第23話

 ティーニャが乙女かもしれない。


 その事実にすっかり目が冴えてしまった俺は、すやすやと眠るティーニャをぼんやり眺めていた。



 思えば最初から怪しいところはあった。そもそも貴族の令嬢がお忍びで旅をすることはあっても、一人の護衛もつけないなんてあり得ない。


 俺が都で見たティーニャの弟もおそらくティーニャの身を守るために人目を避けて路地裏にいたんだろう。



「んん……」



 俺の胸に顔を擦りつけるティーニャに湧き上がる愛しさが今はこんなにも苦しい。


 よりによってどうしてティーニャが乙女なんだ。

 運命を恨んでも仕方ないとは分かっていても、余りにも残酷な真実にこの世の全てが憎らしく見えた。


 攫うか?どこかに閉じ込めて儀式を中止させるか?




「グエン……いやジャック、いるか」



 そんな不穏なことを考えているときにふと遠くから聞こえた声。……レイモンドだ。


 ティーニャを起こさないように腕を抜いて起き上がると、サンルームに男の影が見えた。



「お前、一体どうやって……」



 シャツ以外の服を着て慌てて窓辺に寄る。間違いない、レイモンドだ。



「話は後だ、見つかるとまずい。中に入れてくれ」



 中に、と言っても部屋にはティーニャがいる。今は眠っていて瞳は見えないとはいえ、彼女を他の男に見られるのは嫌だった。



「……俺も眠いから、そこで手短に言って」

「はぁ……分かった。要件は二つ。まず乙女を殺す以外の方法が見つかった、かもしれない」



 願ってもみなかった情報に思わず目を見開く。ティーニャを殺さずに儀式を阻止できるなら、俺の今の悩みはすべて解決する。



「古い書物に乙女が儀式をしている場面を描いたものがあった。乙女が宝石に口付けをしている場面だ。その宝石が何なのかはまだ分からないが儀式の鍵であることに間違いはない」



 その言葉にティーニャが俺に宝石を渡すときにキスをしていたのを思い出す。そのときは特に何も思わなかったけど、もしかすると何か意味のある行為なのかもしれない。



「つまりそれを壊すことができれば」

「あぁ、儀式は成立しない……まぁ念には念を入れて乙女も殺しておけというのが辺境伯の指示だが」



 今までは信頼していた辺境伯の指示に、下手に殺しをして侯爵家を敵に回すのはどうか、なんて自分に都合のいい反論を考えてしまう。


 自分も今まで革命の動乱に紛れてティーニャと結婚しようと乙女の暗殺を企んでいたのに、ティーニャがそうだと分かると考えがまるで変わったのだ。



「で、あと一つは?」

「さっさと乙女を見つけろ、だそうだ」

「なんだ、そんなことか」

「そんなことではない。乙女が見つからないことには取っ捕まえて宝石の正体を吐かせることもできないんだぞ」



 取っ捕まえる?

 とんでもないことを言うな。ティーニャを男だらけのアジトになんて連れて行ってみろ、変な目で見られるに決まってる。



「兎に角さっさと乙女を殺せ。話はそれだけだ」

「はいよ」



 そう言って姿を消したレイモンドを見届けてサンルームの窓を閉める。


 もしティーニャの正体に気づいた別の暗殺者が来たら厄介だし。



 ベッドに戻るとティーニャは相変わらず安らかな寝息を立てていて、その姿に思わずふっと頬が緩んだ。



「ん……グエン?」

「ごめん、水を取りに行ってた」



 あたたかいベッドに寝そべり、もう一度ティーニャを抱き締める。


 あたたかい、生きている。ティーニャを殺すなんてとんでもない。やっと見つけた、俺が一生を賭けてもいいと思える相手なのに。


 ティーニャに俺の正体がバレないうちになんとしてでも宝石を壊して、ティーニャと共にどこか遠い国へ逃げよう。それが一番現実的な方法だった。



 でも、もし宝石を壊すことができないままに儀式が始まってしまったら。



「おやすみ」




 ティーニャを殺すのは、俺であるべきだ。








「おはようティーニャ」

「おはようございます」



 初めの夜を迎えた翌朝。下腹の違和感に手間取りつつも起き上がると、いつもと同じ笑顔のグエンが私に水をくれた。



「この客室、今見たらお風呂ついてるみたいだよ」

「すごいですね」



 こくこくと水を飲み干してグエンにグラスを渡す。いつも通りの笑顔、先に進んだ私たちの関係。



 けれど私とグエンが共に笑い合える未来は存在しないのだと、私は知ってしまった。



「あとで入ろうよ。昨日は無理させたし、俺が洗ってやろうか?」

「もう、また無理させるつもりなんじゃないですか」



 いつもと変わらない揶揄いに、いつもと同じように返す。いつも通り、それがやけに切なくて悲しくて胸を締め付けた。



「バレた?」

「当たり前です」



 昨晩グエンが誰かと話していた内容。

 グエンがベッドを離れる瞬間の揺れで目が覚めた私は、その全てを知ってしまったのだ。



 彼が過激派の一員であること。私の始末を任された暗殺者であること。探していたのは妹ではなく私だということ。私たち一族の秘密に、その一派が気付きつつあるということ。



 私を始末しなければ革命は失敗、しくじったグエンは反逆罪で死罪になることは間違いない。


 私を殺すことができれば革命は成功、功労者のグエンはおそらく今以上の身分を与えられて栄誉ある人生を送ることになるだろう。


 私達が本来の私達のままで一緒にいられる未来は、どちらにせよ絶対に来ることはない。



「グエン」



 愛しげに私を見下ろすグエンに声をかける。



「なに?」

「お風呂、一緒に入りましょう」

「え、いいの?」



 分かりやすく喜ぶグエンに思わず素の笑みが溢れてしまう。


 不思議なことに私は、グエンが私の命を狙う暗殺者だと分かっていてもグエンの気持ちを疑うことはなかった。


 愚かだと言われてもいい。

 儀式が成功してもしなくてもこの気持ちがやがて消えてしまうなら、せめて幸せな思い違いをしたままで終わらせたかった。


 甘えるように抱きつくと、昨晩とは違って割れ物のように優しく抱き締められる。



「グエン、大好き」



 私はこの儀式のために生きてきた。グエンのために殺されてあげるつもりは毛頭ない。仮にお腹にグエンの子供がいたとしても、私は儀式を成功させる。でも仮に反逆者と通じた罪で私もグエンと共に死罪を言い渡される危険があったとしても、私はグエンと一緒にいる。


 心がある限り、私は自分に素直に生きたいから。



「お風呂に入ったら、私がグエンを洗ってあげます」

「……それってどこまで洗ってくれんの?」



 腰を押し付けてくるグエンにキスをして、小さな熱の燻る唇にキスをする。



 私は死なない。家族のためにも国のためにも儀式を成功させて自分の使命を全うする。心を失うまでグエンへの気持ちに素直に生きて、許される全てをグエンに捧げる。



「グエンが望むなら、なんでもしてあげます」



 殺される以外なら、私はなんでもできる。



「すごい悩むんだけど……でも咥えさせるのもなぁ」

「咥える……?」

「……うん、取り敢えず今日は洗ってもらうだけにしとく」



 なぜか遠慮したグエンに首を傾げつつも、それ以上は聞くのをやめた。今日はってことはいつかは分かることだし、それに今聞いたら藪蛇になってしまうのは必然だ。


 それよりも今はお腹が空いて仕方ない。余計なリスクを負うよりも、ぐぅぐぅと唸るお腹を満足させるのが先だろう。



「じゃあ一先ず朝食を食べましょう。昨晩何も食べてないのでお腹ぺこぺこです」

「このルームサービスってやつ頼んじゃう?」

「……高いですよ」

「うわっ、本当だ。俺下のベーカリーで何か買ってくるよ」

「ありがとうございます」



 コインをいくつか握りしめて部屋を出て行ったグエンを見送り、深い溜息を吐く。




 グエン、残念だけど私はあなたに殺されてあげることはできない。あなたに心を捧げることもできない。でもあなたの旅についていくことはできる。



 それがたとえ、死出の旅だったとしても。

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