。

 私が出てくるのを見ると、黙って後ろをついてくる。


 私が5歳の頃から、一緒に成長してきた執事。

 とても一介の執事とは思えないほどの美貌を持っており、学園に通う時も彼目当ての女性達によく囲まれていて、周りからも羨望の眼差しで見られていたものだ。


 (口は悪いけど――仕事は確かだわ)


 漆黒の髪に、漆黒の瞳。

 この国では、あまり見かけない。

 黙っていれば、そこいらの絵画におさまっていそうな出立。

 そう、黙っていれば、だ。


 王宮の人気のない廊下まで来ると、おもむろに執事は口を開いた。

 

「お嬢、良いのですか?あのままで」

「良いも悪いもないわよ。わたくしは婚約を破棄されたのだから」


あちらから婚約を解消したいと言われたのなら、それに従うほかないのだ。

 

「しっかし、女の趣味悪いなあ――お嬢は、復讐とか、そういうの、しないので?」

「んー、シア。相変わらず物騒な物言いね」


 外面がいいこの執事であるシアは、私以外の前ではこんな口の聞き方もしなければ、強面のお兄さん達が言う様な事は言わない。

 外では完璧な執事に見えているだろう。

 だから、漆黒の天使が舞い降りた!なんて黄色い声をだしながら呑気に言っていられるのだ。


 シアは仕事面でいえば、完璧。

 しかも、私に対する忠義が厚い。

 ここまでなら良いだが、私に対して害を及ぼすような輩には容赦ないのだ。

 やり過ぎぐらいに。

 毎回その後始末に奔走させられる父。

 ちょっと可哀想だ。


「――裏切り者は、目の前から消えてしまったら良いのだけどね……」


 相手はこの国の第2王子。

 私は侯爵家の跡取り令嬢。

 この国にいる限り、会わないというわけにはいかない。

 

 何処かしらで、あの2人に会うことがあるだろう。

 現実的にあり得ない。

 

「消すか――普通ならお金取るところだけどな……」

「ん?何か言った?」

「いや、お嬢は特別なんで」

「??」


 噛み合わない会話のあと、シアはにっこり微笑むと、私を促すように馬車乗り場へと先導していく。


 この時は、こんなたわいのない会話が、その後の事に大きく関わってくるなんて。

 私は知る由もなかった。

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