第4話「信じること」

「あっ、おかえりなさい」


「……おはよう、エン」


 翌日、ゲームに再ログインした私を、エンが待ち構えていた。


「…………」


「どうかしたの?」


「ううん、エンもちょうど今ログインしたんだなって」


「うん? ボクはずっとここにいたよ?」


「いや、そんなことはないでしょ? 現実でやらなくちゃいけないことがたくさんあるはずで……」


「現実世界はここだよ?」


「え? ここはあくまでゲーム世界で……」


「ボクにとっては、ここが現実で、本物なんだよ」


「……?」


 言っている意味が、分からない。


 謎は深まるばかりで、解消する糸口がまるで見当たらない。

 ……でもそれも全て、エンの言う探してる人を見つければ解決するのかな。


「そうだ、昨日エンが言っていた探してる人って、どんな人なの?」


「分からない」


「分からないって……。じゃあ誰を探してるのって話になるんだけど?」


「誰なんだろうね」


「…………」


 ……もしかして私、選択を間違えた?


「でも、誰かに会わなくちゃいけないってことだけは、解ってる」



「ん……」


 その真剣な表情に、考えを改める。

 この子の目は、ちゃんと真剣で、嘘の濁りは混じっていない。


「……でも、つまり私たちは、その誰とも分からない人を探さないといけないってことだよね」


 いくらなんでも、当てがなさすぎる。


「何か他にわかる事はない?」


「……少なくとも、この近くにいる人じゃないってことかな?」


「この近くに?」


「多分、ずっと遠くにいる。それも遙か遠く」


 そう言って、天井を見上げるエン。


「ずっと、遠く……」


 それはもしかして。


「ずっと、上の層にいる、とか?」


「かもしれない」


「…………」


 ……やっぱり私、選択を間違えたかも。


「その人に会うためには、このゲームを攻略するしかない。か……」


 剣を取り戻すために、前に進むためには、いずれ必要になるかもしれない。


 消極的にそう考えたことはあったけれど、まさかこんなに早く。しかも誰かと一緒になるとは夢にも思わなかった。


「なにか不安があるの?」


「……うん。まぁ、ね」


「大丈夫だよ。あれだけの剣の腕があるなら、お姉さんならあっという間に強くなれる」


「いや、それは……」


「どうかしたの?」


「私は、その……剣が扱えないから」


「うん? どういうこと?」


「だから……今の私は剣を扱えない。戦う力が、ないの……」


 ある時から、私は剣を握れなくなった。


 剣を握ろうとすると身体が震えて過呼吸になって、立っていられなくなってしまう。そのまま気を失うことさえある。


 だから今の私は剣を握れない、戦う力なんて全く無いただの一般人。翼を捥がれた鳥と同じ。


 剣を握れない状態で、どうやってモンスターたちと戦えというのか。


「ふーん? でも、昨日カーボンファーグリズリーと戦った時は、普通に剣で戦ってたよね?」


「あれは……。あの時は、どうして剣を抜けたのか、私にも分からないの」


 あの時握った柄の感触が、まだ右手に残ってる。


 現実でもここでも、剣に手を伸ばすだけで、あれだけ息が苦しくなったのに。

あの時だけは、そんなことはまるでなかった。


 その理由に思い当たる節は、今のところない。


「そうなの? だったら別に、剣で戦わなければいいんじゃない?」


「剣で……?」


「そう」


「…………魔法」


 この世界は、剣と魔法で戦う、文字通りのファンタジー世界。

 たとえ剣を扱えなくとも、魔法という戦うための手段は確かに存在する。


 けど……。


「……けどそれは、剣を裏切ることになる」


「裏切る?」


「私は剣士なんだから。いくら剣で戦えないからって、剣を手放して別の手段で戦うなんて。そんなことできるはずがないでしょ」


「そう言って、逃げるの?」


「なっ……」


 背筋が凍り、鳥肌が立って、足は竦む。


 分かってる。自分の言っていることが、どれほど情けないかなんて。


 だからこそ、そんな私の心の内を全て見通すかのようなエンの目は。

 周囲の温度が数度下がったと錯覚させるほどにとても冷ややかで。


 だけどその目には、見覚えがあった。

 あの日あの人から向けられた——思い出したくない記憶が、否応なく目の前に浮かんでくる。


「私は……、私は剣士なの! 剣で戦うことが私の全て! これまでも、これからも! それを自分から手放すなんて、できるわけが……」


 悔しさと怒り、あの日抱いたものと同じ感情に身を委ねて、叫ぶ。


 剣で戦う事しか、私にはないのだから。


 それを失ってしまったらもう、私には何も残らない。


「そうやって逃げてるうちは、多分お姉さんの欲しいものは一生手に入らないって、ボクは思うな」


「な、ん……」


「だって今のお姉さんは、剣に縋り付いてるようにしか見えないよ」


「縋り、付いてる……?」


「それだけムキになるってことは、お姉さんは自分が剣を握れない理由を、解ってるんでしょ?」


「そ、れは……」


 エンに言われた通り、心の内では、私はちゃんと理解している。


 私が剣を握れなくなった理由を。


「別にボクはその原因を聞こうとは思わない。きっと話せないし、話したくないって思うから」


「…………」


「それに、今すぐに解決できる方法を教えてあげることもできない。それは、お姉さん自身で乗り越えなくちゃいけないって思うから」


「……分かってる。そんなこと分かってる! でも、それができないから私は……」


「だったら余計、一度剣から離れるべきなんじゃないかって、ボクは思うな。今のお姉さんの視野は、剣にしかないから」


「っ——」


 ハッとした。

 それは、師範やお父さんに言われた言葉と同じだから。


「……ねぇ、エン」


「なに?」


「エンと同じように、私に足りないものを指摘してくれた人がいるの」


「そうなの?」


「うん、師範(おじいちゃん)は風流が必要だって。私はそれを探しに、ここに来たの」


「風流?」


「『己を剣とするための“理由”を、心を赦すことのできる“何か”』だって言ってた。エンにはわかる?」


「うーん、全くさっぱり」


「だよね……」


「でも、ボクもその意見には賛成かな。“風流”の意味はわからないけど、お姉さんには剣以外の何かが必要なのかなって思ったから」


「そっか……」


 こんな子供にも分かるくらいのことを、私は気づけなかったんだ……。

 それも、おじいちゃんやお父さんの言う、視野の狭さが原因なんだろうな。


「……確かに、そうかもしれないね」


 エンや師範の言う、剣以外の何か。

 それを見つけることができれば、きっと私は再び剣を握ることができるようになる。


「……分かった、今はエンの言うことを信じてみる」


「うんっ!」


 私たちはお互い、分からないなにかを探す者同士。


 だからこそ、手を取り合って協力することが出来るはず。


 今は、そう信じることにした。


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