【第8話】

「協力するのは本気ですか?」



 裸マントの変態集団――ギルド『裸の心』の根城とされているカラオケボックスから離れたところで、リヴがようやく口を開く。


 彼が言っているのは、ユーシアがあの太った裸の王様の【OD】であるジルベールに協力するか否かである。最後にユーシアが結論を出すことを先延ばしにするような意味合いの言葉を投げかけると、ジルベールは気味の悪い笑みを浮かべて「色よい返事を待ってるぞ」などと言って送り出したのだ。

 正直なところ、あんな狭苦しい場所に視界が狭まるような野郎を入れたくない。加えて裸の王様の【OD】は非常に面倒な存在である。あの状況で自動拳銃など引き抜けば、逆に危ないのはユーシアたちの方だ。


 ネアとスノウリリィの安全を確保する為にも、穏便に物事を済ませたかった訳である。敵陣のど真ん中で暴れるようなリスクを冒してまで殺そうとは思わない。



「すると思ってる?」


「しないと思ってますが」


「正解。協力なんてする訳がない」



 ユーシアは真っ黒な煙草を咥えると、安物のライターで火を灯す。



「よく分かってるじゃん、リヴ君。あんな豚に首輪を繋げられたら溜まったものじゃないよ」


「ですよね」



 リヴはどこか安堵したような表情を見せる。


 協力をしないのは当然の選択だ。ユーシアとリヴは好きに殺して、好きに奪って、好きに生きていることを良しとする悪党である。そんな連中に首輪を繋げることがそもそもの間違いだ。

 ジルベールが期待をしながら語る『白い死神』は、すでに【DOF】へ手を出して英雄とは呼ばれるような存在ではなくなった。それなのに、まだユーシアへ英雄を求めるというのか。それは面倒なのでやりたくない。


 ユーシアは「それにねぇ」と言葉を続け、



「だっておかしなもんでしょ、【OD】の時代を呼ぶって。犯罪者に時代を任せたら世界の終わりでしょ」


「あそこですね。何のギャグかと思いましたよ、あまりにもセンスがなさすぎて寒い」


「本当にね」



 ユーシアとリヴは揃ってジルベールの熱弁を嘲笑する。


 何が「【OD】の時代を呼び込むのだ」だろうか。おかしなものである。【OD】なんて最初から最後までイカれた犯罪者でしかなく、異能力を手にした万能感からか脳味噌が溶けてしまっているようだ。夢みがちなデブはどう頑張っても救いようがない。

 ネオ・東京を落としたところで意味などあるのだろうか。頭の中身がお花畑と脂っこい食べ物で埋め尽くされている豚の高尚な考えなど、人間様には到底理解できない。やるなら勝手にしてくれ、という感覚である。


 紫煙を燻らせるユーシアは、



「大方、壁の向こうで暮らしている連中が羨ましいんでしょ。自分たちはこんなに汚い世界で暮らしてるのに、壁の向こうの連中は綺麗な服と美味しい食べ物があっていいなぁって」


「醜い嫉妬ですね。ああ見た目も醜いからお似合いですけども」


「言っちゃダメだよ、リヴ君。相手が傷ついちゃうよ」


「この場にいないんだから何を言ったっていいでしょう」



 ユーシアの冷やかしに、リヴはさも当然とばかりに言ってのける。



「それに僕は、相手がこの場にいても言いますよ」


「さすがリヴ君、言葉の武器も健在だね」



 さて、方針も決まったことである。

 ジルベールには協力しないが、返事を保留にしたままでいると粘着されそうである。裸マントの変態集団に付き纏われるなど死んでもごめんだ。気持ちが悪いので永遠に生きないでほしい。


 ユーシアは「リヴ君さ」と口を開き、



「潜入とか得意?」


「僕を誰だとお思いで?」



 リヴはどこか自信ありげに、



「僕は元諜報員ですよ、潜入など当然のことです。何をしますか?」


「ジルベールのところに潜入して【DOF】を盗んできて」



 ユーシアは笑顔で言う。


 脱げば脱ぐほど防御性が高くなり、全裸になれば【OD】の異能力すら無効する反則級の異能力を持った裸の王様の【OD】を殺害するにはそれしか方法はない。相手が全裸となれば、こちらの勝ち目がなくなる。

 ならば、元を断てばいいだけである。所詮は【OD】としての異能力を維持できているのは【DOF】だけだ。その元を断つことが出来れば、裸の王様の【OD】も異能力を維持できず24時間以内に狂い死にする。


 リヴは「素敵ですね」と笑い返し、



「ではその方針で行きましょう。どこで待機してますか?」


「そこのネットカフェってところにいるよ」



 ユーシアが示した先にあったのは、看板が剥がれかけたネットカフェである。『鍵付き個室あります』という部分に強く惹かれたのだ。

 今の状況において、鍵付きの個室は貴重である。特にネアとスノウリリィがいるので、どうにか彼女たちを安全地帯に保護する必要がある。ジルベールを筆頭とした変態集団の目に触れさせてはいけない。


 リヴは寂れたネットカフェを一瞥し、



「了解です。では僕はあの豚の根城に潜入して【DOF】を盗んできます」


「頼んだよ、リヴ君」


「ええ、任せてください。最良の結果を手に入れて見せます」



 リヴはそう言うと、真っ黒なレインコートの下から注射器を取り出した。注射器のシリンダー内には透明な液体が揺れており、鋭利な先端を躊躇いもなく首に突き刺す。指先で透明な液体を体内に注入すると、注射器を足元に捨ててグシャリと踏み潰した。

 それと同時に、彼の姿がまるで幽霊の如く姿を消す。親指姫の【OD】の異能力を発動したのだ。裸の王様と同じく、親指姫の【OD】もなかなかに反則級の存在である。彼と同じ異能力を持った【OD】が今後いないことを祈るばかりだ。


 相棒を見送ったユーシアの腕を、ネアがクイと引っ張る。



「りっちゃん、おちゅーしゃしてどこにいったの?」


「あの裸ん坊のおじちゃんのところだよ。おじちゃんのところからお薬を持ってきてくれるって」



 リヴにとっての【DOF】は、あの注射器のシリンダー内に揺れる透明な液体である。異能力が強大すぎる分、濃度の高い【DOF】を使う必要があるのだ。あの【DOF】が切れた暁には、リヴがどのような幻覚を見ながら狂っていくのか想像できない。

 ただ、リヴが【DOF】を切らすようなヘマを起こさない。元々は優秀な諜報員であり、所属していた諜報機関が【OD】になることを強要してきたので任務遂行の為に【DOF】を服用し始めたと聞いたことがある。ユーシアよりも年季の入った【OD】なのだ。


 ジルベールの話題を出すと、ネアはあからさまに顔をしかめる。「うええ」とまで声に出ていた。



「どうしたの、ネアちゃん。嫌な思いしちゃった?」


「きもちわるいんだもん」



 ネアは素直な感想を口にする。【DOF】の作用と虐待によって精神が後退しているからか、たまに容赦のない言葉選びをするものだ。



「あのおじちゃん、あぶらでべたべたしてそう。やだ」


「ネアちゃんはもう会うことはないよ」



 ユーシアはネアの頭を撫でてやり、



「今日はそこのネットカフェってところに泊まろうか。お部屋に鍵がかかるみたいだから、ネアちゃんも安心して過ごせるよ」


「うん」


「リリィちゃんもそれでいい?」


「はい」



 スノウリリィもユーシアの提案に頷き、



「でも大丈夫でしょうか、お金とか……」


「この状況で金銭云々って言ってる場合じゃないよ。見てごらん、お金が使える状況?」


「それもそうですけども」



 クソ真面目なスノウリリィは金銭のことに関して心配している様子だが、荒れ果てた東京の街並みでお金の心配をしている場合ではない。最優先は身の安全の確保である。

 鍵付き個室を謳うネットカフェでも、この状況だからまともに機能しない場合がある。しかも蔓延るのは【OD】だけだ。下手をすれば扉が異能力でぶち破られることだってあり得るのだ。


 ユーシアは短くなった煙草を足元に捨て、燻る火を靴裏で踏み消す。



「行こっか、部屋を確保しなきゃ」


「うん」


「あ、は、はい」



 リヴの帰還を待つ間、ユーシアはネアとスノウリリィを連れて安全地帯の確保に向かうのだった。

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