act :2【悪党、魔都の学校を蹂躙する】

【第1話】

 チカチカと明滅する蛍光灯の明かりが、夜の帳が下りた魔都まとを照らす。



「ふぅー……」



 今日の宿にしているネットカフェの外で、ユーシアは黒い煙草を吹かしていた。


 さすがに【OD】も昼夜問わず騒ぎ回るのは出来ないのか、夜の闇に支配された魔都は非常に静かだ。ふと顔を上げると、夜の世界をまるで昼間のような煌々とした明かりで切り裂く分厚い壁が確認できる。

 あの壁の向こう側は【DOF】が完全排除された世界だ。街の住人は常に【DOF】が検出されないようにスキャニングされており、さながら煌びやかな檻の中に閉じ込められた囚人のようである。まあ、普通に生きている限りは【DOF】などに手を出さないだろうが。


 問題は、あの壁の向こう側の住人が魔都に攻め込んでくることだ。



「困るよねぇ、本当に。どうしよ」



 ユーシアは独りごちる。


 こんな荒れ果てた街並みがどうなろうが知ったことではないのだが、気がかりなのはネアとスノウリリィの存在である。スノウリリィは定刻になれば元通りに生き返ることが出来る【OD】だが、ネアはそうもいかない。精神が幼児退行してしまっている少女に、戦争の光景を見せるのは些か刺激が強すぎる。

 かと言って、安全地帯にネアとスノウリリィを放置すればどうなるか分かったものではない。泣きながら追いかけてくるのだとすれば、ユーシアの良心が痛む。一般人だろうが【OD】だろうが殺しに殺しまくっていても、身内として面倒を見ている少女に泣かれるのは悪党でも困る。


 短くなった黒い煙草を足元に捨て、ユーシアは燻る火を踏み消す。眠気を払うように欠伸をすると、



「眠れませんか?」


「ありゃ、リヴ君。いつもだったら寝てる時間でしょ」


「それはこっちの台詞ですが」



 ネットカフェの狭い階段を降りてくるリヴは、寝癖がついた黒い髪を適当に掻く。どうやら今しがた起きてきたようで、彼は眠たげに欠伸をしていた。



「【DOF】を入れとこうかと思ってね」


「そうですか。僕は錠剤タイプにしますが」


「リヴ君は特に濃いのを入れないとダメなんじゃないの?」


「量を飲めば平気です」



 リヴはそう言って、着ていたレインコートの袖から茶色い瓶を取り出す。金属製の蓋を開けて中身を手のひらに出すと、ラムネ菓子のような錠剤が大量にザラザラと転がってきた。

 数えるのも面倒になるほどの量を一気に口の中に含み、リヴは飲料水で流し込むことなくボリボリと噛み砕いて嚥下えんかする。もちろん、この錠剤も【DOF】だった。


 乱暴な手法で【DOF】を摂取したリヴは、



「それで、眠れないようですね」


「そりゃあ眠れなくもなるよ」



 ユーシアはそう言って、荒れ果てた魔都の向こうに聳え立つ分厚い壁を示した。



「あそこの人間が攻め込んでくるって聞いたらさ、色々と考えちゃうよね」


「色々とは?」


「ネアちゃんとリリィちゃんのこと。リリィちゃんは【DOF】がある限り生きられるだろうけど、ネアちゃんは危ないからなぁ」



 この魔都に安全地帯があるとも限らず、いつまでもネットカフェを根城にしていたら攻め込まれた暁に呆気なく死んでしまうかもしれない。建物が倒壊して圧死なんて起きたら死んでも死にきれない。

 他の【OD】を潰してくれるのは大歓迎だ。どうせ存在したところで異能力にかこつけてはしゃぐ阿呆どもである。好きに蹂躙してあわよくば全員殺してほしいところだ、その方が面倒にならなくて済む。


 リヴは「なるほど」と頷き、



「他の【OD】はどうでもいいですが、ネアちゃんが危険な目に遭うのは許せませんね」


「でしょ?」


「それならこうしましょう」



 ユーシアの顔を覗き込むリヴは、



「僕たちでネオ・東京をぶちのめしますか」


「あらまあ、大きく出たね」


「あの街が脅威になるのであれば、その前に僕たちが動いて壊せばいいだけです」


「なるほどね」



 ユーシアも納得したように頷く。


 壁の向こう側でいつまでも「ここは安全地帯だ」と思い込んでぬくぬくと暮らしている連中に思い知らせてやるのだ。魔都へ追い出した【OD】は、お前たちの軍事力など屁でもないことを示せば混沌に落とし込むことが出来る。

 かつて、アメリカの地方都市で議員の息子を殺したことで指名手配された経験があるユーシアとリヴだからこそ成せる所業だ。今度の敵の規模がかなり大きくなっただけであって、結局はやることなんて変わらない。全て殺すだけだ。



「それはいいね、ネオ・東京のお綺麗な街並みがここと同じようにぐちゃぐちゃになったら最高だよ」


「そうでしょう?」


「でもさ、俺たち2人だけだよ。議員の息子を殺した時のような感じじゃないんだからさ、終わりが見えないよ」


「さすが元軍人、敵将の確認は怠りませんね」



 リヴは黒いレインコートの袖からスマートフォンを滑り落とすと、



「それでは僕が敵将の情報を示しましょう」



 スマートフォンの液晶画面に指先で触れ、リヴが見せてきたのは特に印象に残らなさそうなおっさんである。背筋が伸びたロマンスグレーのおじさんではなく、ブルドッグのように頬が垂れ下がった眼鏡野郎だ。

 液晶画面の中で、そのおっさんは仕立ての良さそうなスーツに身を包んで何かを演説しているようである。写真なので演説途中だろうが、その表情は真剣そのものだ。真面目に物事へ取り組む日本人らしい面構えと言えようか。


 ユーシアはそのおっさんの写真を眺め、



「誰、この人?」


「日本国大統領、ゴトバガワラ・トシオミです」


「うわ」



 リヴがスラッとそんな名前を告げるものだから、ユーシアは思わず声を上げてしまった。



「いきなり長い名前が出てきたから何だと思った」


「シア先輩も苗字が長いじゃないですか」


「本当だ」



 日本の名前で6文字以上なんて珍しいことこの上ないが、よく考えればユーシアの苗字もとんでもなく長かった。『レゾナントール』なんて苗字は後にも先にもユーシアだけだろう。とはいえ、ユーシアの苗字も7文字だから大して変わらないが。

 自分の苗字の長さを指摘され、ユーシアも「そうだよなぁ」と頭を抱える。何だかんだで名前が長いと署名が大変な記憶があったような気がする。


 リヴは液晶画面に表示されていたおっさんの映像を消すと、



「この男を殺せば、ネオ・東京は崩壊するでしょう。この冴えないおっさんが軍隊の総指揮を担っていますので」


「最終目標が設定されたって訳ね」



 ユーシアは肩を竦め、



「まあでも、終わりが決められれば俺としても嬉しいことはないよ。昔とやることは一緒だしね」


「『白い死神ヴァイス・トート』の異名を取るだけありますね」


「茶化してる?」


「褒めてるんですよ」



 ジト目で睨むユーシアに、リヴは晴れやかな笑顔を見せる。



「それでは今回はお国の頂点を殺すってことで、腕が鳴りますね」


「リヴ君、やけに楽しそうだね」


「いやぁ、あんな綺麗な街をぐちゃぐちゃに出来るだなんて嬉しいじゃないですか。ワクワクしません?」


「相変わらずだなぁ」



 リヴの頭の螺子の飛び具合に、ユーシアは苦笑する。相棒は相変わらず世界中に対する殺意が強い。


 終わりが決まったのであれば話は早い。昔は【OD】の頂点を、そして今回はまともな人間たちの頂点を射殺すのだ。相手に敵意があるならば、こちらは殺意を持って応じるだけである。

 敵将を討ち取るのは得意だ。安全地帯でぬくぬくとしている連中を見ているだけで殺し甲斐がある。そういった難敵を相手にすると、ユーシアも狙撃手として本気を出したくなるものだ。



「じゃあ方針が決まったところで、動く車がほしいかな」


「ありますかね」


「明日、探しに行こうか。いつまでもネットカフェに滞在していたら狙われかねないし」


「それもそうですね」



 ネオ・東京陥落を決めたユーシアとリヴの2人は、まずは車を探しに行くという方針で意見を一致させるのだった。

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