act :1【悪党、魔都に降り立つ】

【第1話】

『【DOF】規制法が成立して3年が経過しました。依然、世界的な犯罪発生率は変わらず――』



 無料でもらえたイヤホンから流れる音声が、心地よい眠気を誘う。


 ユーシア・レゾナントールは、飛行機の座席に取り付けられたニュース番組を聞きながら瞳を閉じていた。力なく項垂れた頭はゆらゆらと揺れており、明らかに眠っていることが窺える。

 直後に飛行機がガタンと大きく揺れた。気流の乱れに遭遇したのだろう、機体が盛大に揺れたことで身体が隣の座席めがけて倒れる。ユーシアは隣席の乗客にもたれかかることになるも、ぐっすりと眠っているので気づいていない。


 すると、



「鬱陶しいですね」


「いったァ!?」



 ユーシアがもたれかかっていた隣席の乗客が、髪を乱暴に引っ張ってきた。その激痛のせいで心地よい眠りを享受していたユーシアは飛び起きる羽目になる。


 隣席の乗客は、この場にいる乗客の中でもとびきりおかしな格好をしていた。雨模様でもないのに真っ黒いレインコートに身を包み、ご丁寧にもフードまで被った怪しげなてるてる坊主である。真っ黒なフードの下から覗く顔立ちは若々しく、やや長めの黒髪と黒曜石の双眸が特徴的な日本人だ。

 邪悪なてるてる坊主は「勘弁してくださいよ」とぶつくさ文句を言いながら、視線を自分の前の座席に戻す。背もたれに埋め込まれた液晶画面には可愛らしいドレスを身につけた少女たちによるアニメが流れており、今まさに敵を必殺技で退治しようとしている瞬間だった。明らかに女児向けアニメである。


 真っ黒いレインコートを身につけた乗客――リヴ・オーリオは毒を孕んだ言葉を吐き捨てる。



「寝るなら座席のテレビを消してください。さっきから興味もないニュースが垂れ流しになってて二重の意味で鬱陶しいです」


「ごめんって」



 ユーシアは適当に謝ると、垂れ流しになっていたニュース番組を消す。フッと明かりが消えると、液晶画面に草臥くたびれた男の顔が映り込んだ。

 くすんだ金髪と無精髭ぶしょうひげ、翡翠色の眼差しは世間を諦観しているような印象さえある。仕事に疲れ切ったおっさんのように見える自分の顔とご対面を果たし、早々に嫌な気分になる。


 背もたれに寄りかかって欠伸をするユーシアは、



「日本まだかなぁ、もうすぐだと思うんだけど」


「そろそろじゃないですか?」



 放映されているアニメがエンドロールを迎えたことで、リヴはイヤホンを外して視線を遠くに移す。


 いくつも並んだ飛行機の座席の向こうに、大きめの液晶画面が掲げられている。その液晶画面には地球儀が表示されていて、アメリカ大陸と日本列島が線で結ばれていた。その結ばれた線上を飛行機の絵がゆっくりと移動している。

 右上には『到着予定時刻まであと1時間』とある。空の旅も残り1時間となった。意外と快適に過ごせたと思う。


 手持ち無沙汰なユーシアは、再び座席の液晶画面をつける。先程と変わらない洒落っ気のないスーツ姿の女性キャスターが、とある薬品について説明していた。



『【DOF】はあなたの身を滅ぼします。強大な力に魅了されず、誘われても絶対に断りましょう』


「無駄でしょ」



 女性キャスターの呼びかけに、ユーシアはバッサリと切り捨てる。


 世界中で話題になっている、おとぎ話にちなんだ異能力が手に入る魔法のお薬――【DOF】。正式名称をドラッグ・オン・フェアリーテイルと呼ぶ。服用すれば誰でも簡単に漫画みたいな異能力を手に入れられるということで、世界的に大流行している。

 しかし、この【DOF】には欠陥があった。【DOF】は服用し続けなければ獲得した異能力が消えてしまう上に、強い幻覚を見ることになる。だから【DOF】を服用したが最後、永遠に【DOF】から逃れることは出来ない。真っ当な人生は歩めなくなる。


 その【DOF】を服用した人間は、過剰摂取になぞらえて【OD】と呼ばれるようになった。



「【DOF】を規制してもね、若い子なら異能力に憧れちゃうもんだよ。アメコミみたいにさ」


「さっきから独り言がうるさいですよ、シア先輩。ついに耄碌しました?」


「リヴ君、俺にも人の心はあるんだよ」



 リヴはあからさまなため息を吐くと、



「テレビ画面と会話をしているぐらいなら退いてください。僕はトイレに行きたいんです」


「何よリヴ君、いつになくご機嫌斜めじゃん」



 何故か妙にご機嫌斜めなリヴに道を譲ってやると、真っ黒なてるてる坊主は足音を立てずにトイレの方面へと歩いていく。同じ飛行機に乗る客が通り過ぎていくリヴの背中を二度見していた。その気持ちは分かる、だって雨でもないのに真っ黒なレインコートを身につけているのがおかしいのだ。

 遠ざかっていくリヴの背中を見送り、ユーシアは再び欠伸をする。壁に掲げられた液晶画面の映像は、飛行機の絵がほんの少し進んだだけである。到着するまでもう少しばかり時間がかかりそうだ。


 その時である。



「全員大人しくしろ!!」



 野太い英語が聞こえてきた。


 ふと顔を上げると、客室乗務員と見覚えのある真っ黒てるてる坊主を人質に取った目出し帽の野郎どもがいた。その手には軽機関銃が握られており、明らかにハイジャック犯であることが窺える。

 乗客たちは一斉に悲鳴を上げる。頭を下げ、身体を縮こまらせ、恐怖に震えていた。この場の誰もがハイジャック犯に服従した証拠である。


 ただ1人、ユーシアだけを除いて。



「うわ、リヴ君だっさ!! 捕まってやんの!!」



 ユーシアはリヴを指差して思い切り笑い飛ばしていた。


 トイレで席を立ったはずが、どうしてハイジャック犯に捕まっているのだろうか。リヴ・オーリオという青年を知っているユーシアにとって目の前の光景はどんなエンタメ映画よりも笑える内容である。

 ハイジャック犯の鋭い視線と、乗客による唖然とした視線がいっぺんにユーシアへ突き刺さる。針の筵状態とも呼べるが、神経が図太いのか周囲の視線などお構いなしにユーシアは「だっせえ、だっせえ」と連呼する。



「ご機嫌斜めだったから周りが見えてなかったんでしょ。ちゃんと自分の機嫌は自分で取りなよ」


「うるせえ野郎だな」



 ハイジャック犯の1人が、ユーシアの側頭部に機関銃を押し当てる。頭皮を通り越して頭蓋骨まで銃口の硬さが伝わってきた。



「このまま撃ち殺してやろうか、ああ?」


「おっと怖いね、両手を上げて跪けば許してくれる?」



 銃口を側頭部に押し当てられてもなお、ユーシアの余裕は崩れない。乗客たちはハラハラした目でユーシアを見ており、緊迫した空気が漂う。



「立て、お前から撃ち殺してやる」


「はいはい」



 ハイジャック犯の要求に従い、ユーシアは大人しく座席から立ち上がる。軽機関銃の銃口はユーシアの側頭部から後頭部に移動し、確実に息の根を止める為に指先が引き金にかけられた。

 もはや万事休すかと思われるが、ユーシアの表情は余裕綽々としている。むしろ状況さえ楽しんでいた。


 が、唐突にここでユーシアは顔を顰めて腹を押さえる。



「い、いたッ、いたたた……き、機内食に当たったかな……」


「おい、動くんじゃねえ」


「痛い痛い痛い、お腹痛い、あーもうダメ痛すぎ」



 腹を押さえてうずくまるユーシアは、



「判断が遅いな、引き金に指をかけたらさっさと撃たないと」



 懐に隠してあった自動拳銃を引き抜き、後ろに立つハイジャック犯など見向きもせずに引き金を引く。消音器が取り付けられた自動拳銃から、ぱすんという間抜けな音を立てて銃弾が放たれた。

 銃弾はハイジャック犯の顎を的確に射抜き、撃たれた衝撃でハイジャック犯は仰向けに倒れる。乗客の悲鳴が起きるも、ハイジャック犯の状態を確認した誰かが「え!?」と声を上げた。


 ハイジャック犯には、傷がついていなかった。確実に撃たれたはずなのに。



「お、おまッ」



 別のハイジャック犯が動き出す前に、ユーシアはリヴを人質に取るハイジャック犯の眉間を狙って撃つ。銃弾は真っ直ぐに飛んでいくと、狙った通りの位置に突き刺さった。

 撃たれたにも関わらず、血の1滴さえ流されていない。それどころか盛大ないびきを掻く始末である。どうやらこの状況で眠っているようだ。


 ハイジャック犯が素早く機関銃を構えるも、



「遅いですよ」


「がああッ」



 いつのまに現れたのか、リヴが機関銃を構えるハイジャック犯の背後に立っていた。その肩に大振りの軍用ナイフを突き刺し、痛さのあまりに転がるハイジャック犯を容赦なく蹴飛ばす。

 血走った目でハイジャック犯はリヴを見上げていた。真っ黒なてるてる坊主は死神にでも見えたのだろう、荒々しい呼吸をしながらズリズリと床を這って距離を取ろうとする。


 その頭を踏みつけたのは、



「やあ、どうも」


「あ、ぁ」


「大丈夫だよ、俺の弾丸は痛くないから。不思議だね」



 ハイジャック犯の頭を踏みつけたユーシアは、至近距離で相手の眉間に自動拳銃の銃口を押し付ける。



「いい夢を」



 ――このハイジャック犯は、実に運がなかったと言えよう。


 世界中を騒がせる【DOF】、そしてその服用者である【OD】の中でもとびきりの悪がいた。他人を殺すことに躊躇ためらいはなく、善人も悪人も一般人も【OD】も等しく殺していく悪党がこの世に存在する。

 彼らは米国を出発しており、本来乗る予定だったはずの2人の乗客を殺害してチケットを強奪し、今まさにこの日本行きの飛行機に乗り合わせているなど運がなかった。ハイジャック犯以上の悪者がいたのだ。


 それがユーシア・レゾナントールとリヴ・オーリオであると知る頃には、すでにハイジャック犯も地獄で言い訳をしているだろう。

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