8 すまん。思慮が足りなかったな。


 導かれるまま並んで歩きながら、フェルリナはアルヴェントを見上げておずおずと問う。


「ですが、ドレスでは動きづらいですし、旅にふさわしくありませんよね……?」


 せっかくナネット達が支度してくれたのにと思うと、それが申し訳ない。


「うん? いや、大丈夫だぞ。ほら、きみと俺が乗る馬車はあれだ」


 アルヴェントが指さした馬車を見て、フェルリナは息を呑んだ。


 秋の午後の陽射しが降る中、燦然さんぜんと輝く立派な馬車。いや、装飾に金だの宝石だのが使われているので、実際に陽光を反射してきらめいている。馬車自体が濃灰色に塗られている分、装飾のきらびやかさがさらに目を引く。


 こんな立派な馬車に。まさか自分が?


 と、思考が停止しているフェルリナにかまわず、御者が開けた扉へアルヴェントがごく自然に中へとエスコートする。


 これまで座ったことのないほど柔らかな座席に腰を下ろしたところで、フェルリナはようやく我に返った。


「あのっ、アルヴェント様……っ! 私などがこんな立派な馬車に乗せていただくなんて……っ!」


 確かに、この馬車ならば、ドレスでもなんの問題もないだろう。むしろ、フェルリナの討伐用の旅装では失礼になってしまう。


 だが、突然の高待遇を当然のものとして受け取ってよいものか、フェルリナには判断がつかない。


 フェルリナの言葉に返ってきたのは、アルヴェントの申し訳なさそうな顔だった。


「すまん……。思慮が足りなかったな。俺と一緒では気づまりで休みにくいだろう。俺は馬で――」


「お、お待ちくださいっ! どうしてそうなるのですか!? アルヴェント様を追い出すなんて、そんな……っ! 降りるのでしたら、私が降りますっ!」


 驚いて立ち上がろうとすると、アルヴェントに制された。


「なぜきみが降りるという話になる!? その……。俺と一緒の馬車でも、嫌ではないのか……?」


 不安そうな声音に、フェルリナはぶんぶんとかぶりを振る。


「嫌だなんて、そんなことは決して……っ! アルヴェント様こそ、私などと同じ馬車ではお嫌ではありませんか……?」


「嫌なわけがないっ!」


 力強い断言にほっとする。


「では……。きみが許してくれるのなら、同じ馬車でいいか? ああ、俺のことは気にしなくていい。クッションも用意してあるから好きに休んでくれ。俺は書類を読んでいるから」


 アルヴェントの言葉とおり、フェルリナの側の座席には柔らかそうな大きなクッションがいくつも、アルヴェントのほうの座席の足元には、巻かれた羊皮紙が何本も入った木箱が置かれている。


「お気遣いいただき、ありがとうございます……」


 丁寧に礼を言い、座席に座り直したところで、アルヴェントの咳払いが聞こえた。


「そ、その……」


「は、はい……?」


 何やら非常に言いづらそうな様子に、緊張しながら続きを待つ。と、アルヴェントが気まずそうにふいと顔を背けた。


「ド、ドレスだが、よく似合っている……。サイズもあっていたようで、何よりだ」


 ぼそぼそと話すアルヴェントの顔は、うっすらと紅い。


「あ、ありがとうございます……っ」


 本当は、小柄なフェルリナにはほんの少し大きかったのだが、ナネットが器用にごまかしてくれた。


 というか、まさかアルヴェントがナレットとチェルシーの言うことに応じて、お世辞を言ってくれるなんて、予想もしていなかった。


 不意打ちに心臓がぱくぱくと騒いでいる。


 落ちた沈黙が気まずくて、意味もなくドレスのスカートを撫でていると、ロベスが出発の準備が整ったと報告に来てほっとする。


 クライン王国の国王陛下を始め主だった要人にはすでにアルヴェントが挨拶を済ませているため、仰々しい見送りなどはないらしい。


『一度、ゴビュレス王国へ行けば、短くとも来年の夏まではゴビュレス王国を出る機会はないだろう。下手をすれば、もっと長くなる可能性もある。別れを惜しみたい相手はいるか?』


 と、アルヴェントの部屋を出る前に気遣わしげに問われたが、幸か不幸か、そんな相手はいない。実の父さえ、フェルリナの見送りをする気はないだろう。


 もし、いるとすればたったひとり、フェルリナが聖女であることがわかって、王都の神殿に引き取られた時、フェルリナのことを孫のように可愛がり、さまざまな知識や聖女としての心構えを教えてくれた恩師というべき女性神官だが……。


 老齢で神殿務めが大変になってきた彼女は、二年前に故郷に帰り、のんびりとした日々を過ごしている。ゴビュレス王国に着いて落ち着いたら、恩師には手紙を出したい。


「では、ゴビュレス王国への帰途につく! クライン王国内の街道は安全だが、気を抜きすぎるなよ! ゴビュレス王国第一騎士団にふさわしいふるまいをしろ!」


 扉を開け放った告げたアルヴェントの言葉に、馬に乗った騎士達が威勢のよい声で答える。その声の中には、ナネットとチェルシーの声も混ざっていた。


 扉を閉めたアルヴェントが座席に着き、馬車が動き出す。


 座った時も座席の座り心地に驚いたが、動き出すと荷馬車の板敷とは雲泥の差の快適さに驚愕する。


 ゴビュレス王国の王都への旅は、半月ほどかかるらしい。クライン王国の国境まで十日、そこからゴビュレス王国の王都まで五日ほどだそうだ。


 遠征でクライン王国内はあちこち移動したが、他の国に行くのは初めてだ。魔物の領土に近いため、厳しく森が鬱蒼うっそうと茂る土地らしいが、それでも初めての異国に胸が好奇心にはずむのを抑えられない。


(どんなところなんだろう……?)


 馬車の窓から見える見慣れたクライン王国の王都の街並みを眺めるともなしに見ながら、フェルリナはまだ見ぬ異国に想いを馳せた。


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