第2話「出会い」

「お姉さん、大丈夫?」


「う、うん……」


 返事はするけど、一体何が起こったのかは理解できていない。


 目の前にいる小さなウサミミパーカーの少年が、巨大なクマの一撃を弾き返したという事実を、受け入れられないまま。


「この世界に来たばかりの人を殺そうとするクマには、反省してもらおうかな」


 そんな私を背に、少年は自信満々な口調で私と巨大グマの間に立ちはだかって、両手に持った短剣を構える。


「ガァアアア!」


 一方突然弾き飛ばされた巨大グマは、怒り狂った様子。


「君!」


「大丈夫。お姉さんにはもちろん、ボクにも近づけないから」


「ちょっと——」


 そんな会話の間に再び繰り出される、前脚の攻撃。


「ふっ!」


 そんな重い一撃を、意図も容易く受け流す。

 その後も器用に、二本の前足と斬り結ぶ。


「うそ……すご……」


 擦り傷一つ追わないその戦いぶりに、つい見惚れてしまう。


「……けど」


 その惚れ惚れするような剣技は、巨大グマに擦り傷一つ与えられていない。

 やはり、あの少年には荷が重すぎるんじゃ……。


「……うーん、やっぱボクの力じゃ鈍いな。それに、カーボンファーグリズリー。ダイヤモンドと同じ分子構造で出来た毛皮を纏った巨大なクマ。ならその弱点を……っ!」


 地面を蹴り上げ、空中に踊り出る。

 巨大グマの、真上。


 彼を見上げた巨大グマは、当然両腕を振り上げて攻撃を仕掛ける。

 そんな攻撃を、垂直に落下しながら身体を回転させるように捻って躱して。


「終わりだよ」


 無防備になった首筋に、一太刀。


「ガッ……」


 断末魔の叫びと共に、力なく地面に倒れて動かなくなる巨大グマ。 


「ふぅ、こんなものかな」


「…………」


「さてと。大丈夫だった?」


 巨大グマに背を向けて、被っていたフードを取って私に微笑む少年。

 改めて見ても、小学生くらいの子供だ。


 こんな小さな子が、あの一撃を受け止めて、トドメを刺したという事実が、受け入れられない。


「ウグ……」


「っ!」


 その背後で、ゆっくりと起き上がって。


「ウグァ!」


 死ぬ前の足掻きと言わんばかりに、巨大グマは右腕を振り下ろす。


 動けたのは、それを目にした私のみ。

 左手で少年の服を引っ張って、場所を入れ替えて。


 同時に右手を剣に伸ばして、鞘を握り締める。


「ちょっ⁉」


 背後から聞こえる声を無視しつつ、右手で引き抜いた剣を寝かせて、左腕も支えに使ってその一撃を受け止めた。


「ぐっ……!」


 左上にある、自分のHPのバー。

 それがじわじわと削れて、緑から黄へ、そして赤へと変化してなおも減っていく。


「重っ……すぎ……!」


 このままじゃ、為す術なく潰される。


「やらせない!」


 フッと、僅かにその力が緩んだ。

 顔を上げると、巨大グマの腕を蹴った後のような姿の少年がいた。


 再びスローに見える視界の中で、彼の目配せが私に伝える。


 ならば、その思いに応えないわけにはいかない。


 彼が生み出した一瞬の隙に、一本踏み出して。

 狙うは奴の首。


 敵も最後の抵抗と言わんばかりに、左腕を私に振り下ろす。

 でもこの距離なら、私の方が早い。


「せああぁぁぁぁぁ!」


 巨大グマの喉元に、剣を突き刺す。

 同時に私の頭のほんの数センチ上で、振り下ろされた左腕がピタッと止まった。


「はっ……は……」


 ゆっくりと剣を手離して、数歩離れる。


 巨大グマは呻き声を上げることもなく、紅黒い目がその輝きを失い、力なく倒れていき。

 地面に突っ伏すその瞬間に、巨大グマ無数の小さな光となって消えていった。


「っ……はぁ……はぁ……。あ、れ……」


「っと」 


 急に体から力が抜けて、倒れかかったところを少年に支えられる。


「大丈夫?」


「うん……単に身体から力が抜けただけだから」


 何度か深呼吸を繰り返して、再び自力で立ち上がる。


「…………」


 巨大グマが霧散した場所に落ちた剣を拾い上げて、見つめ直す。

 いつもの発作は、何故か今は起こらない。


「私……今……」


 剣を、抜けた……。

 でも、どうして……?


「お姉さん?」


「っ、大丈夫、なんでもない……」


 鞘に納刀して、改めて彼に相対する。


「えっと……。助けてくれてありがとう」


「どういたしまして」


 ニコッと、幼さの残る笑顔を向けてくる。

 何度見ても、やっぱり小学生くらいの子供だ。


「でも最後、なんで割り込んできたの? ボクは別に大丈夫だったのに」


「……そうは見えなかったけど」


 クマが立ち上がったあの一瞬に、この子は反応している様には見えなかった。

 だから彼の身体を引っ張って、私が間に割り込んだ。

 それを不要だって言われると、私としてもちょっと思うところがある。


「それで、君は……」


「っ……」


 名前を聞こうとした途端、急に頭を抑えて苦しみ出す。


「え、ちょっと、どうしたの⁉」


 慌てて駆け寄って、その子の様子を確認する。


 ぐうぅ~。


「……え?」


 この状況に似つかわしくない音が鳴り響く。


「お腹空いたぁ……」


 急にお腹を抱えて倒れ込む少年。


「え、えぇ?」


「この数日、何も食べてなかったから……」


「…………。……助けてくれたお礼に、なんか奢ろうか?」


「ホント!? やったー!」



     *



 彼の案内で街に戻ってきた私たちは、近くのカフェに入った。


「ん~、美味しい~!」


 注文したガット・オ・フレーズ——ショートケーキを一口食べて、子供のようにはしゃぐ。

 こういうところは見た目通りの、年相応の反応だ。


「お姉さん、飲まないの?」


「え、うん……。いただきます」


 ノワールティー——紅茶を一口。


「……美味い」


 ふわっと漂う優しい香りから、少し苦みのある味まで。

 ゲームとは思えないくらい重層的で、美味しい。


「それで、君の名前は?」


「ボク? ボクは…………」


「どうかしたの?」


「……そういえば、ボクの名前って何だろう?」


「は、い?」


 この子は一体、何を言ってるのだろうか?


「……もしかして」


「?」


 この子は、NPCなのかもしれない。


 ノンプレイヤーキャラクターNPC


 現実世界にいる私たちが動かすプレイヤーキャラではない、ゲーム内で特定の役割を果たすためだけに生み出されるキャラクター。


 彼もその一人なら、名前がない理由にも説明がつく気がする。


「そうだ、お姉さんが名前つけてよ。ボクの名前」


「は、い? 私が?」


「うん」


「えぇ……」


 名前をつけるって、勝手につけてしまっていいだろうか?

 とはいえ、名前がないのは不便か。


「じゃあ……」


 名前、名前……。


「…………」


 ワクワクと楽しそうに私を見つめてくる。そんなに期待されても……。


「……じゃあ、“エン”は?」


「“エン”?」


「なんだか楽しそうだなって思ったから、英語の“エンジョイ”をもじって。あと、こうして出会ったのも何かの“縁”かもしれないなって思ったから」


「エン……うん、いいね。しっくり来た」


 何度もその名前を呟いて、大きく頷く。


「今日からボクの名前は“エン”で決まり」


 満足してくれたようで何より。


「それで、お姉さんの名前は」


「私? 私の名前はモモカ」


 特になんの捻りもなくカタカナでモモカと名前をつけたから、ここでの名乗りは現実と変わらない。


「モモカお姉さんだね。よろしく」


「よ、よろしく」


 差し出された手に応える。


「その、いくつか聞いてもいい?」


「いいよ」


「じゃあ最初に、どうして君は」


「キミじゃなくてエン」


「……エンは、どうして私の事を助けてくれたの?」


 見知らぬ私のことを助ける理由なんてない。

 その真意がどこにあるのかを、まずは確かめなくちゃいけない。


「うーん……。……なんとなくかな?」


「な、なんとなくって……」


 質問の答えになってない。


「……じゃあ別の質問。あの巨大なクマは一体なんなの?」


「あれはカーボンファーグリズリー。ダイヤモンドと同じ構造で出来た毛皮を纏ったクマだよ。普通だったらこんな低層にいる筈なんだけど、なんであんなところにいたんだろうね?」


「カーボンファーグリズリー……」


 確かにあんな巨大グマ、このゲームを始めたての初心者ばかりが集う場所にいていいモンスターとは思えない。


「ダイヤモンドと同じ硬度を持つ毛皮が剣も魔法も弾いてしまうから。弱点は首元の毛皮が薄いところだけ。お姉さん、よく正確に剣を打ち込めたね」


「……たまたまよ」


 きっと私が本調子であれば、そんなことは容易いだろう。


 でも今の私には、ただの運でしかない。

 そもそも剣を抜けたことでさえ、理由がわからないのだから。


「お姉さん?」


「……ううん。なんでもない」


「他に聞きたいことはある?」


「他に……そうね。じゃあエンはどうして一人で、あんな場所にいたの?」


 この子はあの巨大グマの一撃をいとも容易く弾き返していた。それだけの強さがあれば、単独行動をしていてもおかしくはないかもしれない。


 けど見る限りはまだ小学生くらいの、こんな小さな子供が一人で森を歩いていると言うのは、明らかに異常だ。


「なんとなく、かな。あそこにいるべきだって、感じだから」


「なんとなくって……。友達とか、親御さんとかとは一緒じゃないの?」


「友達……親……」


 それまでニコニコの笑顔だった縁の表情が急に曇って、また頭を押さえ込む。


「エン?」


「……分からない」


「分からないって、そんなこと」


「本当にわからない……。でも……」


「でも?」


「やらなくちゃいけないことがある」


「やらなくちゃいけないこと?」


「それはこの世界を……」


「この世界を?」


「……ううん、なんでもない。あと、会わなくちゃいけない人がいる。会って、聞かなくちゃいけないことがあるんだ」


「聞かなくちゃいけないことって?」


「ボクが何者で、何処から来て、何処に行くべきなのか」


「?????」


 なんか、すごい痛いことを言ってる。


 ……いやいや、これくらいの年頃の男の子なんて、みんなこんな感じだろう。 

 ちゃんと聞いてあげないと。


「つまりエンは、迷子ってこと……?」


 ついでに、記憶喪失。


「迷子とは違うけど。……似たようなものなのかな?」


 どうにも要領を得ない。


「……ねぇ、その人探し、私にも手伝わせてくれないかな」


「え……。いいの……?」


「もちろん四六時中ずっとこのゲームに居るわけじゃないけど……。でも、やりたいことがあるってわけじゃないから」


 この子を放っておいちゃいけない。

 どこから湧いたのか分からないけど、そんな予感が私の中を渦巻いている。


「ありがとう、お姉さん!」


 暗く沈んでいたエンの顔に、笑顔が戻る。


「これからよろしくねっ!」


「……うん、こちらこそ」


 今の私は何の力もない、ただの女子高生。

 でも、せめて目の前にいるこの子の笑顔を守ってあげたい。


 その気持ちが、私に決断させた。


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