剣を握れない元最強≪日本一≫の女子高生はVRMMOで剣閃を振るう
広河恵
第一章「長い旅の始まり」
第1話「剣に生き……」
『……大変だ!』
『大丈夫か⁉』
『タンカー! 早く!』
——目の前が、あの日の景色に支配される。
『あっ、あっ……』
音を立てて床に落ちる竹刀。
『あああ……』
私は一体、なにをした……?
『あああああ……っ』
私は、私の剣は、一体なんのために……?
「っは、はぁ、はぁ……っ」
身体に衝撃が走る。
視界は、まだ朝日の差し込まない道場の、冷たい床の上。
手放した竹刀が、道場の向こうに転がっていく。
「っはぁ、はぁ……は……」
ギュと胸を握り締めて、過呼吸をゆっくりと沈める。
「く……っ!」
こみ上げた衝動に身を任せた、拳を床に叩きつけた音が、冷たい空間に鳴り響いた。
「どうして……!」
どうして私は、こんなに弱くなってしまったんだろう。
私はこの先、どう剣と向き合えば……。
「桃華」
「おじいちゃ……いえ、師範」
背後からの声に振り返ると、
背中まで伸ばした白髪と年季の入った胴着が、圧倒的な実力を伝えてくる。
「今日もダメだったか」
「はい……」
「そうか……」
失意に目を伏せる。
「っ…………」
師範を失望させたことに、唇を噛み締める。
「良いか、桃華」
「は、はい!」
正座して、正面から向き合う。
「私はずっと、お前のことを剣の道だけに育ててきた。それが今の状態を引き起こしてしまった一因だと、反省している」
「いえ、今の私の状態は、私が弱いばかりに起こったことです。全て私の……」
「そう考えていることこそが、原因なのだ」
「っ……ですが!」
私はずっと、剣に生きてきた。剣で頂を掴むために、鍛錬を重ねてきた。
それが間違いなんてこと、あるはずがない。
「剣に生きる、それはなんら問題のあることではない。しかし、今のお前は剣のみに生きようとしている。それが問題なのだ」
「剣のみに……?」
「以前にも言ったと思うが、“風流”。我々がそう呼んでいるものを、お前も見つけるべきだ。己を剣とするための“理由”を、心を赦すことのできる“何か”を」
「風流……」
それは、私がこの状態に陥った時にも聞かされた言葉。
「して、どうだ? お前が心を赦すことのできるものは、見つかったか?」
「いえ……」
見つけるもなにも、おじいちゃんの言った“風流”という言葉の意味を、まだ理解すらできていない。
「そうか。だが、慌てることはない。そういった雑念は、人を迷わせるのだから」
「はい……」
でも、いつまでもこうしているわけにはいかない。
新島の剣を継ぐ者として、いつまでもこんな腑抜けたままでいるわけには……。
「……そういえば、
「それは……。…………」
*
「『トランスレイト・イグニッション』」
頭をすっぽり覆う機械を被って、目を瞑って、小さく呟く。
すると、真っ暗闇だったはずの視界は急に白く染まり、英数字が目の前に現れては消える。
やがて身体が引っ張られる感覚に襲われ、白い光の向こう側へと誘われてゆく。
その光が収まると、見えてきたのは————
「……久しぶりだな。この街並みも、この人の多さも」
聞こえてくる喧騒。
はるか先まで続く、中世ヨーロッパの建物を再現した町並み。
そしてたくさんの人たちが、この町を歩き回っている景色。
「……本当はもう戻ってくるつもりなんてなかったんだけどな、ゲームの世界(SLO)には」
ここは現代技術の粋を結集して作られたゲーム。剣と魔法で戦うファンタジー世界。
各階層のボスを倒して、倒し続けて、その頂にある“この世の全てを手に入れることができるもの”を求めるゲーム……らしい。
それが何かは分からないけど、ここに来る人のほとんどが、ファンタジーな戦いを求めてこのゲームに来ている。
でもこのゲームが他とは明らかに違う部分は、攻略の難易度にあるそうだ。
曰く、無理ゲー、理不尽ゲー、死にゲー。
困難であればあるほど、人はより熱中する。
そんなコンセプトの下、一切の容赦がない設定に、プレイヤーは熱中しているらしい。
でも私は、それらに一切興味はない。
「おじいちゃんに言われたから、久しぶりに来てみたけど……」
風流、心を赦すことが出来る何か。
そんな探し物を、こんなゲームで見つけられるはずがない。
そう思いつつも、せっかく来たのだからと適当に街を散策しつつ、表門から歩いてフィールドに出てくる。
「さて、と……」
ゲームの攻略を目的としているわけでもないのだから、他の人たちとの集まり——パーティーに入ったり組んだりするつもりはない。
だから私は、この世界でも基本的に単独行動。
「……この辺でいいかな」
周囲に誰も、なにもいない場所を見繕う。
何より、このゲームに対するモチベーションが無い最大の理由は。
「スー……ハー……。ふっ!」
深く、ゆっくりと深呼吸をして、身構える。
左腰に下げた剣の柄に、右手を伸ばして…………。
『————!!!』
「っ!!」
手が止まる。
耳の奥に聞こえてくるあの時の声。
目の前の視界が、あの時の景色へとすり替わっていく。
「っはぁ、はぁっ!」
震える手で胸を押さえて、過呼吸を落ち着ける。
「は……はぁ……っ。……やっぱり」
そう、このゲームに対するモチベーションが湧かない何よりの理由。
それはこんなゲームの世界でも、現実と何一つ変わることがないから。
ここに初めて来た日、同じように剣を握ろうとして、過呼吸に陥って、そのまま気を失った。
そうして目を覚ましたら、汗だくの状態で自室の布団に寝そべっていた。
どうやら、このゲームをプレイする為の機械——ディサイファーのセーフティー機能によって強制ログアウトされたらしい。
それ以来、今日までずっとこのゲームを避けてきた。
「……だから、もう二度と来たくなかったのに」
過呼吸が収まってから立ち上がって、行くあてもなくただ歩き続けた。
*
「あれっ……?」
気が付けば、周囲が薄暗くなっている。
それは別に、夜の帳が下りてきたわけではなく。
「森の中……。いつの間に……」
草木が生い茂って、前後左右上下どの方角も似たような景色になっている。
「道からは、完全に外れてる……」
今いるのは人が踏み歩いた街道ではなく、完全な獣道。
辛うじて人一人が細身になって歩くことができる狭さ。
「……モンスターと遭遇しなかったのが、唯一の幸運かな」
私のレベルはまだ1、加えて私は剣を握れない状態。戦う以前の問題だ。
だから極力戦闘を避けるために、周囲を警戒する。
ブチブチブチ!
「!!!」
道の先から聞こえてきた音に、警戒心を高めると同時に息をひそめる。
「この先に、何かがいる……」
進むべきか、それとも引くべきか。
選択肢は、一つ。
「……行こう」
戻る方法がわからないのなら、今は進む以外ない。
それにさっきの雑踏のような音が、もし人が起こしたものなら、助けを乞うことだってできるのだから。
そうして進んだ先、急に開けた場所で見たものは、決して私の期待していたものではなく。
「——なっ」
言葉を失った。
そこにいたのは、真っ黒な巨躯。
容姿からして、クマが元になったモンスター。
でも、その大きさは通常のそれとは比較にならないほど、巨大。
推定でも、私の二倍以上の大きさ。
その巨大なクマが、周囲にいたのであろうモンスターを鉤爪で轢き殺し、食い散らかしている。
「うっぷ……」
その血生臭い、残忍すぎる光景に、吐き気を催す。
このゲームは、こんな弱肉強食の食物連鎖までご丁寧に再現しているのだろうか。
「ウガ……」
「っ……」
私の気配を察知したのか、ゆっくりとこちらに振り返る巨大グマ。
「ガアアアアア!!!!」
紅黒い瞳が私を捉えると、まずは威嚇の咆哮を上げる。
どうする? どうすればいい?
確かクマと出会った時は目を見つめたまま音を立てず、少しずつ下がっていくのがいいと聞いたことがある。
それが事実かどうかもわからないし、そんな知識がこのゲーム世界でも通用するのかは疑問だけど。
(とにかく、やってみるしかない……)
幸い、音を立てずに歩くこと自体は慣れている。
剣道での足捌き、その応用で息を殺して、ゆっくりと下がる。
「グルルル……」
「っ……」
恐怖心が、私を支配している。
でも身体中の震えを何とか押しとどめて一歩、また一歩と慎重に下がっていく。
パキリ。
「——っ!」
それは私が起こした音ではない。
おそらくは、周囲のラップ音。
不可抗力、しかしそれが致命的。
「グァアアアアアァァァァァ!」
再びの咆哮を放ち、私に向かって走り出してくる。
こうなっては、全力で逃げる他ない。
「……逃げる? この私が?」
クマの足の速さは、自動車と同等。逃げ切れるはずもない。
それに、私の剣の、剣士たる誓い。
それを思えば、逃げるなんて選択肢が私にあるはずがない。
たとえ剣を持てず、戦う力がなくとも。
「……かかってきなさい」
呟いた言葉の意味を理解したのか、巨大グマは前足を振り下ろす。
日の光は巨体に完全に遮られ、暗闇の中。
振り下ろされる鉤爪や、周囲を揺らす草木の動きが全てスローモーションになっていく。
その上、目の奥に見えてくるのは、あの日あの時の景色。
……そっか、これが。
死————
「……Toy Arca」
悲壮の覚悟を決めた私を裏腹に、聞こえてきた謎の言葉。
思い描いていたような、死へと誘われる感覚が襲ってこない。
「…………?」
ゆっくりと目を開けて顔を上げると、そこにいたのは光り輝く短剣を手に持つ、小
さな後ろ姿。
細い短剣と小さな身体で、巨大グマの一撃を弾いて、その巨躯ごとひっくり返す。
「う、そ……」
「お姉さん、大丈夫?」
そんな声と共に振り返ったのは、小学校高学年くらいの少年。
ゲーム世界には似つかわしくない、垂れ下がるウサミミのついたフードを被った男の子だった。
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