いなくなった人たち
その日は一月下旬にしては例年よりも実気温が高くて、けどしとどに降る雨の冷たさが春の気配を台無しにしていた。湿り気を帯びた夜の空気が部屋着越しに肌に染み入ってくる。いっそ先月みたく雪になってくれたほうが過ごしやすい気がした。乾いて張り詰めた雪の冷気は、厳しいけどさっぱりしているから。
リビングに入り暖房を点ける。冷蔵庫の中を確認するも例によって食材のストックはない。
(夕飯どうしよう、この寒いのに買い出しとか行きたくないし。と、そういえば収納にシリアルがあった気が……あったあった。牛乳ないけど)
ひとりで生きる練習をしろとは後見人の男の言だけど、食事と洗濯をこなせている時点で私は上々だと思う。石動さんが襲来した日から多少は生活を見直したのだ。
食器棚からサラダボウルを出し、適当にシリアルフレークを盛る。
ボウルは毎年製パン会社が実施するパン祭りの景品だ。
私の母はこのキャンペーンのポイントを集めるのが好きだった。シールで埋まった台紙を見せつけるように冷蔵庫に貼ってたっけ。
冷蔵庫の扉に視線をやる。白く無機質で殺風景な戸。仕事をなくしたマグネットが途方に暮れたように点在している。
(春以外のキャンペーンは抽選式だから参加しなかったんだよね)
往時の状態を保ったままのつるりとした鋼板ドアを撫でる。
この家の至る所に過去の日常の匂いがこびりついている。
それらを感じ取るたびに私は自分の気持ちがわからなくなる。怒りと悲しみ、諦めと恐れ、そして心身が鈍磨する疲れ――ぐちゃぐちゃに絡まった糸を引っ張ると余計に解けなくなるように、方々を飛び交った感情は今や巨大な結び目と化していた。今では肥大しきった糸玉を困った感じで俯瞰している。
ただ、ひとつたしかな気持ちはある。
それはたぶん寂しさに似ている。
「……やめやめ。さっさと食べて早く寝よう」
いただきますの挨拶も抜きに木製のスプーンを手に取る。
シリアルを口に入れる直前、見計らったように呼び鈴が鳴った。
通販の類は頼んでいない。こんな時間に誰が何の用で我が家に訪れるというのだろう。
玄関に出向き、ドアスコープを通して訪問者を確認する。
見知った顔がそこにあった。ガチャリと玄関扉を開く。
「石動さん?……こんな時間にどうしたの? 今日は八ビートじゃないんだね」
デジャヴを感じる。初めて会ったときと同じようなシチュエーションだ。
ふたつ違うのは、景色が朝から夜、雪から雨になった点と。
いつもにやけているふうな彼女の顔が、くしゃりと歪んでいる点。
「会いに、来たんだよ」
息を切らしてそう告げる声は切実な響きを伴っていた。
「えっと、どうしたの? 何か急用?」
「わかんない、とにかく行かなきゃって、そう思ったんだよ」
意味がわからない。何らかのアクシデントで人手が要るとかだろうか。それなら急いで準備するから早く用件を伝えてほしい。
「あたしは――」
ぐっと息を呑んで、石動さんは躊躇いがちに言葉を絞り出す。
「――半年前に、越して来たかったよ」
「は?……ああ。ああ――」
前も後もない、唐突で、文面だけだと意味不明なその台詞。
その一言で私は、彼女が私の――柊桃の事情を知ってしまったのだと把握した。
「あたし、さっきまでクラスメートの子と電話で色々喋ってて。柊さんの名前が出て、その子がふっとこぼしたのを聞いちゃって。その子はすぐに口をつぐんだのに、あたし、問い詰めちゃって、それで」
普段の間延びした口調ではない、普通の子みたいに彼女は語る。
私は話をさえぎった。こわばる表情筋に鞭打って唇で円弧の形を作る。
「わかったわかった、みなまで言わずとも」
「無神経でごめん。今までも、今も。でもなんか、居ても立ってもいられなくて」
「いや、いい。いいんだよ。わざわざ来てくれて嬉しいよ。ほら、泣かないの」
涙ぐんでいる石動さんをどうどうと両手でいなしながら、私は眼前の少女への興味が急速に薄れていくのを感じていた。
彼女も知っている側に立ったのだ。これまでの関係は終わりだ。
ふたりで過ごしているときの居心地は決して悪くなかった。けど、孤独で在りたい気持ちをなあなあにする後ろめたさも覚えていた。大切になる前に距離ができて良かったと考えるべきだろう。四月から始まる新生活への踏ん切りとしてはちょうどいい。
「あがりなよ。雨降ってるし、玄関口で話しこむのは寒いでしょ」
私は彼女を家に招き入れた。友達未満に戻るために。
――絵に描いたような、なんて嘘っぽい定型句で表したくなかった。
月並みな家庭でも、私のおうちはただひとつ、たしかに在ったのだ。
人懐っこい笑顔とクセっ毛が大型犬みたいな父だった。
天体観測と機械いじりが趣味の生粋のインドア派。ゆるいお腹周りを抱えて母の料理を称えるのが持ちネタだった。多忙なサラリーマンの身でありながら週二日は定時であがって、学校から帰ってきた私たちと共に夕食を囲む。土日に仕事を持ち越してでも家族との時間が欲しかったらしい。そのサイクルは美傘への転勤が決まり、拗ねた私が父を無視していた期間も変わらなかった。
いつだって冷静で声を荒げない「あらま」が口癖の母だった。
歯科助手のパートと子育てを両立する料理上手のお酒好き。結婚前は外資系メーカーの研究職に就いていたらしい。一見すると表情に乏しい正論マシーンじみた人で、私と妹を叱る際もただ淡々と正しさを振るい続ける。子どもの私たちは何も言い返せずにげんなりしていたものだ。けど決して冷淡ではなく、それどころか大の寂しがり屋だった。私や妹とアニメを見たり、一緒に服を買いに行きたがった。
私と四つも年の離れた、生意気で甘ったれの妹だった。
小さい頃はとてとてと私に付いてくる可愛い娘だったが、小学四年の半ばあたりから突如ギャルっぽい文化にかぶれた。ほんのり染めた茶髪で地毛の私にやたらとマウントを取り、事あるごとにお姉も染めろ、あとオシャレしろと圧力をかけてきた。このように普段うざったいくせに肝はハムスターよりも小さくて、雷が鳴れば私の布団に飛びこみ、夜中に尿意を催せばお願いとトイレに付き合わせる。ため息交じりに受け容れる私を見て妹はご満悦だった。
ひとりひとりちょっとずつユニークで、だからそれなりにケンカだってする。
そんなごくありふれた、けれど私だけの愉快な家族たちだった。父と母が子どもの前だろうとイチャつくのには辟易したけれど、それだってまあ嫌いではなかった。
私はみんなのことが好きだった。
みんなも私を好きでいてくれた。
そう確信できる、断言できる日々を送ってきたつもりだった。
「いや、朝起きたらいなかったんだよね。三人揃ってぱっと消えた」
私の人生は、その日、その時、その瞬間まで満たされていた。
満たされていたのだ、本当に。
「その前の日……ああ、今から数えてだいたい半年前ね。家族で海に行ったんだよ。このへん遊泳禁止だから、ちょっと先の海水浴場までね。美傘に引っ越してからは毎年恒例のイベントになってたんだ。家族全員運動オンチなのにみんな楽しみにしてた。あはは」
この半年間、警察相手に幾度も繰り返した説明だ。
編集を済ませた動画のように言葉は淀みなく流れ出てくる。
「貝殻拾って、バナナボート乗って、砂に埋められて、カレー食べて。海の家の食べ物ってしょっぺーって笑ってたら母に叱られて。あっという間に日が暮れて、妹が帰りたくないってだだこねて。帰りに海岸通りのファミレスに寄って夕ご飯を食べて。家に着いてすぐお風呂に入って、寝惚けた頭でベッドに潜った。そうしてとろけるみたいに寝たの」
夢見心地とはきっとあのときのような状態を指すのだと思う。
翌朝起きたら、広い家の中には私以外誰もいなかった。
朝陽が射すリビングのがらんとした空気は今も忘れられない。
「最初はみんなが私だけ置いてどこか出かけたのかなって思った。書き置きひとつも残してないのはちょっぴりカチンときたけどね。おまけに携帯もつながらないし、こうなったら家で待つしかない。帰ってきたらどう文句つけてやろうかってずっと考えてたよ」
「……」
「車がガレージにないのが気になったけど、どうせ近くだと思った。近所のコンビニあたりに出たならまあすぐ帰ってくるだろうなとか、大方妹がこねた駄々にでも付き合わされたんだろうなって」
トーストにジャムを塗りたくりながら立てた私の予想は外れた。
日が昇りきって、暮れて、夜が更け、また日が昇っても戻ってこない。軽度のパニック状態に陥った私は家から飛び出した。ゴミ出し中の近所のおばさんにたまたま出会って状況を話し、警察に連絡を入れた段でようやく事の重みを認知した。
車は海の前の駐車場で見つかった。無論、もぬけの殻だった。
「最初の一週間くらいは全国ニュースにも流れてたんだよ。大人の人が頑張ってくれて私の名前はすぐ伏せられたけど、今でも検索すればネットの記事なんかでは引っかかるみたい」
「……」
「財布も通帳も持って行かずに、なんだか煙みたいに消えちゃった。ひどい雑誌だと『現代の神隠し!』なんて煽りまで付いてたし。そりゃ妙ちきりんな事件だけど天狗の仕業扱いはないよ、ねえ?」
軽い口調で同意を求めるも石動さんは硬直したままだ。せっかく淹れたお茶にも手をつけず、椅子に座って茫然としている。
ぬるくなったお茶で口を湿らせて私は喉の滑りを良くした。
「でも、本当にきついのはいなくなっちゃったこと自体じゃないんだよね」
湯呑みをテーブルに置く硬質な音がやけにはっきり耳に届く。
(だいたい私、今でも柚子たちが死んだなんて思ってないし)
「本当にきついのは、家族の……三人の気持ちがわからないこと」
「……気持ち?」
「たぶんさ、何かの手違いだと思うんだよ」
彼女の疑問符に背を押されて、私は胃の奥のしこりを吐き出す。
「私だけ残るなんて不自然じゃん。おかしいじゃん。意味不明じゃん。物事には理由があるはずじゃん。だから色々探してみたんだよ」
顔でも成績でも態度でも、理由になるのならなんでもよかった。
「私ひとり取り残されたわけ。でもわからない。わからないんだよ」
家族が私を置いていく理由。
私が家族に疎まれる理由。
理由があるなら納得できる。どれほど受け容れ難い事実でも、なら仕方ないかと飲み下せる。大きくて喉につっかえそうなカプセルを水で流しこむように。
でも、これだと確信できるような動機には結局至れていない。
私のどこがいけなかったのか? 何もかもが悪かった気もするし、大人がこぞって慰めるように何にも悪くなかった気もする。
状況的には入水だけど、亡骸がなくて生死すら不明だし。
気持ちの置きどころが見つからない。
何に納得することもできない。
考えるたび思考はループして胸の糸玉が膨らんでいく。あちこちで絡まり、ほつれ、ちぎれて、そこからまた結び目が生まれる。行き場のない感情の塊が内側から肺を圧迫する。
そんな、無為で答えのない袋小路の日々が何ヶ月も続いた。
いつしか、心が溺れた。何をしていても息が苦しくなった。
「だからもう考えるのはやめた。私は疲れた。家事もしんどいし」
肺に残る最後の空気をさらって呟く。少し語尾がかすれた。
両手を椅子の縁について、仰け反るように背もたれに身を預けた。固まった背筋を伸ばしながら蛍光灯の光に目を眇める。
溜まった膿を出し切ったかのような、ひどくすっきりした心地だった。
「いっぱい喋ったら疲れちゃった。石動さんからは質問ある?」
変な満足感を覚えつつお気楽な調子で尋ねかける。
突然水を向けられた石動さんの青い目がかすかに揺れた。その瞳が驚いたようにひと回り縮み、追って声が漏れる。
「あ……」
「今ならなんでも答えるよ」
言葉と視線で続きを促す。彼女はしばらくの逡巡の後、再び唇を薄く開いた。
小さな雨音に紛れようとするか細い声に耳を傾ける。
「柊さんは……なんで笑ってるの?」
「や、だって笑うしかないでしょう」
ぱたぱた手首を振って苦笑する。おばちゃんみたいな仕草になってしまった。
「半年前のこと全部、もういいやって言えたなら楽なんだけど。さすがにそこまでは割り切れないし。……正直、そのうちひょっこり帰ってこないかな? とか思ってたりして」
家から通いやすい地元の高校を選んだ理由もそこにある。
私はなるべく家に居たい。その感情の存在を無視できない。
「そういうのまじめに考えてると頭おかしくなるから、笑ってる」
へらりとほころばせた口元は自分では確認できないけれども、きっといつも石動さんが浮かべているそれに似た形だと思う。
「柊さんは、それでやってけるの」
「うん。これでもひと通り生活できる程度には立ち直ったんだよ」
「先月家の中で行き倒れてたじゃん」
「あれはそっちの間が悪かったの。今はきちんと三食食べてるよ」
テーブルの隅に押しのけていたシリアルの皿を引き寄せて笑う。三食は盛ったがまあいいだろう。石動さんはなんとも言えない微妙な顔でシリアルを見ていた。
彼女の詰問もそこで止まり、重たい沈黙がリビングに落ちる。話題を求めてテーブルに目をやるも、あるのはエアコンのリモコンと湯呑みがふたつとシリアルのみ。「石動さんも食べる? おいしいよ」……答えはなし。空気読まなすぎたか。
ぼちぼち切り出すタイミングだった。目を伏せてゆっくりと口を開く。
「……ただ、まあね、うん。大事な人がいきなり消えるってのはきつかったよ」
「……うん」
「だから、もう二度と同じ思いはしたくないかなって。そう思うんだ」
面を上げて、まっすぐ刺すように石動さんの瞳を見据えた。
彼女が目をしばたたかせる。
「石動さん、この二週間かなり私に声かけてくれてたよね。私が学校のどこに居ても、何をしていても浮き気味だったから。転入生の世話とか言っといて、気を遣われてたのは私のほう」
火鉢に箸を突っこんだように彼女の目が強い光を放つ。
「今だってそう。石動さんは私なんかのために駆けつけてくれた。私の中のダメージに気付いて、なんとかしたいって走ってくれた」
「ち、違う。あたしは、あたしが柊さんに謝りたかっただけで」
「ううん、違わない。私がこう言ってるんだから、私が正しいの」
戸惑う石動さんににっこりと笑いかけて反論を封じる。
私と彼女の間に一本一本見えない線を引くように、その境界の向こう側に運び出すように感謝の意を重ねる。
必要なのは過去の清算だ。相手を想う理由の解消だ。
返せるものなんて何もないけど、せめて気持ちの上だけでも貸し借りゼロの状態に戻りたかった。後腐れなくお別れするには気がかりひとつ残してはならない。
「なんていうか、世話かけてごめんね。ありがとう。石動さんは良い人だったよ」
大切なものは作りたくない。
だからもうこれ以上、あなたとも仲の良い時間を過ごしたくはない。
言外に籠めた断絶のサインを彼女はきっと受け取ってくれる。そう信じてただ笑顔を作った。石動さんはわずかに眉根を歪めた顔つきで押し黙っていた。
エアコンを切って席を立つ。
玄関に続く部屋の戸口を開けると、冷えた空気が頬を撫でた。
「もう遅いしそろそろ帰りなよ、親御さんだって心配してるでしょ。家すぐそこだし送っていくから。……あ、そうだ、これ言ってなかったね。あのうどん、結構おいしかったよ」
振り向きざまに微笑んで告げる。石動さんはまだ席を立たない。
異様な静けさに包まれた室内で彼女が動き出すのを待つ。つい先刻まで優しく降り注いでいた雨の音も止んでいた。掃き出し窓から庭先を覗くと、雨は雪に変わっていた。
「……そっか」
石動さんがぽつりとそう漏らす。
やっと納得してくれたか。
付いてくるのを期待して再び玄関に向かおうとした拍子、
「そっか~」
その声色がオセロでも裏返したかのように明るく弾んだ。
にこにこ顔の彼女を前にして今度はこちらが固まる番だ。
「……石動さん? 急にどうしたの?」
「ならさ~、あたしは約束するよ~」
のんびりとした声音で、歌うように石動さんはそんなことを言う。普段の彼女の喋り方だった。この二週間覚えていなかった、癇に障る感覚を思い出す。
「えっと、何を? 約束って何さ」
返す言葉にも苛立ちが籠る。その理由が自分でもわからない。
「あたしはいなくなったりしないよ~。約束するよ~ずっと一緒だって」
石動さんは椅子に座ったまま、立てた小指をこちらに差し向ける。
「日本ではこうするんでしょ~?」
くいくいと手招きするように関節を曲げてフックの形にする。
「……もしかして、指切り?」
「そ~そ~」
はっ。
毒の吐息が無意識にこぼれる。なぜだろう、嘲らずにいられない。
「同情ありがとう。やっぱあなたにはその軽薄な口調が似合うよ。ところで石動さんって捨て犬とか拾って始末に困るタイプ?」
「ペットは昔飼ってたけど、捨てられてる子はまだ見たことないかな~」
「そりゃ良かった。あなたに適当に拾われた子はきっと身が保たないよ」
小馬鹿にした目で見下ろしてやるも彼女は挑発に動じない。
私はさらに続けようとして、けれど舌が途中で止まってしまう。
代わりに妙な質問をしてしまう。
「……石動さんは、もしも天狗とかUFOにさらわれたらどうする?」
「頑張って逃げて帰ってくるよ~」
「変質者に刺されて海に捨てられたら?」
「刺されないよ~。一族秘伝のサンボで返り討ちにしてやるよ~」
「じゃあ、妹さんの都合でまたどこか遠くに引っ越すってなったら?」
「ここに残るよ~。高校生にもなったらひとり暮らしできるっしょ~」
彼女は試すような問いかけにも泰然自若の様子で応じる。
募るイライラが抑えられない。その場で足を踏み変えるとみしりみしりと板張りの床が軋んだ。
「意味わかんない。信用できない。だいたいなんで私なんかのためにそんな頑張ろうと思えるわけ? まだ会って一ヶ月ちょっとだよ。たいして仲良いわけでもないじゃん」
「どうしてって訊かれてもな~」
ちょこんと顎に指を当てて可愛らしく首をかしげる石動さん。こいつまさか今考えてるのか? 怒りを通り越してややビビる。
「まあ、たしかにあたしたちまだ『マブダチ! ズッ友!』って感じじゃないよね~」
「あなたやっぱり外人じゃなくない? 単語のチョイスが俗っぽすぎる」
「だからそういうの憧れるんだ~。あたしず~っと転校続きで人付き合い続かなかったから~。別れてすぐのうちはお互い色々連絡取りあってるのに、気がついたら疎遠になってるんだよ~。仕方ないけど寂しいもんでね~」
「……それは、そういうもんでしょ。別にそいつらが薄情なわけじゃない」
「うん、あたしもそう思うよ~。誰だって今の環境でやっていくのに精いっぱいなんだよね~」
石動さんはそこでひと息つき、ふっと天井に目線をやった。
「でも、あたしだってひとりくらい、そうじゃない友達が欲しいんだ~」
「で?」
「だから柊さんがそのひとりになってくれたら嬉しいな~って。ほら、これっていわゆるウィンウィンの関係ってやつじゃ~ん?」
「私はウィンじゃない。ていうかそれなら別に他の奴でもいいでしょ、巻きこまないで」
「柊さんがいいんだよ~」
そう言って彼女はすっくと立ち上がり、私のほうに歩いてくる。
「ちょ、何。怖いんだけど」
「なろ~よ~そうじゃない友達~。ピンチのときは駆けつけるからさ~」
「今がピンチだよ」
彼女は着々と近づいてくる。私は我知らず一歩退く。沓摺りを越えて廊下に出るも石動さんの歩みは止まらない。部屋と廊下の境界を踏み越え、たじろぐ私にずいっと迫る。
「実はあたしも柊さんに伝えてなかったことがあるのです~」
「な、何」
「あたしも高校美傘受けるんだ~。だから合格したら四月からも同じ学校になるわけよ~。残念~逃げられませ~ん柊さんは回りこまれてしまった~」
「……は!?」
寝耳に水の話だった。はからずも声が引っくり返る。
「嬉しい~?」
「うっ――嬉しいわけないでしょ!? 何考えてんのこのストーカー女!」
「あたしの一番の志望動機は家から高校までの距離で~す。決めた時点では柊さんとかど~でもよかったし。自意識過剰はやめちくり~」
「こっこのアマ……!」
「さっきの約束、何も今すぐにとは言わないよ~」
石動さんの一言でカッとなった脳みそにブレーキがかかる。
今じゃなくていい? どういう意味だ? 問う前に彼女は二の句を継いだ。
「高校入ってしばらく経ってさ、ぼちぼち『こいつは大丈夫そうだな~』って思ったタイミングでいいよ~。あたしはその日が来るまで待つよ~。準備ができたら約束しましょ~」
ぴんと立てた小指の先で円を描いて彼女はふんわりと笑う。
そんな日は来ない、私はあなたと深い関係になんてならない――突っぱねるのは容易いはずだった。けど私は返答に窮した。自分の口じゃなくなったみたいに舌が口内をうろうろと惑う。
迷った末に掴み取ったのは、弱腰で受け身な仮定の返事。
「……仮に石動さんの言うように一旦保留にするとして。その間はどうするの。仲良しこよしなんてゴメンだよ」
「ん~~~……あっ! じゃあ腐れ縁ってのはどう~? 嫌だけどなんか一緒にいるやつ。柊さんにぴったりじゃ~ん!」
ぽんと拳で手のひらを叩いて彼女は楽しげな顔を浮かべる。
「ずいぶん人工的で歴史の浅い腐れ縁だね」
「これからなっていくやつだからね~」
断定調で語る石動さん。予定を変えるつもりはないらしい。
どうせ何を言ってもこいつにはのらりくらりとかわされるのがオチだ。相手の頑迷さを理解した私はとうとう観念した。
「好きにすれば。でも私はあなたもそのうちいなくなる奴として扱う」
「やった~! じゃあ高校でもよろしくね~合格したらの話だけど~。せっかくだし今からオールで勉強会でもする~? 楽しいよ~」
「さっきの台詞さ、訂正するよ。石動さんは良い人じゃない。いい性格の人だ」
「日本語おもしれ~」
ブロンドうどんストーカー女、はす向かいに住む自称腐れ縁――石動英実梨との関係はそれから約二年ほど続いている。
約束の指切りはしていない。
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