39 折り入ってお話したいことがあるのです


「っ!」


 フェルリナの身体が大きく震える。アルヴェントがあわてたように言を継いだ。


「いや、まだドラゴンが現れると決まったわけではない。魔物同士の縄張り争いで生息地域に動きが起こった可能性も――」


「ですが、最悪の事態の想定もしておくべきではありませんか?」


 フェルリナの静かな声音に、アルヴェントが口をつぐむ。


 とどろく心臓をなだめるように胸を押さえ、ゆっくりと一度深呼吸したフェルリナは、真っ直ぐにアルヴェントを見上げた。


「たいへん失礼いたしました。心当たりを口にされなかったのは、私を気遣ってくださったものですのに……」


 一度深く頭を下げたフェルリナは、真摯な想いを宿してアルヴェントを見上げる。


「折り入って、アルヴェント様とロベスさんにお話ししたいことがございます。私が読み解いている古文書のことです」


 フェルリナの言葉に、ロベスが素早く周りを見回す。


 団員達は野営の準備をするのに忙しく、こちらに注意を向けている者はいなさそうだ。


「では、見たところ馬に異常はないようですし、団長の天幕がすでに建てられているようですから、そちらへ移りましょう。他の団員にも知らせるか否かは、話をうかがった後で判断するということでよろしいですか?」


「私は、アルヴェント様とロベスさんのご判断に従います」


「ああ、まずは話を聞いてからだ」


 フェルリナの表情から、心楽しい話ではないと察したのだろう。


 黙したまま三人でアルヴェントの天幕へ移動していると、途中、野営の準備に励む騎士達から次々に感謝の言葉を言われる。


「フェルリナ様! 耐毒の魔法をありがとうございました!」


「耐毒だけじゃありません! いつも俺達を癒やしてくださって……。本当にありがとうございます!」


「いえ、それが聖女の役目なのですから。お気になさらないでください」


 戸惑いながらも、笑顔でかぶりを振る。


 クライン王国では、どれだけ聖女の力を使ったとしても、こんな風に感謝されることなど、ほとんどなかった。


「フェルリナはすっかり団員達になじんでいるな」


 安堵したように表情をゆるめたアルヴェントが、しかしすぐに顔を引き締める。


「だが、いいか。もしきみによからぬことをしでかすような輩がいたら、すぐに言ってくれ。うちの団員に限って、そんな命知らずの不埒者ふらちものはいないと思うが……っ!」


「そうです。考えすぎですよ、団長。うちの騎士団に死にたがりはいません」


 過激なことを言う二人に、くすりと笑う。


「はい。お気遣いいただきありがとうございます。ですが、みなさん、ほんとよい方ばかりなので大丈夫です。とてもよくしていただいています」


「……フェルリナ様を見ていると、団長が心配するお気持ちもわからなくはありませんが……」


 ロベスが溜息をついたところで、アルヴェントの天幕に着いた。


 天幕の中央に置かれていた折り畳みのテーブルと椅子にアルヴェントとロベスが並んで腰かけ、フェルリナが向かいに座る。


 アルヴェントの天幕にあるテーブルは、必要となれば地図を広げて団員達と打ち合わせをするため、それなりに大きい。


「水で申し訳ありませんが。葡萄酒もありますが、いまはないほうがよろしいでしょう?」


 ロベスが木の杯に水を入れて出してくれる。


 礼を言って、ひと口飲んだフェルリナは、自分の口の中がからからに干上がっていたことにようやく気がついた。


 どうやら、ひどく緊張しているらしい。


 同じく水で唇を湿らせたロベスが口火を切る。


「フェルリナ様が話されたいという古文書の内容はどのようなものなのでしょうか? というより、どれほど古文書を読み進められているのですか?」


「まだすべては読み切れていないのですが、一応、十冊ほどは……」


 答えるとロベスが目をむいた。


「十冊ですか!? わたしは一冊読むだけでも、かなりの時間がかかったというのに……っ! ご無理をなさってはいませんか!?」


 途端、アルヴェントの精悍な面輪がしかめられ、フェルリナはあわててかぶりを振る。


「だ、大丈夫ですっ! 無理などしていませんっ! そのっ、遠征で移動している間、私は馬車で暇ですから……っ!」


 本当は、夜も睡眠時間を削って読み進めているのだが、正直に話すとアルヴェントに叱られてしまいそうだ。


「ならばよいが……。フェルリナ。お願いだから無理はしないでくれ」


「は、はい……っ。それで、あの、古文書を読んでいて、気になる記述を見つけたのですが……。アルヴェント様達は、三年前にドラゴンがタンゼスの町を襲おうとした理由をご存じですか?」


「理由、だと……? まだ年若いドラゴンが迷い込んだのではないのか?」


 フェルリナの問いが予想外だったのだろう。アルヴェントが戸惑った様子で問いを返す。


 フェルリナはゆっくりとかぶりを振った。


「私なりにタンゼスの町について調べてみたところ、確かに魔境に近い町です。ですが、報告にあったドラゴンの進路を見る限り、他にもいくつか魔境に近い町があるにもかかわらず、ドラゴンは真っ直ぐにタンゼスの町を目指しています。つまり、タンゼスの町に、ドラゴンが求めるものがあったと思われるのです。タンゼスの町は、鉱山で栄えている町なのですよね?」


「ああ、そうだ。だが、ドラゴンが鉱山に用などあるはずが……」


「いいえ」


 フェルリナはかぶりを振って、アルヴェントの言葉を遮る。


「古文書によると、ドラゴンのうろこは、脱皮の前に鉱物を摂取することで硬さを保っているらしいのです」


「っ!? 確かに、三年前、ドラゴンと戦ったのは、町外れの鉱山の近くだ。当時は、町に与える被害が少なくて済むと、不幸中の幸いに喜んだが……。もとから、鉱山が目的地だったのか……」


 息を呑んだアルヴェントが、納得したように呟く。


「なぜ、ドラゴンがタンゼスの町の鉱山に急に現れたのかはわかりません。魔境にもあるだろう鉱脈で何か不具合が起きたのか、本当に迷い込んでしまったのか……。ですが、一度、鉱山があると知った以上、ふたたび現れる可能性は高いと思われます」


「なるほど……。ドラゴンに、そんな習性が……」


 感心したように呟いたロベスが、何かを思いついたようにはっと顔を上げる。


「では、ドラゴンの目的が鉱山だというのなら、ドラゴンが来る間、住民を全員退避させておくのもひとつの手ではありませんか? その間、鉱物が採取できないのは痛手ですが、住民や騎士団の命には代えられません。鉱山ならば、タンゼスの町以外にもあります。ドラゴンが鉱山だけで満足して帰るのなら、無理に戦う必要はないのでは?」


「だが、その保証はどこにもなかろう。脱皮して腹を減らしたドラゴンが、食料を求めて他の町へ移動したら手もつけられん。何より、ドラゴンの脱皮は一度きりではないだろう。今後、いつやってくるかもわからぬ脱皮のたびに、鉱山を明け渡すのか? 気に入って巣にされたらどうする? 騎士団員の命を無駄に散らす気などまったくないが、お前の案はどうにも手の打ちようがなくなった時の最終手段だ」


「団長がおっしゃることはわかります! ですが……っ!」


 アルヴェントへ身を乗り出したロベスの目には、悲愴ひそうな光が宿っている。


 ロベスの不安が、フェルリナには手に取るようにわかる。


 三年前、アルヴェントがドラゴンを追い払う際に瀕死ひんしの重傷を負ったその場に、ロベスもいたに違いない。


 副団長であるロベスは、きっと一番そばで戦いを見ていただろう。


 アルヴェントが傷を負った時の恐怖はどれほどだったのか……。想像するだけで、フェルリナも全身が震え出しそうになる。


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