雨乞いをする男

平中なごん

一 初見

 快晴の空の下、茹だるような空気を泳ぐようにして草生くさむした土手を越えると、陽炎揺らめく乾いた河原へと俺は降り立つ……。


 その日も、午後の営業回りに出ていた途中、俺はいつものこの河原へとやって来ていた。


 大きな一級河川の河原だが、周囲には遊歩道も運動場的なものもなく、小高い土手と生い茂る藪で住宅地とも仕切られているため、滅多に誰も近づかないような、なんとも静かな場所だ。


 仕事やプライベートで嫌なことがあった時、俺はよくここへ来て、川の流れをぼーっとただただ眺めている……いわゆる〝癒し〟というか、現代社会のストレスから己の精神を守るための防衛手段である。


 そのため、この何もなければ人気ひとけもない静かな場所というのが、俺にとっては大変好都合だった。


 しかし、ここ最近はこうしていても、心地良いひとときとは真逆にむしろ不快指数が高まっていくばかりだ……。


 大きな河原石に腰かけた俺はジャケットを脱ぎ捨てたが、下の白シャツにはじっとりと汗がにじんでいる。


 静かなのはいいのだが、とにかくここは熱い……ギラギラと輝く太陽がゴロゴロと転がる河原の白い石を焼き上げ、おまけに風は凪いでいてまるで天然のサウナ状態だ。


 異常気象というやつだろうか? 今年は梅雨だというのに日照りがずっと続いていた。


 あんなに横幅のあった河の流れも今はちょろちょろと真ん中の一番低い部分を流れるだけであり、目の前には乾き切った石だらけの荒野が遠くまでずっと広がっている。


「……暑い……ただただ暑い……帰るか……」


 座っているだけなのに、頬にはつー…と一筋の汗が流れ落ちる……癒されるどころかストレスが溜まるこの状況に、俺が重い腰を上げて土手の方へと向かおうとした時のことだった。


「──かけまくもかしこき天神アメノカミ雷神イカヅチノカミ、願わくば雨を降らせたまえさきわいたまえ〜…!」


 そんな甲高い声が、乾ききった石だらけの河原に木霊した。


「……ん?」


 振り返ると、もっと河原の真ん中に近い場所に一人の男が突っ立っていた。


 釣り人なのか? ポケットのいっぱい付いたカーキのベストを着て、頭には麦わら帽子を被ったおっさんだ。


「…大粒の雨を降らせたまえ、我らを守りたまえ〜…!」


 そのおっさんは両腕を広げて天を仰ぐと、祝詞のようなものを朗々と唱えている……ここからは少し離れているため、こちらの存在には気づいていないようだ。


「雨乞い……か?」


 唱えてる祝詞の内容からして雨乞いでもしているのだろうか?


 どうやら釣り人のようだし、この日照りじゃ河が干上がって大好きな釣りもできないから……なのか?


「ま、この暑さなら、ちったあお湿りがほしくなるのもわからなくはないが……」


 しかし、たとえ人目がないとはいえ、河原のど真ん中で大声張り上げて雨乞いしてるというのは、どう見てもちょっとヤベえやつに違いない……。


「うん。関わらないようにしよう」


 音を立てないよう、ゆっくり俺は後退りをすると、静かに河原を後にしようとする。


「……おわっ…と!」


 ところが、うっかりしたことにもまん丸い河原石を踏んずけてしまい、足のバランスを崩すと思わず声をあげてしまった。


「…願わくば…ハッ!?」


 その声に、おっさんも祝詞を途中で止めると反射的にこちらを振り返る。


 その瞬間、こちらを向いた彼の顔は目を皿のように見開いた、なんとも頓狂でおもしろいものだった。


 鼻は低く、唖然と開いた口はアヒル口…というか、むしろ顔全体がアヒルっぽい。


「……ひ、ヒエェェェェーっ…!」


 そのアヒル顔のおっさんが、突然、大仰に悲鳴をあげると一目散に走り出し、瞬く間に土手を駆け上がってその向こうに見えなくなってしまう……俺を見て、尋常ではなく驚いている様子だ。


「いや、なにもそんなに驚かなくても……」


 想像を絶するその驚き様に、こちらこそ驚嘆してポカンとその場に立ち尽くしてしまう。


「なんだったんだ、いったい……」


 独り置いてけぼりにされた俺はしばし呆然と惚けた後、まったくわけのわからぬまま焼ける河原をのそのそと後にした──。

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