6 ようやく、笑顔を見せてくれたな


「殿下とロベス様は、仲がよろしくていらっしゃるのですね」


「ああ、こいつとは乳兄弟の腐れ縁だからな。……というか」


 ふっ、とアルヴェントの口元に柔らかな笑みが浮かぶ。


「ようやく、笑顔を見せてくれたな」


 騎士らしい骨ばった指先が、壊れものにふれるように、そっとフェルリナの頬にふれる。討伐の帰路で乱れてしまったくすんだ金の髪がひと筋、大きな手にさらりと落ちた。


「えっ!? あの……っ」


「緊張が解けたのなら、何よりだ」


 包み込むような優しい笑みに、ぱくりと心臓が跳ねる。魅入られたように、黒い瞳から目が離せない。


「殿、下……?」


「アルヴェント、と」


 精悍な面輪に浮かんだ笑みが深くなる。


「経緯はどうであれ、俺達は夫婦となったのだから……。他人行儀な殿下ではなく、アルヴェントと呼んでほしい。フェルリナ」


 耳に心地よく響く低い声で名を呼ばれると、それだけで鼓動が速くなってしまう。ふれられた頬はすでに燃えるように熱い。


「で、では……。ア、アルヴェント様……」


 緊張で口ごもってしまったのに、嬉しげな笑みが返ってきて、さらに鼓動が速くなる。心臓が爆発してしまいそうだ。


 こほん、と遠慮がちに咳払いして口を開いたのはロベスだった。


「……殿下、お望みでしたら、わたしは二刻ほど席を外してまいりますが……。待機している騎士団には、なんと指示を伝えましょうか?」


「そ、そうだった! しまった……っ!」


 淡々と問うたロベスに、アルヴェントがあわてふためいた声を上げる。


「待機……? あの、状況をうかがってもよろしいでしょうか……?」


 遠慮がちに問うたフェルリナに、アルヴェントが、視線を落としてぼそぼそと告げる。


「クレヴェス殿下の部屋で聞いたと思うが……。俺も騎士団も、クライン王国でのんびりしている猶予ゆうよはないんだ。冬になって、身動きが取れなくなる前に、ある程度、魔物の討伐を済ませておきたいからな。だから、今日フェルリナと婚姻を結んだら、すぐにゴビュレス王国へ出立するつもりで随行の騎士団にも待機命令を出していたんだが……。まさか、フェルリナ自身が討伐から帰ってきたばかりとは……」


 はぁぁっ、と巨躯にふさわしい大きなため息を吐き出したアルヴェントが、あわてたようにかぶりを振る。


「いやっ、もちろんフェルリナに無理を強いる気はないぞ!? 帰ってきたばかりで疲れ果てているだろう? 二、三日くらいゆっくり身体を休めてから――」


「いえ、そういうご事情でしたら、すぐに出発いたしましょう!」


 不敬と知りつつ、アルヴェントを遮ってかぶりを振る。


「私でしたら、大丈夫ですっ! 私のせいで皆様の予定を崩すわけにはまいりませんっ! 新しい旅装に着替えるお時間さえいただけたら、すぐに出発できます!」


「そういうわけにはいかないだろう!? きみは大切な聖女だっ! 無茶をさせるわけには……っ!」


「ですが、そのせいでアルヴェント様や騎士団の皆様全員のご予定を変えるわけにはまいりませんでしょう? 私でしたら大丈夫です。そ、その、馬に乗るのは苦手ですので、荷馬車の隅にでも乗せていただければ……」


 途端、アルヴェントの顔がしかめられたので、あわてて言を継ぐ。


「すみませんっ、荷馬車はもう、お荷物でいっぱいでしたか……?」


「なぜ荷馬車なんだっ!? きみを荷馬車などに乗せるはずがないだろう! 俺と一緒の馬車に決まっている! というか、聖女を荷車とか……っ! クライン王国はきみを軽んじすぎているだろう!?」


 黒い目を吊り上げ、憤然と告げたアルヴェントにびっくりする。これまで、フェルリナの扱いに怒ってくれた人など、ひとりもいなかった。いや、それよりもびっくりしたのは。


「えぇぇっ!? ア、アルヴェント様と同じ馬車だなんて、そ、そんなっ、おそれ多すぎます……っ!」


 ぶんぶんぶんっ! とかぶりを振ると、困ったように吐息された。


「フェルリナ、その……。婚姻届にサインをしただけで自覚を持てなどという酷なことを言うつもりはないが……。きみはもう第二王子の妃なんだ。荷馬車になど乗せられるわけがないだろう?」


「あ……っ。申し訳ございません……」


 あまりに急に変わりすぎて、そこまで考えが及ばなかった。


 フェルリナの行動によっては、アルヴェントに、ひいてはゴビュレス王国に迷惑をかけてしまうのだと思うと、のしかかる責任の重さに急に両肩になまりの塊が乗ったような心地がする。と、大きな手のひらで気遣うように頭を撫でられた。


「いや、謝らないでほしい。心配するな、きみに余計な重責を負わせる気はない。その……。本当に、今日中に出立しても大丈夫なのか?」


「は、はいっ! 大丈夫ですっ!」


 そこだけは、はっきりきっぱりと断言する。「よし」と頷いたアルヴェントがロベスを振り返った。


「ロベス。フェルリナの準備が整い次第、出立する。ナネットとチェルシーを呼んでこい。二人をフェルリナ付きにする」


「あの……っ?」


「ひとりで支度をするよりも、手伝いがいたほうが早いだろう?」


 尋ねるより早く、説明されて納得する。確かにいま一番大事なのは時間だ。


「で、では、お願いいたします。ありがとうございます……っ!」


 アルヴェントとロベスに深々と頭を下げて礼を言ったのだが……。


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