タイガーシャークとマイファミリー
武州人也
スピルバーグのあの映画にも出演しているサメ
その日、僕を含む魚類担当の職員は大忙しだった。
僕は「サメの海水槽」の上から網を振るって産まれたばかりのサメたちを捕獲、それをバックヤードの予備水槽に入れる、という作業を行っていた。混泳している他のサメたちに食べられる前に、小さな生命たちを素早く回収しないといけない。僕たち職員は額に汗して、せわしく回収作業を行っていた。
一か月前、僕が勤務する「シャークワールド
イタチザメというのは成魚の全長が三メートル以上になる大型のサメで、英語名では「タイガーシャーク」という。色んなものに見境なく食らいつく習性があり、人間を襲うこともある危険なサメだ。一方、人の飼育には慣れにくく、水族館で長期の飼育をすることは難しい。一年以上の飼育に成功した記録は数えるほどだ。
搬入されたイタチザメは全長二.八メートルのメスだった。元々「サメの海水槽」にいた中で一番大きかった二.四メートルのクロトガリザメをも上回る巨体の持ち主だ。その上驚くべきことに、このイタチザメは妊娠しているとのことだった。
いつ生まれるのか……僕たちは日々の業務に追われつつ、じっとイタチザメの観察を続けた。そうして一か月、寝ずの番をしていた職員の前で、とうとうイタチザメが三十二匹の仔を出産したのだった。
水槽内にはクロトガリザメ、レモンザメ、シロシュモクザメ、オオメジロザメなど、二メートルを超える大型のサメが混泳している。仔ザメたちの体長は八〇センチメートルほどで、他のサメたちにとっては食べごろサイズの餌でしかない。早く回収しなければ、仔ザメたちが他のサメたちの餌食になる危険があった。特に、凶暴で知られるオオメジロザメは前科持ちの危険な混泳魚だ。僕が就職する四年ほど前に、混泳魚のクロヘリメジロザメに噛みついて殺害してしまうという事件を起こしている。
全ての仔ザメを回収したとき、僕はもうヘトヘトで、脚が棒のようになっていた。僕はバックヤードの椅子に座って、ひとまず休憩をとることにした。
ひと息ついていると、魚類担当の先輩、大友さんがやってきた。大友さんは冷えたペットボトルのお茶を、僕の額に押しつけてきた。
「おう
労をねぎらってくれた大友さんに、僕は頭を下げて小さく礼を言った。
「畠山、もう上がっていいぞ。後はこっちでなんとかしとくから」
「え、いいんですか?」
これから忙しくなると思っていたので、僕は聞き返してしまった。イタチザメの水槽内出産は前例がないわけではないが、貴重な事例だ。そこから得られる知見は計り知れない。それなのに、若手の僕が早く帰っていいんだろうか。
「家で嫁さんと息子さん待ってるんだろ? 寝ずの番させちまって、悪かったな」
「いや、そんな……こんなときですし」
「サメの子どもも大事だけどよ、人間の子どもだってそうだろ。ホラ、寄り道せずに帰った帰った」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
ありがたいことに、この後の業務を代わってくれるようだった。イタチザメのことも気になるけど、僕には大事な家族がいる。愛する妻と、目に入れても痛くない息子が帰りを待っているはずだ。
僕は疲れをどっさり乗せた体で、職場を後にした。
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