【第5話】
世界を区切るように敷かれた壁へ向かう途中、建物は徐々に減ってきた。
「背の高い建物はなくなってきたね」
「それどころか、人の影も見当たりませんね」
車の窓から外を見回すユーシアとリヴは、その怪しげな雰囲気に眉根を寄せる。
それまで賑やかだった都会の街並みは消え失せ、平たい建物が並ぶだけの簡素な空間になっていた。住宅街とは言えず、電柱が等間隔に並ぶ道路には通行人の影すらない。見渡す限り同じような建物だけが存在している。
建物はフェンスで囲まれていたり、コンクリートの塀で囲まれていたりと区切られている箇所が多い。豪邸とも取れるだろうが見た目は完全に誰かが住むように設計されていない。
ユーシアは【DOF】の黒い煙草を咥え、
「やだね、こんな場所。まるで軍の施設みたい」
「その予感は的中しますね」
リヴがハンドルから手を離したその先には、見覚えのあるものが壁側に向けられた状態でずらりと並んでいた。
戦車である。陽光に照らされて黒光りするその戦車は、大砲の位置が一斉に壁へ向けられていた。まるでその先にあるものが脅威だと言わんばかりの光景である。
これだけの戦車を都内に集めるとは、日本では戦争の準備でもしているのだろうか。それにしたってあからさますぎる。これだけ立派な武器を揃えても、誰かに怯えているような恐怖心が拭えない。
ユーシアは並べられた戦車を一瞥し、
「戦車ね、あんなのどうするつもりなんだか」
「壁の向こう側が怖いんですかね」
リヴの視線が前方に投げられる。
目の前に
壁に近づいても、都内で好き放題に逃げていた時より静かだ。そういえば軍用ヘリコプターは1機も近づいていない。晴れ渡った空に黒い卵の形をした軍用ヘリコプターの気配はなく、嵐の前の静けさが逆に嫌な予感をさせる。
「扉だ」
「扉ですね」
白いバンを走らせていたら、目の前に巨大な壁が出現した。
城門を想起させる木製の扉である。分厚い木を切り出して作られたのか、それはそれは立派な両開き式の扉だった。扉の周辺には誰もおらず、巨大な扉が開いた時の為のスペースが確保されているだけだ。
見上げるほど巨大な扉から少し離れた箇所で、リヴは車を停めた。ゆっくりと停止する白いバン。完全に停まったところでユーシアとリヴはようやく外の世界に足をつけた。
冷たい風が吹きつけ、ユーシアの砂色のコートとリヴの真っ黒いレインコートを揺らす。扉は開いていないので完全に行手を塞がれたと言ってもいい。
「どうする、リヴ君」
「この先に行ってもいいですが、手段がありませんね」
リヴは真っ黒なレインコートの裾を持ち上げ、
「吹き飛ばす為の道具はたくさんありますよ。いかがです?」
「俺が使うの? 止めてよ、肩が逝くわ」
ユーシアは嫌な顔をしてリヴの提案を断った。
リヴは「忘れてました」と呟き、自分のレインコートの下をまさぐる。それから何かを地面に置いたと思ったら、そこからネアとスノウリリィが姿を見せた。親指サイズにまで縮めていた女性陣を解放したのだ。
レインコートの内側で括り付けられていた2人は、連れてこられた謎の場所を見渡して首を傾げている。「なにもないよ?」「そうですね……」などと会話をしていた。
自由の身となったネアとスノウリリィを立たせてやったユーシアは、
「2人とも、お車に乗っててくれる?」
「おくるまがかわってる」
「ここに来るまでに事故を起こしちゃったから、車を変えたんだよ。リヴ君がお菓子と飲み物を持ってるからもらってきな」
「わーい、りっちゃんおかし!!」
ネアはすぐにリヴへお菓子をおねだりしに行った。飛びついてきた概念幼女にリヴは「ふへぁ」という間抜けな声を上げ、要求通りに彼女の好きそうなチョコ菓子と飲み物を渡していた。
一方でスノウリリィは、ユーシアへ非難するような視線を突き刺す。レインコートの下から全てを見ていたのだろう。怒られるのが面倒なので、ユーシアは曖昧に笑って誤魔化しておいた。
スノウリリィは小声で、
「何をするのも勝手ですが、ネアさんだけは危険に晒さないでください」
「分かってるよ、あの子を危険に晒す真似はしない」
ユーシアは「ほら行きな」とスノウリリィを車に押し込む。車には商品らしいクリーニングの洋服が詰め込まれており、ネアとスノウリリィは狭そうにしながらも身を縮こまらせて後部座席に乗り込んだ。
外から扉を閉めると同時に、それらは認識される位置までやってきていた。警察車両である。ランプを点灯して警笛を鳴らしていないことから、そっとユーシアとリヴの後ろを一定の距離を保ってついてきていたのだろう。
ユーシアとリヴは互いの顔を見合わせる。実は一定の距離を保ちながら警察車両が近づいていることは知っていた。だから対処をどうするべきかと悩んでいたところだが、ここで撒けるならちょうどいい。
相棒である真っ黒いてるてる坊主に手を差し出したユーシアは、
「あれちょうだい」
「分かりました」
ゴトン、とリヴが足元に大きめの箱を滑り落とす。
革製の箱は、ユーシアのライフルケースと似通っていた。それもそのはず、このライフルケースも元々はユーシアの所持品である。ただ重たいし、馬鹿みたいに大きいのでリヴに持ってもらっていたのだ。
蹴飛ばしてきた大きめのライフルケースを一瞥してから、ユーシアは距離を置いて停まった警察車両に視線をやる。
『【OD】よ、大人しく投降するなら苦しまずに殺してやろう。最後の慈悲だ』
「さっきと同じことを言ってます。大人しく投降するなら苦しまずに殺してやると」
「だからやだって言ったじゃん。人の話を聞かないな」
ユーシアは肩を竦め、
「リヴ君、これ以上に死にたくなければほっとけって言ってくれる? レスバは任せるよ」
「少々自信がないですね。手が出そうです」
「自信がなくてもいいからレスバするんだよ」
確かにこういうことは、よく口の回るユーシアが担当していたような気もある。リヴは基本的に気が短い方で、何かあるたびに「殺しますよ」が口癖の殺戮ボーイだ。そんな彼にレスバを任せても、すぐに手が出ること間違いなしである。
でも、ユーシアには今回ばかり出来ない。何せ相手には日本語しか通用しないのだ。英語が通じるならばスラング全開でレスバを担当してもよかったのだが、ユーシアは日本語に不慣れなので語彙力を必要とするレスバには勝てない。
そんな訳で、リヴが真っ黒いレインコートの下から拡声器を取り出したところを横目に、ユーシアは大きなライフルケースの蓋を蹴飛ばす。衝撃で跳ね起きた蓋。その下から現れたのは、白い狙撃銃である。
『うるっさいですね、引っ込んでてくださいよ。僕たちにこれ以上は構わないでください、鬱陶しいな』
『投降しないのであればこの場で死んでもらう』
『死ぬのはどちらですか。ただの一般人から【OD】になっただけの雑魚とは違うんですよ、格が。こっちの方が断然に上ですからねポンコツども』
リヴが負けじと日本語で応戦しているうちに、ユーシアはライフルケースから純白の狙撃銃を拾い上げる。
それは狙撃銃と呼ぶにはかなり大きな部類――いわゆる対物狙撃銃である。戦車すらも吹き飛ばすほどの高威力を発揮する巨大な狙撃銃を持ち上げたユーシアは、銃口を木製の扉に向けた。薬室に弾丸を送り込み、準備完了である。
純白の対物狙撃銃を構えたユーシアは、扉を狙って引き金を引く。
――どがああああああああああああああ!!
盛大な爆発音を立てて、扉が吹き飛んだ。
対物狙撃銃でぶち開けた穴は車が通れるほど立派なものだ。これなら反撃される前に通ることが出来る。
ユーシアは対物狙撃銃をライフルケースにしまい込むと、重たいのを我慢しながら抱える。それから白いバンの助手席に飛び込むとすぐに扉を閉めた。
リヴも拡声器で応戦しながら運転席に乗り込む。それからアクセルを力一杯に踏んで、扉にぶち開けた穴へと飛び込んだ。
「やったねリヴ君、成功」
「ナイスです、シア先輩」
喜びの声を上げる2人が見たものは、
「何これ……」
「壁の外ってこんなになってたんですか」
荒れ果てた東京の街並みだった。
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