第03話 二人は犬猿の仲


 バックヤードを出て。キッチンに立つ、香坂先輩が目に入る。先輩も俺に気がついたようだ。


「お、着替え終わったな。桃香はどうした? 二十分前くらいに、お花摘みとか言ってどこかに消えてしまったが」

「右京のやつ、バックヤードに居やがりましたよ」


 先輩の顔色が変わる。


「はぁ? バックヤードって、あいつ……まさかサボっていたのか?」

「それがですね。なんか俺を待ってたっぽくて」

「……ああ、そうか。分かった。すまないな、渚沙。これはどうやら私達の問題らしい」


 香坂先輩は何かを悟ったような表情をする。

 その瞬間、バックヤードのドアがガチャリと開いた。エプロン姿の右京がルンルンと登場する。


「なぎせんぱーい。遅くなってごめんなさ――」


 その瞬間。


「おい、桃香」


 地の底から聞こえるような低い声。それが、香坂先輩の口から響いた。


「ひゃっ!? ……と、透先輩……」

「お前、私になにか言うことはないのか?」


 香坂先輩の鋭利な視線は右京にぐさりと突き刺さっている。


「え、えーっとぉ……あはは、透先輩、そんなコワい顔しないで下さいよ」

「一体全体誰がそうさせているのか、貴様は分かっているのか?」

「き、貴様って……な、なぎ先輩もちょっとは庇ってください!」

「残念だが右京、ここにお前の味方は居ない」


 無論である。バイトをサボっていたことを擁護する余地はない。


「そ、そんなぁ……むぅ」

「右京。こんな状態じゃ、気持ちよく仕事も出来ないだろ? ちゃんと謝ったほうが身のためだぞ」

「なぎ先輩がそう言うなら……ご、ごめん、なさい」


 渋々といった様子で謝罪をする右京。香坂先輩は、満足こそしないものの納得した様子だった。


「……今度から気をつけるんだぞ」


 そう一言だけ言うと、香坂先輩はこちらには目もくれずに調理に戻ってしまった。


「右京、んじゃあお前は、あっちのテーブル席のカトラリー片付けてくれ」

「……はーい」


 右京はキッチンの物干し掛けに掛けられていた布巾を手に取ると、俺が指差した方にだらだらと歩いていった。


 ◇


 夕方。時刻は午後六時半。もうすぐ店じまいで、お客の勢いも落ち着いている。そのお陰で、普通の声量でなら、会話も可能だ。

 ……というわけで、俺と香坂先輩は雑談に興じている。


「ほう? そうなのか」

「はい! いやー、ほんとに良かったですよ。このバイトやってたお陰で、推しが引けましたから」

「良かったじゃないか。私は、そういうのはあまり詳しくないが、ふむ……そのゲーム、スマホでも出来たりするのか?」


「はい。確かスマホとパソコンの両方で出来たと思います。あ、あと。誘った友達は招待コードっていうのを入力すると、初回のガチャが三十連無料になってですね……」


 と、カウンター席の奥の方から小さな声が聞こえる。詳しくは聞こえなかったが。


(あー、また私が見てない間に二人で話してる! なぎ先輩、そんなオバサンと話さなくていーんですよぅ)


「貴様、辞めたいのか?」

「ひゃ!?」


 どうやら、香坂先輩には筒抜けだったようだ。


「なにか文句があるなら、直接本人に言ったらどうだ? 私はいつでも歓迎するぞ」

「え、えーっと……」

「何も無いなら、仕事に戻ってくれ。私はもう少しだけ渚沙と雑談をするが、構わないだろう? 貴様は仕事を二十分もサボったんだからな。それくらいの働きはしてもらわないと困る」


 唇を噛む右京。なんだろう、カ○ジみを感じる。


「くぅ――っ! つ、つまり、あと少なくとも十分はなぎ先輩と――」

「ああ、そうだ。渚沙を少しくらい独占したって、バチは当たらないだろう?」


「それはっ――――だめですよ!」


 大きな声が店内に響き渡る。


「おい、右京。もうちょっとボリューム抑えろ」

「なぎ先輩はわたしのなんだから! 大人になったらケッコンして、ド田舎の古民家をリフォームしてなぎ先輩と一緒に住むんだから!」


 絶句。


「け、ケッコン?」

「そうです!」


 右京の頭の中を見てみたい。いや、本当に。


「右京……それはない」


 俺は少なくとも、右京にそういう感情を持ったことはない。それは、昔からずっと一緒に過ごしていたからというのが大きい。昔からの付き合いすぎて、妹のようになっているのだ。俺の家族からも、ほぼ家族のような扱いを受けている。

 だからこそ、右京をそういう目で見ることが出来ないのだ。本当に申し訳ないが。


「はぁ――!? な、なぎ先輩まで何言ってるんですか! わたし達幼馴染なんですよっ! ラブコメじゃあそんなポット出のオバサンよりカップリング率高いんですよ!?」


 右京はものすごい剣幕で、乱心しながらそう叫ぶ。キンキンとした叫び声が耳を突き刺した。


「……うー、頭痛い。香坂先輩、ちょっと厨房の隅の椅子借りていいですか」

「ああ、今日は渚沙もよく働いてくれたからな。ゆっくり休んでくれ。……桃香、そんな戯言は後にしろ。もうすぐ店じまいだから、すべての机を一通り拭いてくれ。……あ、今週のトイレ掃除はお前だからな。忘れるんじゃないぞ」


 右京のボルテージは最高地点に達したようだ。


「むっきーっ! 何ですか何ですか! 二人してわたしをのけ者にして夫婦みたいな会話して!」

「夫婦要素はなかっただろ……」


 香坂先輩は、何やらぼそぼそと呟いている。


「夫婦、夫婦か……ふふふ」


「ぜーったいなぎ先輩はわたしのなんだから! 透先輩も覚悟しといてくださいよっ!」

「ああ。友人スピーチは頼んだぞ、桃香」

「スピーチ……?」


 いまいち会話についていけない。

 俺は混乱する頭を抱えながら、十分ほど厨房の椅子で休憩した。


 ◇


 カフェのドアの前。俺と香坂先輩は、夜風に吹かれながら佇んでいる。


「じゃあ、今日もお疲れ様だ。渚沙、明日も来れそうか?」

「はい。行けると思いますよ。ちなみになんですが、今日は先輩のお父さんはどうされたんですか?」

「ああ……父は今日、少し店の様子を見た後帰っていったよ。三人体制で運営できるから、俺が居なくても大丈夫だろって言ってたんだ」


「そうなんですね。……じゃあ、俺はこの辺で」

「ああ。桃香がまだトイレ掃除をしているから、私は残るよ。戸締まりをしなくちゃだからな」

「分かりました。じゃあ、お疲れ様でした」


「ああ。お疲れ様」


 香坂先輩と別れ、俺はカフェを後にした。 

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