信号機コラッ!

そうざ

The Signal Says "Kora!"

 赤信号だというのに友人が何も考えずにすたすたと横断歩道を歩いて行くので、制止しようかと思ったが間に合わなかった。


『ぐぅうおぉるああぁーっ!!』


 赤信号の部分がぱかっと開き、真っ赤な顔が鬼の形相で友人を睨み付けている。

 ぶるっと震えて立ち止まっていた友人は、すごすごと後ろ歩きで傍らまで戻って来た。

「……心臓が止まるかと思った」

 二人して信号機を見上げる。赤信号の部分がぱこっと閉じ、青信号が燈った。深夜の静寂が戻ったが、さっきまでの微酔ほろよいはすっかり冷めてしまった。

 地方都市のターミナル駅前の交差点に佇むのは俺達だけ。はなから車の往来はなく、代わりに行き過ぎるのは熱帯夜の微風だった。田舎なんて何処もこんなものだ。

『通りゃんせ』のメロディーが流れる中、俺達は何事もなかったように横断歩道を渡った。


 子供の頃、俺はどうやって横断歩道を渡っていたのか、はっきりとした記憶はない。

 最近の子供達がやっているように、信号が赤から青になったら、右を見て、左を見て、片手を挙げて渡っていた気もする。

 いつそれをめてしまったのだろう。

 或る年齢になったらもう手を挙げなくても良いと指導された記憶も、今日からもう手を挙げないと決めた記憶もない。

 なのに、気付いたら止めていた。


「なぁ……もう一回、渡ってみねぇか?」

 歩きながら友人が呟いた。

「あの横断歩道を?」

「うん」

 もう駅前から離れている。

「もう叱られたろ」

「そうだけど……さっきは心の準備が出来てなかったし」

 時刻は深夜一時を回っていたが、どうせ明日からはまた退屈な一週間が始まるだけだ。もう少し何かがあっても良い筈だ。


 片や通らない車に執着する青い目、片や剥がれ掛けた横断歩道に依存する赤い目。共通点は無駄な電気代。

「丁度、青になっちゃったよ」

「青じゃ意味がない」

『通りゃんせ』をBGMに赤信号を待つという不思議な時間。

「……お前の親父おやじさんってさぁ」

け切れず、電柱にドカーンッ」

 俺がはしゃいで返したのに、友人は神妙な面持ちを崩さない。

「悪ぃのは赤信号で渡った歩行者の方だったのにな……」


 ダンプの運転手だった親父はよく言っていた――横断歩道で車が来るかどうかは自分で見極めろ、何も考えず信号に制御されて待ってるなんて人間性の放棄だ――。

 人類が途絶えたような深夜の横断歩道で信号が変わるのを大人しく待つ、あの何とも言えない空隙のような一時ひとときを何に例えよう、などと普段から考えている俺が居たのは確かだ。

 でも、その父親が信号無視の歩行者の所為で事故死するとは、きっと寂れた駅前の横断歩道という油断があったのだろう。俺は、こんな笑えない喜劇もあるのかと呆れる事しか出来なかった。


 青信号が漸く点滅を始める。

「子供の頃、よくお前の親父に怒鳴られたなぁ」

他所よその子にもお構いなしだったからな」

「昭和の大人かよって」

「だよな」

 信号が赤くなった。車は相変わらず来ない。

「渡ろうぜ、今度は二人で」

「全く物好きだな、お前は」

 同時に縁石に足を揃え、せぇので一気に突っ走った。


『ぐぅうおぉるああぁーっ!!』


 鬼の形相が星のない熱帯夜に怒声を響かせた。

「やっぱ変わんねぇわ、うちの親父っ!」

「懐かしくて泣けるぜぇ!」

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信号機コラッ! そうざ @so-za

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