第26話
「いいですか、ここから先はず〜〜っと徒歩です。山道です」
「そうだねぇ」
「そして私は体力のない箱入り娘です」
「よく分かってんじゃん」
「そういうことは週一回まで、いいですね」
そんな誰にも聞かせられない約束をして、私達はいよいよ最終目的地に向けて出発した。
最低限の着替えや水筒、ナイフなどの必需品とお金を詰めた荷物だけでこれから渓谷まで生き抜かなければいけない。
天気をきちんと見つつ危険を避ける判断力、毎日一定の距離を歩く持続性のある体力、どちらも持ち合わせていない私はグエンの指示に従うことを決めた……そういうこと以外は。
「まぁそんなに気負わないでよ、祭りまでに着いたらいいんでしょ?」
グエンは最悪当日入りでも私の儀式に間に合えばいいのかもしれないけど、私は違う。家族に今までの感謝を伝えたいし、儀式に向けて身体を清めたり色々と準備がある。
「……でも、あんまり遅くなるのは嫌です。余裕を持って着けるように頑張ります」
「そう?」
なぜ、とは聞かないグエンに内心安堵した。先を歩くグエンは私に歩幅を合わせてくれているのか、思ったよりも遅めのペースで坂道を登っていく。
「整備されてるからまだ歩きやすいね。整備してくれた侯爵家には感謝だよ」
「そりゃまぁ、侯爵家も自領は潤った方がいいでしょうから」
「確かに」
これ以上無駄話をすればボロが出てしまうかもしれない。会話で体力を消費するのも避けたいので、私はできるだけ会話が生まれないようにグエンの真後ろに回った。
「あつ……」
グエンの言葉通り、この季節の街道はとても暑い。ここから標高が高くなるにつれて少しずつ涼しくはなっていくけど、やはり体を動かすと体温は上がるし太陽の照り返しもなかなかのものだ。
でも、普通の人たちはこの道を歩いて私たちの領に来てくれているんだ。私も頑張ろう。
そうして山を登ること数時間、私たちは街道沿いにある小屋で休憩を取ることにした。
「疲れました〜」
「はは、お疲れ。ここでちょっと水飲んで涼んでおこうよ」
直射日光の当たらない小屋はひんやりと涼しくて、初めての経験に熱る身体をクールダウンさせてくれる。
でも、この街道が出来る前はみんな険しい獣道を通っていたんだから、贅沢は言っていられない。
こくこくと貴重な水を飲んで喉を潤すと、同じく水を飲んでいるグエンの顔が少し赤くなっている事に気づいた。
「日焼けですか?ヒリヒリして痛そう……」
「ん?あ、本当だ。いつも帽子被ってたからうっかりしてたわ」
「帽子被ってくださいよ、日焼けは体力を奪うって聞きました」
「そうだね。じゃ、久々に被るとしますか」
木々が陰を作ってくれていても、長時間外にいると日光で体力を消耗してしまう。とはいえグエンは軍の経験もあって体力もあるから、この程度なら耐えられるのかもしれないけど……それでも心配してしまうのが、人の心というものだ。
「そっちこそ大丈夫?しんどかったら揉んであげるよ。腰とか」
「週一回だけの約束ですけどいいんですか?」
「そうだった……」
軽口を叩く余裕が出てくるくらいには、お互いに体力が少し回復したらしい。
「こうやってちょっとずつ休憩して、水飲んで軽く携帯食食べて寝て……を繰り返してたらいつの間にか着いてんだろうね」
「確かに、初日はすごく長く感じますけど、慣れたらあっという間ですもんね」
「なんでもそうだよ、初めてのことってすごく刺激的だから長く鮮明に感じる」
思えばこの旅もそうだった。最初にグエンと出会った街の靴磨きの少年の顔や川辺の村で魚を焼いてくれた女性の顔は鮮明に思い出せるけど、旅に慣れていくにつれて漠然としか思い出せない人もいる。
「人生もそうだって言いますよね。子供の頃の時間はすごく長く感じるけど、大人になってからは風のように早く過ぎ去っていく」
「あるある。人生に慣れちゃうんだよね」
俺も都に来て楽しかったのなんて一ヶ月くらいだよ、と身体を伸ばすグエン。
私もビスケットを食べ終えて節々や筋を伸ばすと、溜まっていた疲労が流れていくような心地良さに包まれた。
「はぁ……きもちいい……でも疲労は疲労でも悪くない疲労感……」
「生きてるって感じだよね」
「本当に、身体も喜んでます」
そうこうしている間に小屋には他の旅人たちも入って来たので、休憩を終えた私たちはそろそろ再出発することにした。
「じゃ、また頑張ろう」
荷物を背負って小屋を出ると、目の前を貴族の馬車が通り過ぎていった。この前まで自分たちも馬車で旅をしていたわけだから別にそれ自体は変なことではないんだけれど……
「いいなぁ……」
「はは、でもかなり危ない賭けだからね」
羨ましい、山賊に襲われる危険がある以上歩いて登るのが一番賢いとは分かってても、目の前の辛さを思うと羨ましかった。
「私、今成長してます」
「お、ちょっとは平民の気持ち分かった?」
「はい……妬ましいです……」
領民はもっと大切にしよう、そう兄に進言すると心に決めて私は疲労を訴える脚に鞭を打ったのだった。
そうして一日。
「今で全体の何割くらいですか?」
「1割以下」
「えっ……」
また数日。
「今で半分くらいですか?」
「3割くらいかな」
「えーん」
またまた数日経って。
「の、残り半分!」
私たちは折り返し地点の宿場町に到着した。
「いや、流石に疲れるね」
日もとっくに沈んでいて、漸く宿に入れた私たちはすっかり疲れ果てていた。
「ベッドだ〜!」
今まで泊まった中で一番簡素な宿。最低限のベッドしかない狭小客室、それでも十分有り難かった。
今までは山小屋だったり、寝袋で野宿だったり、とにかく寝ても寝ても体力が回復しなかった。やっと個室で安心して眠ることができる、そのことがなにより嬉しかった。
「あ〜〜気持ちいい」
人目を気にしてずっと拭けなかった身体にひんやりとしたタオルを当てる。気持ちいい、ずっと汗だくで気持ち悪かった。
「あの〜、ちょっと後ろ向いてもらっていいですか?服脱ぎたいので」
「あ、わかった」
流石のグエンもこんな疲れる旅の中でそういう気分になることはないのか、案外あっさりと背を向けてくれた。
するすると晒を外して深呼吸する。これがあるせいでまた余計に暑いし苦しいのだ。別に貧乳だからいらないとは思うんだけど……
「終わったら教えてよ」
ちらりと背後を見ると、グエンはちゃんと後ろを向いてくれていた。
……今から外してみて、グエンが気づかなかったら外しておこう。
初見で腰を見て男装を見抜いたグエンが気づかなければ他の人は多分気づかない。
正直この息苦しさには飽き飽きしていたし外せるものなら是非とも外したかった。
汗で蒸れた胸元と腰を綺麗に拭いて、晒を巻かずに比較的ゆったりとした服を着る。それだけでかなり風通しが良くなって、私はご機嫌でグエンに声をかけた。
「もういい?」
「どうぞ!」
「じゃあ今度はティーニャが後ろ向いててね。別に見てもいいけど」
「ちゃんと後ろ向いてますね」
グエンは何度か川の水を浴びたりはしていたけど、それでもやはり気持ち悪かったらしい。
グエンが身体を拭く横でベッドに脚を乗せて疲労困憊の脚をマッサージする。
「今日は疲れましたねぇ、もう直ぐに寝れそう……」
「山場だったからね。でもここ越えたらあとは楽だから」
「ふぁ……」
眠い目を擦りながらふくらはぎを揉みしだく。
ぐりぐりと凝り固まったところをほぐすと、何とも言えない痛いような気持ちいいような感覚になる。
「ティーニャ、終わったよ」
「はぁい」
血流が良くなって身体がポカポカしてリラックスしてきた。
今日は本当に眠い。ずっと眠りが浅かったから、宿に来て安心してるのかもしれない。
「ティーニャ?」
「んむ……おやすみなさい……」
負けた、眠気には勝てない。
グエンを置いてモゾモゾとベッドに潜り込む。
そんな私を、グエンがじっと見つめていたことに気づくことなんて気絶するように眠った私には到底できなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます