一幕目

 私は身体的な技能の優劣や熟練度を測る物差しを有していない。従って背後に現れた少年に気付けなかったのが彼が修得した技能の賜物なのか、単に緊張感の欠如した私の迂闊さが招いた失態なのかが分からない。願望から言って精神衛生的にも出来れば後者である事は避けたいとしても、だ。然しながら、では何も分からないのかと問えば、分野として不得手な部分はあったとしても。『何も』と形容詞を付けるのは我ながら些か卑下し過ぎであろう。ゆえに分かる事もある、と付け足しておく。


「随分と率直に物を言うじゃないか。大方、良家に生まれて苦労も知らずに生きて来たんだろ。けれど教えてやる、済ました顔で大言すれば大物振れる訳ではないぞ。親の金で自慰行為をしたいなら他所でやれっ、小生意気な小娘!!」


 子供の癇癪と呼ぶには漂わせる威圧感は真に迫り。私の発言を曲解して妄想して。或いは私の姿に格差社会の縮図の如く情景を見ているのかも知れない。それ程に嫌悪と憎悪を滲ませる声の響きであった。


 ぱしっ、と膝を叩き。私は芝生から立ち上がる。瞬間。一陣、吹き抜ける風が芝生を揺らし。はだけた外套から顕になった面差しに纏められていた長い黒髪が宙を舞う。が、少年を前に構わず歩みを寄せて、視線を逸らす事も無く、ぐいっ、と下から見上げる形で吐息が届く距離にまで顔を近づける。


 一息入れる間に。


「ぎゃあぎゃあ、と雛鳥宜しく喚き散らすな、この鼻垂れ小僧が」


 高らかに愉快に。私は告げる。


 互いが触れ合う程の距離。交差する併せ鏡の如く少年の瞳に黒曜のかんばせが映り込み。瞳の内に私を象る口元は不敵な微笑みを浮かべていた。挑発的な言語に反して胸中に抱いていたのは苛立ちや怒りとは異なる淡い期待。


 みらいを狭め閉ざすと言う意味で私は運命を他者に委ねる人間を好まない。錬金術師とはその在り方ゆえに最良では無い最善を望み。欲望を満たさんと抗う人の闘争を清濁併せて肯定する存在だ。眼前の。全てを疑う事でしか生存を許されぬのだろう、少年の猜疑心は強く好ましく。屈せぬと。生きるのだと。誰よりも瞳の奥で主張していた。


 沈黙と呆然と。刹那に魅了して。すっ、と顎を引いた私は身を離す。代わりに伸ばす指先は一本。少年を指し示す。


「おっと失礼。私はクリス.マクスウェル。郊外で装飾品の店を営む錬金、おほんっ、魔法師で理由わけあって茶番に興じているけれど、成り金の小娘ではないよ。悪しからず」


 少年はじっ、と私を見つめている。が、返す言葉は紡がれず否定で応じて来ないなら、と更に言葉を重ね。


「君たちならば直ぐに真偽は知れるんだろう? じゃあ調べて見ると良いよ。私の言葉がまこと為らざる紛いモノの真鍮か。真実に足りる黄金か」


 視線の先。少年の瞳に強い意思が戻るのを感じる。挑発と受け取ったのだろう、先程よりもより強く真っ直ぐに私を見つめ返して来る。


「それに何の意味がある。仮にあんたの身元に偽りが無くたって、何の証明にもならない。何一つ状況は変わらないだろう。それとも何か? 救世主気取りのお嬢さん。あんたが俺たちを救ってくれるとでも言うのかよ」


「救う? 誰が? 何故?」


 知らず、くすっ、と笑ってしまう。決して馬鹿にした訳ではないが、前提からして噛み合わず。此処まで開け透けに胸襟を開いている私に対してその問答は場違いにも程がある。


「君は面白い男だな少年。私の目的は互いに利が有るのだから、暫くは成り行きを見守って見てはどうか、と単に提案しているだけだよ。勘繰られるのは心外だ。それとも君は説法でも説いて欲しいのかな? 救うだの救わないなど、心底性もない。挫折も栄光も。人生とは己で選んで歩むものだ。決めるのは私では無く君たちの『役割』だろ」


「詭弁は止めろ。お前たちは何時だってそうだ。勝手な理屈でずかずかと踏み入って、施しなどと上から憐れんで。満足したら勝手に去っていく。俺たちの都合も事情もお構いなしにな。もう俺たちは。大人たちも。誰も外の連中なんざ信じちゃいない。目障りなんだよ、これ以上俺たちの人生に関わってくるな!!」


 癇癪では語れぬ失意と失望。彼の拒絶の深さを察するにつれ。貧民街と外部の隔たり。想像以上に拗れている両者の関係性を知る。ならば少し方向を修正して事態に当たるとしよう。


 指差す形を緩めて広げ。大きく一歩を踏み出すと、踵を上げて少年との身長差を埋める。意表を付いて唐突に。余りに自然な動作であった為だろうか、気勢を制して私の右手が少年の黒髪に触れ。流れで、くしゃっ、と手荒に撫でてやる。


「なっ!!」


 驚いて少年が大きく飛び退いて私との距離を取る。


「なら少し時間を掛けようか。これは取引だよ少年。私は君たちを知りたい。対価に私を教えて上げよう。約束しよう。クリス.マクスウェルの名に置いて、この契約に主従は無く上下は無く。私たちは等しく対等であると」


 私は提案し宣言する。視界に映る少年は驚きゆえか、顔を真っ赤に紅潮させて。避けているのだろう。何故か視線が合う事は無かった。だからと言って焦りはしない。今の私は大人の女。即答為らざる返事を待てる程度の度量は見せて置く事にする。


 


 

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