第2話


「すみません、この馬車ってどこまで行きますか?」

「あん?なんだお前、貴族の坊ちゃんか。俺ぁ家出に付き合う気はねぇよ」


「すみません、馬車に乗りたいんですけど」

「うーん、ちょっと親御さんに確認してもらえるかい?いやね、貴族様の子を勝手に乗せると誘拐だのなんだのややこしいからね」



 意気揚々と民家をでて2時間、私はすっかり困り果てていた。

 というのもどうやら使用人の用意してくれた服は割と仕立ての良いものだったようで、そんな服を着た少年が一人で街を出ようとするのはかなり目立つらしいのだ。



「うーーん、やっぱり歩いて行くしかないのかなぁ」



 人生で初めて露店で買ったサンドウィッチを頬張りながら噴水のそばに腰を下ろす。足元に見える靴は確かに黒々と上品な艶を放っているし、シャツだって地味ではあるが当然ほつれも汚れも一つもない。

 ここ数時間待ちの人々を眺めただけでも、自分が人よりも随分と良い服を着ていることは充分に分かった。



「でも慣れない間にいきなり体力を使うのだけは避けたいし……なにか良い言い訳はないかなぁ」



 旅どころか街に出ることさえ慣れていない自分に大した期待はしていない。街のシステムだって知識でしか知らないし、少なくともこの旅に慣れるまでは出来るだけ体力は使いたくなかった。

 可能なら馬車、できたら都まで乗り合いで行ける駅馬車に乗りたいんだけど……




「お兄さん、靴磨きましょうか」



 腹に荷物を抱えて食べ終わった口をハンカチで拭っていると、帽子を被った少年がいつの間にか目の前に立っていた。


 靴磨き、聞いたことはある。おそらく私の身につけている衣服や靴、そして年齢から良い客になると思われたのだろう。残念ながらこの靴はおろしたばかりだし、生活を背負っているであろう少年には悪いけど今回は……



 いや、もしかするとこれはチャンスかもしれない。



「お願いしようかな。ちょうど話し相手が欲しかったんだ」

「話し相手?僕は貴族様の興味のある話なんてできないけど」

「いいから。ほら早く磨いてよ」



 そばかすのチャーミングな少年はグレーの瞳を訝しげに細めつつも、道具をそばに置いて腰を下ろしてくれた。



「君はここに住んでもう長いの?家族は?」

「生まれた時からここだよ。昔は父さんがいたけど、昔に出てったきり。今は妹と母さんと3人で暮らしてる」

「それで靴磨きを?」

「そう、子供ができることなんて知れてるからね」



 駄賃を弾むための嘘の身の上話の可能性もあるけれど、それにしては態度が太々しい。この斜に構えている妙に大人びた雰囲気は恐らく本当に苦労している人間特有のものだろう。



「で、小汚い庶民の話が聞きたかったわけ?違うでしょ」



 思ったよりずっと鋭い少年に思わず目を丸くする。屋敷に引きこもっていた私の考えなど、大人に混ざって生きてきた彼にはお見通しらしい。


 澄んだ瞳に射抜かれて私はふっと肩の力を抜いて、話せる範囲の事情を話した。



「街から出たいんだよ。家族には了承を得てるんだけど、やっぱりこの格好では首を横に振られることが多くてね。自分くらいの年頃のこういう身なりの人間が馬車を使う良い方便がないか探してるんだ」

「なるほどね。どうせそんなとこだろうって思ってたけど」

「はは……君が僕ならなんて言い訳して街を出る?」



 少年は靴磨きをしているだけあって事情のある人間の話を聞くことに慣れているのか、それ以上の情報を聞き出すこともせずに無言で手を動かし続けた。


 その状況のまま30秒、1分、2分と時間だけが過ぎて、靴を磨き終えるという頃漸く少年は再び口を開いた。



「ヒルデの騎士」

「ん?」

「僕ならヒルデの騎士に成りすます」



 ヒルデの騎士、聞いたことはある。

 確か都近くのヒルデ村出身で、先の戦争で窮地に陥った皇子を救うために尽力し、英雄として讃えられたのにすぐに自ら除隊した若い兵士のはずだ。



「騎士ってこう、逞しそうだけど」

「ヒルデの騎士は細身だって聞いたよ。馬に乗ってるから背丈も分からないし、丁度この街にいるって噂もある」



 成りすます……騎士本人には悪いけれど、確かに良い手段かもしれない。それなら私の素性を探られても騎士の話をすればいいだけだし、本人にさえバレなければリスクもほとんどない。



「ちなみにどんな見た目か知ってたりする?」



 ため息をついて、それを聞く前に駄賃を渡せと言いたげに手を差し出す少年に慌てて相場より多めの銅貨を渡す。



「丁度あなたみたいな黒髪だよ。少し長めの髪を編んで目深に帽子をかぶってる……って噂だけど」



 その言葉に試しに髪を緩く編んでみると、そんな感じじゃない?と少年が頷いてくれた。帽子は後で買えばいいし、これはかなりいいかもしれない。



「ありがとう、すごく助かったよ。これはお礼」

「口止め料でしょ、言わないよ誰にも。ただでさえ貧乏なのに厄介ごとなんて御免だ」

「察しが良くて助かるよ」



 シャツの中に隠した布袋の中に銀貨をしまう少年に礼を言うと、少年はペコリと頭を下げて足早にまた別の客を探しに公園のどこかへと消えていった。



「ヒルデの騎士か……」



 ヒルデの騎士は平民出身の士官では珍しく、先の戦争の南方戦線で皇子の窮地を救った功績で騎士の位を叙されている英雄だ。出世の象徴だとされながらも軍を去り姿を消した無欲な姿は民衆の人気を一層高めたとされている。


 その英雄が、除隊以来行方知れずだった彼が都合よくここにいるなんてあまりに運が良すぎる。

 そんな人物のフリをすれば逆に目立ったりしないかと不安に思ったけど街中を見る限り英雄の人気は予想以上で、そこら中で髪を結って目深に帽子を被った男性がウロウロと歩いていた。



 となれば次の行動は一つだ。





「毎度あり〜」



 無愛想な店主に手を振って店を出る。私の頭の上にはトリコーンと呼ばれる黒い帽子。お目当てのヒルデの騎士のトリコーンだ。



「お!お兄さんも英雄ルックかい?」

「はは、まぁね」



 流行りの型なせいで少し値は張ったけど、これを被るだけで街に馴染める気がするし、なにより安心する。



 が、この街でこれ以上油を売っている暇はない。

 通りかかる女性に応えながら人混みを掻き分け駅馬車の発着場に向かう。この時間の馬車を逃してしまうと次の馬車は明日の朝イチになってしまう、急がないと。



「北行きの最終馬車、間も無く出発するよ〜!!」

「乗ります!乗せてください!」



 数メートル先に聞こえる男性の声に叫びながら人の流れに逆らって歩いていく。漸く人の波が去って慌てて走り出すと、早く来いと言わんばかりに髭面の男性が私に向かって手招きをしていた。



「随分と若いお客じゃないか」



 慣れない靴に足を取られながらもなんとか発着場に着く。そういえば走ったのなんて久々かもしれない。



「駅馬車、終着駅は都ですよね。乗せてください」

「うーん……少し待ってくれ」



 やはり私のような人間が駅馬車なんて長距離移動をしようとするのは珍しいのか、おじさんは各貴族の名簿を捲りながら事務所に入って行ってしまった。


 またいつものパターンだけど今回ばかりは絶対に食い下がってやる。貴族は乗せられないって言われたらヒルデの騎士だってことにして押し通して、ゴネてゴネてゴネまくってなんとかこの馬車に乗り込んでやる!



 ぜぇぜぇと息をしながら片道分の運賃を握りしめて立ち尽くしていると、乗り合いの駅馬車の近くに止まった貸切の馬車の扉が開いた。



「ねぇ、そこのチビっ子」

「はい?」



 まさか声をかけられるとは思ってなくて、裏返った声で声の方を向く。真っ黒の馬車、その中から長い脚がヌッと伸び出てきて、どっこいしょという掛け声と共に逞しい長身の男性が現れた。



「割り勘でいいならうちの馬車に乗せてやってもいいよ。一人で使うには運賃が高くてさ」



 私と同じトリコーンを被った男性の、爛々と輝く金色の瞳に私は思わず目を奪われた。


 簡素ではあるが上質な生地で仕立てられた衣服に手入れの行き届いた黒い髪、男らしい端正な顔立ちの甘い瞳がジロリと私を睨めつけるように品定めする。



「ワケありだろ?乗らねぇの?」

「有難い申し出なんですけど……その、あなたは一体」

「その格好で知らねぇの?嘘だろ」



 恐る恐る小さく頷くと、男性はマジかと目を見開いてオールバックにした黒髪を撫で付けるように帽子を脱いだ。



「俺はグエナエル。ヒルデの騎士って呼ばれてる」


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