最終日・昼/手に入れたもの

 エマの予告通り、それからぽつぽつと訪れるお客さんの中には高校生らしき背格好の子たちもそれなりに見かけられた。中にはたい焼きを買おうとせず遠巻きに眺めるグループもいたが「いらっしゃいませ。何になさいますか?」と流し目・イケボで滝野が微笑むとコロっと落ちて客になってくれた。なんにせよありがたい限りである。

 懐かしい面々との再会は、時刻が正午を回った頃だった。


「いらっしゃいませ――っと、あれ。ジブンらたしか文化祭で……」

「どうも、その節はお世話になりました」


 驚いている様子の滝野が気になって首だけ背後に回す。

 直後、私は空になったばかりの型を取り落としそうになった。


「やっ。お久しぶり」

「い――委員長さん!?」

「元委員長だよー。文化祭のときは世話になったね」


 校内でしか見たことがなかったから、私服姿は新鮮だった。

 だぼっとしたオーバーオールを着て現れたのは先代の図書委員長だった。OBの元委員と現委員の生徒も何人か見受けられる。会って話すのは卒業式以来だった。ほんの少し緊張する。

 火床の火を落としてカウンターに近寄る。奥に居ては話しづらい。


「たしか都内に引っ越したんですよね?」

「うん。でも閉店まで様子見にも来ないとか薄情な奴でゴメンね」

「そんな、来てくれただけで嬉しいです。大学お忙しいんですか?」

「そりゃもう! サークルでは雑用係だしひとり暮らしだからバイトしなきゃだし、必修も選択も多すぎるし! もっと近場の大学にすりゃよかったかなーって日々後悔しきりよ」


 おばちゃんみたいにひらひら手のひらを振って苦く笑う委員長。口では大変だと言う反面、その面持ちは楽しそうだった。


「柊ちゃんも色々あったみたいだけど元気そうで安心したよ。店のアカウントもフォロワー多いし、さすがは江津ちゃんの見初めた女」

「客入りはご覧の通りですけどね……」

「この暑さじゃしょうがないって。っと、ここで立ち話してたら邪魔だよね。柊ちゃんさ、夜予定ある? よかったら一緒にゴハン行かない? おごるし。ちょっとした同窓会ってことで、江津ちゃんとか赤羽根ちゃんも誘ってさ」

「同窓会……」


 少し迷って横をちら見すると、滝野がくいっと顎を動かした。


「行きます!」

「やった! 栗須さんも今度こそ来ますよね?」

「いや、アタシは忙しいから。それより桃に飲ませたりしたらアカンで」

「やだなー私も未成年ですよー? 酒盛りにはなりませんってばー」

「突然えらい棒読みになるなー」

「あははー」


 笑っていいのか微妙なラインのふたりの漫才を眺めていると、通りの脇からこちらにゆっくりと近づいてくる人影が見えた。路面の照り返しが眩しくて見えづらいけど、お客さんかもしれない。いつまでも油を売ってはいられない。


「すみません先輩方、そろそろ注文いいですか?」

「そうだそうだ、ついお喋りしちゃうね。じゃああんこをひとり一枚ずつで」

「かしこまり――」

「ご友人の方々ですか?」


 滝野に代わって注文を取った私が頭を下げようとすると、委員長たちの後ろに並んださっきの人が割りこんで声を発した。

 聞き慣れた声と判別する前に反射的に口が動いてしまう。


「すみません、ご注文でしたらすぐお聞きしますので――藻永さん!」

「こんにちは。今日も暑いですね」


 ぬっと出現した私の保護者はいつもの菩薩顔を浮かべている。広いおでこは夏の太陽もかくやとばかりに照り輝いていた。

 謎の来客に困惑した委員長がおそるおそる尋ねかける。


「あのうすみません、どちら様でしょう?」

「失礼しました、わたくしこういう者です。美傘で司法書士事務所をやっております」

「ああ、これはどうも。って、そういえば文化祭にもいらしてましたよね?」


 懐から藻永さんが出した名刺を間に置いてぺこぺこしあうふたり。一歩下がって様子見していた滝野がそこで口を挟んだ。


「藻永さんは夜に来ると思うてましたわ。注文は何にします?」

「仕事が早く片付きましたので。あんこと栗餡をひとつずつお願いします」


 ワイシャツの襟を直した藻永さんが、思い出したように私に問う。


「そういえば桃さん、受験勉強は捗ってますか? 夜もご予定を入れるようですが」

「やってるやってる。お小言ありがとう、それじゃ私たい焼き焼いてくるから」

「そうですか。桃さん」

「なにさ」

「楽しんで」


 この場にいる全員がドキッとするような、柔らかい声音だった。

 にこにこ顔の彼に背中を向ける。なんとも照れ臭い雰囲気だった。


「言われなくても」


 消していた火床を再点火する。予熱にさして時間はかからない。

 藻永さんと委員長たちの話し声を背に、私はたい焼きを焼いた。



         **



 時計が午後を回り、散発的に来るお客さんの波も途切れた頃。

 昼下がりの静けさを埋め合わせるように彼女たちは到来した。


「杏ちゃん!? に幹さんも! ホンマに来たん!」

「えっ!?」


 驚いた滝野が出した名前にこちらもびっくりして振り返る。


「お久しぶりです師匠! 来ちゃいました♡」

「ども、引率です」


 揃えた指をこめかみに添えてかわいらしく敬礼する女子高生と、鮫に似た威圧感を放つボディーガードのような大学生。おそらく今日一番の遠方からのお客さん二人組だった。夏らしい軽装ながらそれぞれ大きなキャリーバッグを引いており、幹さんはリュックまで背負っている。学生カップルの旅行といった風体だ(カップルじゃないらしいけど)。


「遠くからありがとう! 来る前に一言メッセくれればよかったのに」

「サプライズですよサプライズ。師匠の驚く顔が見れて満足です。柊さんもおひさです」

「私はついでか~」


 たまにメッセは交わしていたけど、委員長さんと同じくらい懐かしい。

 半年と少しぶりに見る杏子ちゃんはまったく変わっていなかった。トレードマークのふたつ結びは高校生になっても健在だし、滝野にメロメロで私に塩対応なのももはや感慨深い。


「……柊さんは何ニヤニヤしてるんですか。注文していいですか?」

「え~積もる話は? お姉ちゃんまだ喋り足りないよ?」

「いつから姉キャラになったんですか。焼かれている間に師匠に話すので大丈夫です。私とミッキーに一枚ずつお願いします」

「承りました……そうだ、夜に女子会あるんだけど来ない? だべろうよ」

「師匠が出席するなら行きます」


 丸めた背中にポン、と置かれた滝野の手のひらが温かかった。

 火床の前に戻り焼き型を握り、材料の配置を確認する。心を持たぬたい焼きマシーンとして生きようと覚悟を決める。

 一丁焼きを作る間も、カウンターでのお喋りは耳に届く。


「そういえばくりすやさんと同じたい焼きができたって本当ですか?」

「ああ、桃がやりおった。来とらんけど秋さんも食べたがったんやないか?」

「はい、でもお店を空けるわけにはいかないからって。うちも日曜営業なので……あれ、お母さんからメールきた」

「噂をすればやな。なんて書いてあるん?」

「『やっぱり食べたいです(>_<)』って」

「あとでクール便で送ったるか」

(冷血……非情……鉄の心臓……我はたい焼きロボ……うう、話混じりたい……)


 私は以前テレビで見た刀削麵ロボの雄姿を思い出していた。中国三千年の歴史から生まれた山西省の最終兵器。機械仕掛けの手に持った包丁で短冊状に生地を削るアイツ。腕だけで事足りるのになぜ上半身丸ごと製造するのか? 意味不明だったけど今ならわかる。宿るのだ、人型には、魂が。


「日帰りっちゅーわけやないんやろ? どっか観光してきたん?」

「あー、観光というか推し活というか」

「お死活?」

「ライブのことっす。昨日の夕方、ドームでアイドルのコンサートがありまして。今日はその帰りです。要するにオタクの夏の遠征です」

「ちょっとミッキー、ついでみたく言わないでよ! あの、もちろん師匠が一番ですよ?」

「ライブかあ、懐かしいなあ。アタシも女子プロ時代にちょくちょくやったわ。勝ったチームがスタンド向いて踊るんよな。あれは謎の風習やった」

「えっそれどこかに動画残ってません? ブルーレイとか。いやまじめに」


 気持ちの籠ったたい焼きが焼けた。真顔で迫る杏子ちゃんと「ないでー」とへらへらかわす滝野の間に手ずから焼きたてを差し出してやる。たい焼きロボにも、心くらいある。


「お待たせいたしまシタ。熱いのでお気をつけてお召し上がりくだサイ」

「あ、桃。話しこんどってすまん……」

「柊さんなんか貫録つきました?」

「お疲れっす。いただきます」


 たい焼きを口にした杏子ちゃんと幹さんが立ったまま目を見張る。


「道の駅で食べたときよりもっと美味しい……これが師匠の家の味……」

「これから閉める店の味とは思えないっすね。もったいないです」

「おふたりさんともおおきにな」

「ももくりさん閉めた後は師匠と柊さんはどうするんですか?」

「桃は大学、アタシはプーに逆戻りやな。気楽でええわ」

「ふーん……おふたりとも、暇だったらうちで働きません? どちらでも歓迎ですよ」

「お嬢、うちの規模じゃ人が余りますよ」

「ミッキーがやめればいいじゃん。どうせ来年には他のとこに就職するんだし」

「さらっとひどいこと言ってます?」

「そうだ、あと紗優から柊さんに伝言があるんですけど」

「紗優ちゃんが?」


 縁なしの丸い眼鏡を掛けた少女のあどけない顔が蘇る。

 くるりと首の向きを変え、杏子ちゃんは不思議そうに尋ね返してきた。


「『お願いごと、叶いましたか?』って。これってどういう意味ですか?」

「あ――」


 初詣の日に交わしたやり取り、伝えた回答が呼び起こされる。


(『私の好きな人たちとみんなでくりすやのたい焼きを食べる』――)


 その願いごとは、今となっては永遠に叶わない絵空事だった。

 私の家族は死んだのだから。


「うん、八割方叶ったかな。心配してくれてありがとうって伝えておいて」

「はあ。……柊さん、やっぱり貫録つきました? 名古屋のときより大人びたような」

「そう? 嬉しいような悲しいような」


 自然とほころぶ私の表情を幹さんが見つめている気がした。

 何か用だろうか。視線を向けると、彼はそ知らぬ顔で目を逸らした。


「大前さん」

「ん? なんやミッキーくん」

「できれば普通に呼んでください。……ちゃんとしましょうね。お互いに」

「なんの話や?」

「いや、大人としてというか」

「ははーんジブン内定取れたからって調子乗っとるな?」


 どうでもいいポイントで無職志望のアラサーがキレそうになっていた。働きたいのか働きたくないのかどっちなんだ。

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