第2話
そう、このパーティーはカミルの悪行を知らしめる為にアロイスをはじめとするクルマン地方の両家による計画であった。
時は1ヶ月前。
「ちょっと何があったのよ!?」
ベルンバッハー伯爵邸に、当主の姉のルイーザ・トラウト伯爵夫人が訪ねてきた。
「姉上!?先触れも無しにいかがなさったのですか?」
「何を呑気に…?今、私のいる王都ではベルンバッハー伯爵の評判が下がってるわよ?とんでもない令嬢の生家だと。でもおかしいわよね?ユリアーネはここにいるわよね?」
「ユリアーネですか?ユリアーネはここから外へは出てないですが?王都?尚更おかしな話ですが…」
このクルマン地方から王都までは日帰り出来る距離ではない。ほとんど社交をさせていないユリアーネが訪れることは不可能だ。
ベルンバッハー伯爵は横にいる夫人と顔を見合わせると、慌てて娘たちをこの場に呼んだ。
呼ばれた娘たちは突然の叔母の訪問に驚きを隠せなかった。
「フィリーネ!貴女、何か仕出かしてない!?王都に知り合いはいるかしら?何かしらのパーティーにお呼ばれでもしたかしら?」
姉妹の妹フィリーネに、母であるベルンバッハー伯爵夫人は声を荒げた。
「え!?何もしてません。王都になど出掛けるはずありませんわ。それに何かあったのですか?」
フィリーネは巻き上げた髪とピンクのドレスに身を包み、薄く化粧を施し美しく磨き上げられていた。
「社交でやらかすなら貴女しかありえないでしょ?」
「それとも、ユリアーネの名前を語って羽目を外しでもしたか?」
両親から責め立てられているフィリーネに、ルイーザも状況を把握した。確かに、ユリアーネの筈がない。ユリアーネはこの家で令嬢としてではなく当主代理として執務をやらされ、さらに小間使いのように働かされていた。その証拠にこの日も傷んだ髪を1つにまとめお仕着せを着て、化粧を施すこともなく荒れた指先を前に重ね、フィリーネの後方に立っていた。
「そんなことしてません!なぜ私がお姉さまの名前を語って羽目を外すようなことをする必要があるのです!?私がお姉さまを貶めることは絶対致しません!」
「だからって、ユリアーネはこの家で働き続けているのだぞ?ユリアーネ自身が社交に出向ける筈がない、そんな時間などないのだから!見目が醜いユリアーネよりも、麗しいフィリーネを可愛がってはいたが、貴族教育の出来は言わずもがなだからな。お前は教えても教えても身に付かん。それなのに少しの教育だけでユリアーネは難なくやってのけた。万が一数少ない社交の機会があったとしても、美しくない令嬢がいたと噂になることはあってもユリアーネならばベルンバッハーの名に傷がつくような行いなどせん!」
ベルンバッハー伯爵夫妻は、姉妹の扱いに差をつけている。見目の美しくない姉ユリアーネは邸に隠すようにし、貴族令嬢ではなく使用人の1人であるかのように置いている。片や妹フィリーネは両親の良いとこどりをした美しい見目を持ち、その美貌で人々を虜にしているためか努力を好まず、不器用なことが相まって令嬢としての品位や知性、所作が身に付かないでいた。着飾るばかりで金のかかるフィリーネと夫人のおかげで伯爵家は経済状況が芳しくない。当初伯爵の跡継ぎには姉ユリアーネを考えていた為貴族教育は一通りさせたが、見目が邪魔をし縁談は組めずにいた。元々仕事嫌いの伯爵は執務をユリアーネにさせて自堕落な生活を送っている。妹フィリーネは美しさを武器に裕福な貴族に嫁がせ伯爵家に支援をと考えていたが、中身の伴わないお飾りな女性を夫人にしたいと考える貴族はいなかった。クルマン地方ではフィリーネの評判が芳しくなく、心機一転姉ルイーザのいる王都で相手を探そうと考えていた矢先の出来事にベルンバッハー伯爵は焦るしかなかった。
「お父様、お母様。私たちではないと思います。お二人が考えているよりも、私たちは互いを想い合っていてこう見えて仲が良いのですよ。互いの評判を貶めることは自分の首を絞めることに繋がりますから、ベルンバッハーの名に傷がつくようなことは互いに致しません」
「お姉さま!!」
よくみると姉妹は手を繋いで互いを支え合っている。
互いに自分が娘というよりは伯爵家存続の道具として扱われていることに嫌気がさしており、慰め合いながら生活していた。
「では、一体誰が?」
そこへまた一人来客があった。
「お取り込み中すまないね。私も緊急に話があって、先触れもなく来させてもらったよ」
「!?これはシュテーデル辺境伯様!!いったいどうなさったのですか?」
「どうもこうもない。婚姻を結ぼうと届けを出したらユリアーネ・ベルンバッハーは独身ではないと返された。どういうことか?」
「「「「「え!?」」」」」
その言葉に一同は驚愕した。
アロイス・シュテーデル辺境伯は、クルマン地方の最北に領地を持つ。冷徹将軍と呼ばれており誰も近づこうとしない。それに目を付けたベルンバッハー伯爵はアロイスにユリアーネとの婚姻を持ちかけた。ユリアーネを時期当主に考えていたベルンバッハー伯爵は計画を変更した。醜いユリアーネは嫡子であることを武器に縁談を組もうとしていたが、中身の伴わないフィリーネにその武器を与え縁談を組もう。優秀な子息を迎えることが出来れば執務は上手いこといくだろう。そして美しさはないが品位と知識を備え堅実に仕事もできることを武器にユリアーネをシュテーデル辺境伯に嫁がせ、それを引き換えに辺境伯から支援金を賜ろうと考えた。跡継ぎ問題が生じていたシュテーデル辺境伯はこの条件を受け入れ、この度ユリアーネの輿入れ予定であった。
ルイーザといいアロイスといい、この二人の話を踏まえると、ユリアーネはどちらかの貴族と結婚し王都のどちらかのパーティーでやらかしていることになる。
「どういうことだ…?」
そこにまたまた来客があった。
「旦那様、あの先触れは無かったのですが今急を要する可能性があると一組のご夫婦がお見えになっております。お通ししてよろしいでしょうか?」
その夫婦の名前を聞くなりベルンバッハー伯爵は直ぐ様ここへ通すように指示した。
通された夫婦は一堂に会している状況に驚きが隠せなかった。しかしそこにいた姉妹を見つけると間違いないだろうと確信した。
「先触れもなく失礼します。この度は確認したいことがございましてこちらに急遽訪問させていただきました」
「いや、こちらこそ。こんな状況で迎えてしまって申し訳ない。おそらくその確認したいことというのが私達の混乱と同じことだと考えます。娘の婚約者である辺境伯様と王都に住まう私の姉も同席して構いませんか?」
「なるほど、もちろんでございます」
この夫婦の話を聞くと一同は納得すると共に、この一連の騒動の落とし前を付けるべく計画を立てた。
「アードルング現伯爵か…。トラウト伯爵夫人は接点はございますか?」
「先代夫人とは共通する友人がおりますわ。その友人に夜会を開いて貰いましょうか?」
「ああ!そのお方でしたら私も縁のある方の奥様だ。私の名前も出して依頼してください。費用はこちらも負担させていただくとお伝えください。王都でのベルンバッハー伯爵家の汚名を返上するためには多くの目撃者が必要です。王都でのパーティーだ。クルマン地方の貴族が参加するなど考えもしないだろう。ベルンバッハー伯爵にはその場に居合わせていただくだけで十分効果はありましょう。ユリアーネ嬢、君は何も心配いらないよ、私が守ると約束しよう。フィリーネ嬢、ついでに将来有望そうな男を捕まえようじゃないか、それまでに貴族教育に勤しみなさい。お二方もご安心を、必ずやお嬢様を取り返します」
冷徹将軍の指揮は的確で、この場に居合わせたことは精神的にも物理的にも幸運であった。冷徹将軍のイメージは変わり、ユリアーネは嫁ぐことへの不安が払拭され、今では生まれた温かい気持ちに困惑するばかりであった。
結果、パーティーを主催してくれた友人は、王国騎士団出身という共通点で参加者を招待してくれたのだ。ベルンバッハーとベルムバッハ両家はアロイスが帯同させた。
◇◇◇
「ところで、ユリアーナは何処にいるのです!?」
そう、当事者であるユリアーナはどうなっているのか。パーティー会場を後にすると、関係者らはカミルに続いてアードルング伯爵邸へと向かった。
伯爵邸に到着するとフランクとローザも従え、離れへと向かった。
「まさか!?ここに隔離しているのですか!?」
「隔離というのは語弊があるが、不自由はさせてません」
カミルが答え、フランクが「衣食住は保証しお一人で生活されてます」と補足すると、ベルムバッハ伯爵夫妻は驚愕した。
「何が不自由はさせてませんですか!?お一人で生活だなんて!!」
すると邸の扉を叩きながらベルムバッハ伯爵夫人は叫んだ。
「ユリアーナ様!ユリアーナ様!ご無事ですか?お迎えに上がりました!」
((((((ユリアーナ『様』?))))))
ベルムバッハ伯爵夫人の言葉に一同は違和感を覚えた。
するとその時、離れの中から女性の声がした。
「その声はお母様?今開けますわ」
中から出てきた女性を見た瞬間、アードルング先代伯爵とアロイスは慌てて跪き低頭した。ロッテ意外の者は二人の様子から事態を徐々に理解すると続いて低頭した。カミルは驚きで言葉を失っていたがロッテの「ちょっとみんな何してるの?」という呑気な発言に意識を取り戻し、慌ててロッテの頭を下げさせた。
「あら?皆さんお揃いでいかがなさったの?」
「ご無事でしたか?ユリアーナ様。まあ何て事でしょう、こんなに手が荒れてしまって…。申し訳ございません。もっと早くにお迎えに上がれれば良かったのですが…」
母親が娘に対する言葉遣いではないことに、ユリアーナも悟った。顔つきが変わると声音も口調も変わった。
「バルバラ、終わったのですか?」
「はい。知らせが届きました。反逆軍を鎮圧し、王族がこれまで通り王国を治めることになったと。亡命は終わります、ユリアーナ王女殿下」
◇◇◇
ユリアーナは隣国の王女だったのだ。隣国ヴィオランは反逆者たちによる争いから王族が次々に狙われた。第一王女のユリアーナは隣国にいるクラウス・ベルムバッハ伯爵とその妻バルバラの元に保護されヴィオランからの亡命を図った。クラウスはかつてヴィオランに留学していたことがあり、その際にバルバラと出会った。バルバラはユリアーナの幼少期に侍女を務めていたがクラウスとの結婚によりヴィオランを出ていた。
ヴィオランの王族は薄紫色の色素を持ち、髪と瞳はその色を受け継ぐ。それを知っていた騎士団出身のアロイスとアードルング先代伯爵はすぐに跪いたのだ。
「ねぇ、ちょっとカミル!いつまで押さえつけてるのよ。何で私が平民なんかに頭下げなきゃいけないの!?」
「バカモノ!平民はお前だ!立ち位置を入れ替えただけでお前の身分は変わらん」
「は!?身分を交換したんじゃないの!?貰ったんでしょ?」
「違う!厳密に言えば入れ替えて生活しているだけで、根本は変わってない!そもそも相手を間違えてたんだ。ここにいらっしゃるのはユリアーネ・ベルンバッハー様じゃない!ユリアーナ・ベルムバッハ様だ」
そもそも貴族と平民を入れ替えて生活しようなんて考えがおかしいのだが、カミルが自分の結婚相手にと打診した相手を間違えてしまったのだ。ユリアーネ・ベルンバッハー伯爵令嬢は社交にも出ず、その伯爵家は資金に困っていると下調べをしていた。入れ替わりをするには他とない相手である。カミルはベルンバッハー邸に赴いたはずが訪問先を間違えてしまい、打診した相手はベルムバッハ伯爵だったのだ。そこには年頃が近いユリアーナ嬢がおり、名前が似ていたことで間違いに気づかなかったのだ。ベルムバッハ伯爵家もまた資金に困っていた。子どもがいなかった夫妻の養子という形で王女を匿った。そこまで裕福ではなかった為、使用人も最低限に質素に生活していたが、ユリアーナの品格を落とさぬように使用人を増やし衣類や宝飾品にも気を遣った。ユリアーナ自体はそんなことしなくて良いと言っていたのだが、バルバラがそれを許さなかった。そしてクラウスが病を発症し寝込むことが増えると伯爵家の資金繰りが難しくなり、治療費の確保ができなくなっていたのだ。伯爵令嬢への婚約打診は、資金支援が魅力的であり、ベルムバッハ伯爵夫妻を慮ったユリアーナがアードルング伯爵との縁談に乗り自ら嫁ぐことを決めたのだった。
一同はアードルング伯爵本邸の応接室に移動し、なぜこうなってしまったのか照らし合わせていた。
「申し訳ございません。私共の監督不行き届きです」
アードルング先代伯爵夫妻は頭を下げた。
「いえ、私が決めたことです。そもそも身を隠す必要がありましたから、どちらかで婚姻を結び王家から離れることも狙いましたし、いざ輿入れしたら身を隠す生活を提案してくださいましたから、これは好都合と」
そんな裏があったとは、一同驚いた。
「とはいえ、当初は離れに使用人らも置いていたというではありませんか。今ではお一人で生活されていたなんて…」
この先代伯爵の発言に、フランクとローザはヒュッと息を飲んだ。
「最終的に提案し許可したのは私です。そちらのロッテ様が私の生活をお気に召さなかったようでしたので、フランクに提案したのですよ。生活費は頂いておりましたし、どなたかと交流が全くないことは少し寂しくもありましたが、途中から家族が増えましたし…」
ユリアーナの膝の上には首にリボンを巻かれた猫が寝ている。
「それに試薬が高くて手に入れられませんでしたから誰にも会わないというのは好都合でした」
「試薬?」
「はい。私はこの通り、ヴィオラン王族特有の見目をしておりますから、試薬で髪も瞳も黒にしておりました。約1年が経ち元に戻ってしまいましたから、表に出ることは難しくなっておりましたわ。幸い人目につかずに生活することが条件でしたから都合も良かったのです」
ベルムバッハ伯爵が受け取ったカミルからの手紙には、黒髪の赤子が生まれたとあった。ユリアーナの血をひけば黒髪なはずがない。手紙に書かれている名前にも違和感があり、よく見ると『a』なのか『e』なのか、『m』なのか『n』なのか曖昧だった。そこで、まさかと同じクルマン地方に住まうベルンバッハー伯爵を訪ねることになったのだ。クラウスとバルバラがベルンバッハー姉妹を見て納得したのは二人が黒髪であったからだった。この結婚の決め手であった令嬢の見目は黒髪で濃い色の瞳であり、ユリアーネ・ベルンバッハーであれば問題がなかったのだ。ユリアーナとユリアーネを間違えたのだと確信を得ることになった。
さらに、時を同じくしてヴィオランから知らせが届く。王族側が勝利し新国王がユリアーナを探している、ユリアーナが無事であれば祖国へ戻るようにという内容だった。結婚し幸せに暮らしているならばそのまま亡命を続けさせたが、そうではなさそうだとベルムバッハ伯爵夫妻は判断したのだった。
「ところで無事お子はお生まれになったのですか?」
「はい。お会いになられますか?」
ユリアーナはにっこりと頷くと、「お連れいたします」とフランクは答えローザに目配せると、ローザはレオナと名付けられた女児を抱いた乳母を伴い連れてきた。
「綺麗な黒髪の母親似のお嬢さんね。貴女のおかげで今こうして間違いが明らかになりましたわ」
ダークブロンドと黒髪の両親から生まれた黒髪のレオナのおかげだ。
「しかし、ユリアーネ様には大変申し訳ないことになってしまいました。ベルンバッハー伯爵、騒動に巻き込んでしまって申し訳ありません。ユリアーネ様はシュテーデル辺境伯と婚約されていたのでしょう?戸籍に傷がついてしまいましたね」
ユリアーナはベルンバッハー伯爵に謝罪した。
「いえ、王女殿下の所為ではございませんよ。そこのアードルング伯爵とその愛人の所為ではありませんか」
「そもそも私が違和感をそのままにしなければ良かったのですよ。書類の文字が汚すぎて読めず、名前が違っていることに気がつきませんでしたし、呼ばれている名も国が違うと言語も違いますし発声が違うのかと思っていました」
二人の言い様はなかなかのものだった。
「今後、カミルとロッテには然るべき処分を致します。本当に申し訳ございませんでした」
最後にもう一度アードルング先代伯爵が謝罪すると、今後の対応について話し合った。
◇◇◇
カミルとロッテは身分詐称とそのほう助の罪に問われ、カミルには王女監禁の罪も挙げ、カミルの伯爵位剥奪及び貴族籍からの除籍そして禁固刑、ロッテは不敬罪も問われ禁固刑または修道院行きが挙げられたが、ユリアーナ王女から二人の愛が本物であるならば、カミルの貴族籍除籍のみで平民として二人力を合わせて一からやり直すことで見逃すというのはどうかと提案があった。二人の間に本当に愛がまだあるかはわからないが、ロッテは涙を流し喜びカミルも同意した。
アードルング伯爵位は先代に戻し、1度養子縁組をしユリアーネとレオナを迎える処理をした。ユリアーネはユリアーネ・アードルング伯爵令嬢としてアロイス・シュテーデル辺境伯の元に嫁いだ。レオナはアードルング伯爵の嫡子となり伯爵夫妻が責任を持って育てることになった。
ベルンバッハー伯爵家では、フィリーネが王都から有望な男子を掴まえることに成功した。あのパーティーまでの間に努力をし、貴族淑女らしくマナーを身に付けたのだ。傾きかけていた伯爵家はシュテーデル辺境伯からの支援と優秀な婿により立て直すことに成功した。この出来事を機にベルンバッハー伯爵夫妻は心を入れ替え、伯爵は執務にもしっかりと取り組み、夫人は贅沢をやめるようになった。
シュテーデル辺境伯邸では、騒動のおかげでユリアーネのこれまでの環境を知ることになったアロイスが、ユリアーネが不自由のないようにとそれはそれは大切に扱ってくれた。アロイスの溺愛に蕩けそうになりながらもユリアーネは幸せな日々を送ることになった。
さて、ヴィオラン王国王女ユリアーナ・リーゼロッテ・ルーベンスはというと祖国へと戻った。
ヴィオランでは王族男子の生き残りであるヘルベルト・マリウス・シュヴァルツマン公爵令息が新国王となった。
「ロッテ!無事だったんだね!?良かった」
「マリウス!貴方も無事で何よりだわ。でも、その包帯…。傷を負ったのですか?」
2人は同い年で『いとこ』という間柄だ。
「大したことはないんだ。本当に君が無事で良かった。事情は聞いたよ。まさか君が平民として生活していたなんて」
「平民といっても伯爵邸で匿う形ですから、衣食住は保証されておりましたし、邸の手入れをするくらいでしたわよ?」
「それが本来は王女殿下のすることではないだろうに…。本当に君って人は。…こんなに手が荒れてしまって…」
ヘルベルトはユリアーナの手を取ると擦った。
「働く女性の手ですわね。皆さんに支えられて私がいるんだと思える良い経験でしたわ」
「何でも前向きに考える君が私はとても好きだよ」
好きという言葉に、ユリアーナは頬を染めた。
それを見たヘルベルトは意を決し、話を切り出した。
「ロッテ。君を探し呼び寄せたのには理由がある。王族男子で生き残ったものは私だけになってしまったため、私が新国王となった。他に生き残った王族の中で直系女子は君だけだ。君には私の妻になり共にこの国を立て直して欲しい」
直系の王族ユリアーナが王妃になれば威厳も保たれる。
「私でよろしいのですか?」
「王家の都合より何より私は君が良いんだ。私は幼き頃からずっと君を想っていた」
ヘルベルトはユリアーナの前に跪くと愛の言葉を紡いだ。
「君を愛している、私と結婚してくれ」
ユリアーナは目に大粒の涙を浮かべた。
「はい!」
そう、ユリアーナの想い人はヘルベルトであった。王女であったユリアーナは自分の想いを優先できる立場ではなかった。政略的に隣国王族に嫁ぐ案も出ていただけに、自分の想いが成就するとは思わなかった。
「っ!私もです。マリウス。私も幼き頃から貴方を想っておりましたわ」
「本当かい!?嬉しいよ!どうかずっと私の側に…」
ヘルベルトは立ち上がりユリアーナを抱き締めた。
「ええ。私の方こそ、お側に置いてくださいませ。本当に…貴方が生きていてくれて良かった」
ユリアーナはヘルベルトに寄り添った。
「こんな日が来るなんて信じられないよ」
ユリアーナの初恋が実り、これから忙しくも幸せな日々を過ごすことになるのである。
◇◇◇
「ねぇ、マリウス?猫は大丈夫?」
「猫?私は動物は好きだが?」
「実は一人暮らしをしている時に家族になった仔がいるのよ。一緒にいても構わない?」
「もちろんだとも」
「ずいぶんと美しい仔だね。飼い主に似たのかな?」
モニカはヘルベルトが気に入ったのか、足元に纏わり付き離れようとしない。
「私のことを受け入れてくれたようで嬉しいよ」
ヘルベルトはモニカを抱き上げると鼻を合わせた。
「何だか妬けますわね」
「妬いてくれるのかい?素直で可愛いんだなロッテ」
ヘルベルトが今度はユリアーナの頬に手を添えると自身の鼻をユリアーナの鼻先に合わせた。ゆでダコのように真っ赤になったユリアーナを愛しげに見やると、軽く口付けた。
「続きはまた今度」
その言葉にユリアーナはのぼせて腰を抜かしてしまった。その様子にヘルベルトは安堵した。伯爵に身分を利用する目的で輿入れさせられたと聞いていたが、その伯爵とは深い関係にはならなかったということだろう。満足気に笑みを浮かべユリアーナを支えた。すると、ユリアーナが「あ!」と声をあげた。
「どうした?」
「私が連れてきたのはモニカだけではないのです。こちらも聞いてくださいますか?」
侍女に指示を出し入室させたのは、ローザをはじめとする離れに仕えた使用人らだった。
◇◇◇
ユリアーナが王女であると判明したあの日、離れに勤めていた使用人らは青ざめていた。使用人の分際で親しげに会話し、さらにいえば主に仕事までさせてしまっていた。最も驚いたであろう彼らを慮り、ユリアーナはアードルング先代伯爵にある提案をしたのだ。
「ローザ」
ユリアーナに名前を呼ばれたローザはヒュッと息を飲むと、恐る恐る返事をした。
「隠していてごめんなさいね。だから貴女は何も悪くないのよ?不敬などは不問ですわ。ところでアードルング先代伯爵?彼女らを私に預からせてはいただけませんか?とはいっても本人達の意見も尊重させていただきますが」
「王女殿下がそうおっしゃるのでしたら、勿論でございます」
ユリアーナはローザに離れに仕えた女中とシェフと従僕を呼ぶよう指示した。そして彼らに国を出て自分に付いてくる意志はあるか確認した。
「私はあなた方のおかげで1年間1人で過ごすことが出来ました。離れで生活を共にした間に何も出来ない私に生活する術を教えてくれたのはあなた方です。感謝しかございません。突然の提案で失礼を承知の上お願いがございます。私は国に帰ります。新しいヴィオランでの私の立場はまだわからない状態で申し上げることではないと思うのですが、私に付いてきてくださいますか?」
この提案に4人は即答した。
「「「「是非お供させてください」」」」
◇◇◇
「私の命の恩人とも言える方達ですわ。国を跨いでしまいましたから、言葉や文化の壁もあるかとは思うのですが、彼らを側に置きたいと思いました。よろしいでしょうか?」
「君が認めた者たちなのだろう?それとも君の友人というべきか?構わないよ。それにしても、猫だけでなく人も連れてくるとはな」
ローザたちに向き直るとユリアーナは告げた。
「私はこの国の王妃となります。あなた方には引き続き私に仕えていただきたいと思います」
ローザらはユリアーナの立場が決まったことに安堵し、さらにそれが王妃であるという事実に恐縮した。
「それに備えて、まずは私の両親となってくれていたベルムバッハ伯爵夫妻の元で言語と文化を学んでいただけたらと思います」
ユリアーナはクラウスとバルバラも連れてきていた。
「なるほど。ベルムバッハ伯爵夫妻に物申したい所はあるが、夫妻が反対する中、ロッテ自身で決め行動していたと聞いているからこれまでのことは不問にする。そしてこれからに期待している」
クラウスとバルバラは頭を下げた。
そしてローザはあることに気がついた。その様子にユリアーナは発言の機会を与えた。
「ローザ、何か聞きたいことがありますか?」
「あの、私たちが離れでユリアーナ様をお呼びする際、愛人様のお名前である『ロッテ様』の方がわかりやすいとされたのは、ユリアーナ様が『ロッテ』という愛称で呼ばれていたからですか?」
「ええ。皆さん私のことを『ユリアーネ』とお呼びになっていましたが、私は『ユリアーナ』ですから違和感がありましたの。私のミドルネームは『リーゼロッテ』ですから、親しい人からは『ロッテ』という愛称で呼ばれていますのよ。ですから皆さんには『ロッテ』と呼んでいただきましたわ」
ユリアーナはローザににっこりと微笑むと、横にいるヘルベルトを見上げた。
「『ロッテ』と呼んでいたのが私だけではなかったのが寂しいが、入れ替わっても君でいられたのは彼女らが君の名を呼んでくれたからだね。君の大切な人達だと言った君の気持ちを理解できた気がするよ。これからもよろしく頼むよ」
国王にも認められ、4人はさらに恐縮するのであった。
復興には時間を要したが、新しい国王夫妻を国民は支え、亡命中多くの経験を積んだことで、身分に隔たりなく接し国民に寄り添い多くの人に愛されたユリアーナはヴィオランを象徴する国母となったのだった。
わりと幸せに暮らしておりましたが、周りが代わりに断罪してくださいました 茉莉花 @matsurinka
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