13 ファングウルフとの戦い
息を呑んで震えるフェルリナをよそに、険しい表情のアルヴェントが素早く立ち上がる。
「二人組を基本に下馬して各個撃破しろっ! 決して突出はするな! 俺も出る! ロベス、剣を! ナレットとチェルシーは馬車を守れ!」
大声で指示を出したアルヴェントが震えるフェルリナを振り返る。
「きみを危険に
告げるが早いか馬車の扉を開け、アルヴェントが外に飛び出す。
「殿下!」
ロベスが放り投げた大剣をアルヴェントが片手で受け取る。アルヴェントの巨躯にふさわしい大剣が鞘走りの音とともに抜かれ、磨かれた刃がわずかな木洩れ日を反射してぎらりと光った。
「変異種だろうが何だろうが、襲ってくるとは好都合だ。獲物を見誤ったことをすぐにわからせてやる」
ファングウルフの
『ゴビュレスの呪われた灰色熊』
ここ数日の間、忘れていた二つ名が脳裏に甦る。ファングウルフの群れを前に怯えるどころか、嬉々として剣を構えるアルヴェントは、まるで獲物に対峙した熊のようだ。
(怖い……っ! けど、震えてる場合じゃないっ!)
威圧感に
(落ち着け、落ち着くのよ私……っ! こんなの、敵が多くて強いだけで、いつもの討伐と同じじゃないの……っ!)
取り
「フェルリナ様っ!? 危険ですっ!」
「お守りしますから、中にいらしてください~っ!」
馬車の前にいたナレット達のあわてふためく声に答える暇もなく、ひとつ深呼吸して息を整え、呪文を紡ぐ。かけるのは、防御力アップの聖属性の魔法だ。
「こ、これは……っ!?」
すでにファングウルフと戦い始めていた騎士達が、突然、自分の身体を包んだ金の光に驚きの声を上げる。
だが、歴戦の騎士達はかけられた魔法が悪いものではないと本能的に察知したらしい。ほんの一瞬戸惑っただけで、迷いなく魔物に立ち向かっていく。
ファングウルフと騎士達では、騎士達の数のほうが少ない。だが、巧みに
「はぁぁっ!」
アルヴェントの身体に血飛沫が散り、ファングウルフだった肉塊が地面に落ちる。
変異種でなくとも、ファングウルフのレベルは十はあったはずだ。それをまだ攻撃力アップの魔法もかけていないのに大剣の一振りで倒すとは。
だが、感心している場合ではない。騎士達全員に防御力アップの魔法をかけたフェルリナは、すぐさま攻撃力アップの魔法を重ね掛けしていく。
同時に、怪我をした騎士がいないか確認をするのも
怪我を負った騎士がいたら、治すのはフェルリナの役目だ。
ファングウルフ達も、騎士団の中で一番の脅威はアルヴェントだと理解したのだろう。アルヴェントの前に魔物達が集まってくる。
一定の距離をあけて対峙するファングウルフ達に、だがアルヴェントは取り乱す様子もない。両手持ちの大剣を油断なく構えた姿は、後ろから見ていて、これほど頼もしい背中はないと思える。
ぐるるるる、とファングウルフ達が名前のとおり鋭い牙がはえる口から警戒の唸り声を上げる。
群れの先頭に立つのは、周りよりも一回りは大きい燃えるような赤い毛を持つ変異種のレッドファングウルフだ。
子牛ほどの大きさがあるレッドファングウルフが四肢を大地に踏ん張り、いまにも跳びかからんとするさまは、見ているだけで恐怖に膝がくずおれそうになる。
だが、油断なく大剣を構えるアルヴェントは
変異種に率いられたファングウルフの群れだなんて、クライン王国の騎士達なら下手したら全滅していた可能性だってある。だが、ゴビュレス王国騎士達はすでに群れの数を半分ほどにまで減らしていた。大怪我をしている者もいない。
張りつめる緊張の中、フェルリナが息をひそめて見守っていると、不意にレッドファングウルフが動いた。
強靭な四肢がばねのようにたわんだかと思うと、気の弱い者なら気絶しそうな唸り声とともに、アルヴェント目がけて飛びかかる。
子牛ほどの巨体がアルヴェントにのしかかる様を想像して、フェルリナは思わず悲鳴を上げかけた。だが。
アルヴェントが最小の動きで身をかわし、同時に大剣を振るう。
ぎゃんっ! とレッドファングウルフが悲鳴を上げ、地面に降りた巨体が揺れる。左側の後ろ足が毛皮より赤い血に彩られていた。
動きが淀んだレッドファングウルフにすかさず魔法士の土魔法が飛ぶ。まるで生き物のように土が動き、無事なほうの後ろ足を絡めとる。
その隙を逃すアルヴェントではない。
大剣が風を斬ってレッドファングウルフに迫る。だが、相手も無防備ではない。鋭い爪のはえた前足をふるう。
丸太のように太い足は、まともに受ければひとたまりもないだろう。
だが、アルヴェントはよけるどころかさらに踏み込む。
反射的にぎゅっと目をつむったフェルリナの耳に入ったのは、レッドファングウルフの悲鳴と、次いで大きいものがどうっと地面に倒れる重い音だった。
震えながらこわごわと開けた視界に飛び込んだのは、地に伏したレッドファングウルフの巨体と、怪我ひとつなく立つアルヴェントの姿だ。
「いまだ、畳みかけろ! 一匹も逃すな!」
「承知しました!」
「おう! 団長に負けるなっ!」
アルヴェントの号令に騎士達が声を上げて応じる。
群れのリーダーを失ったせいだろう。精彩を欠くファングウルフ達を、士気の上がった騎士達が二人対一匹で仕留めていく。
対して、群れの後方にいた二匹のファングウルフが、怖気づいて逃げようとする。が、見逃すアルヴェントではない。
「ロベス! お前は右だ!」
群れの中に斬り込んだアルヴェントが声を上げると同時に、剣から弓に持ち替えていたロベスの矢が、逃げようとしていた一匹の足に突き刺さる。
その間に左側のファングウルフを一太刀で
それが、最後のファングウルフだった。
騎士達の間から
喜びに湧く雄々しい声に緊張の糸が切れ、フェルリナはへなへなと馬車の戸口にへたりこんだ。
「フェルリナ様!?」
「大丈夫ですか!?」
馬車の両脇で警戒してくれていたナレットとチェルシーが剣を鞘に納め、あわてた様子で駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫、です……っ。ちょっと気が抜け――」
「フェルリナ!?」
フェルリナの声を打ち消すように、アルヴェントの叫びが響き渡る。
「どうしたっ!? 何があった!? もしや怪我でも……っ!?」
どどどどどっ! とファングウルフに立ち向かっていた時以上の速度で駆け寄ってきたアルヴェントが、馬車の数歩手前で我に返ったようにぴたりと止まる。
左頬の傷を隠すように精悍な面輪に散った血飛沫。顔だけではない。濃灰色の髪も、革鎧にも返り血が飛び散っている。
それはまるで、獲物の
アルヴェントの血に濡れた姿を見た瞬間、フェルリナは馬車から飛び降りていた。もつれる足を必死に動かし、アルヴェントへ走り寄る。
「フェルリナ!?」
目を瞠ったアルヴェントが、とっさに後ろに下がろうとする。けれど、フェルリナが伸ばした手が袖を掴むほうが早かった。
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