ユモレスク

Hiroe.

第1話

1.


 タタン、タタンと軽快なリズムに揺られながら、青年は窓の外に流れていく景色を眺めていました。のんびりと草を食む牛たちは汽車になど目もくれず、ときどきパタリと尾を打ちます。黄色い花は色濃く開き、青く広がる空に咲いているようです。


 青年は歌を口ずさんでいました。聞いたこともない、デタラメなメロディです。考えることもなく青年の唇からこぼれる音に、車掌さんが尋ねました。

それはなんていう歌だい?

さぁ、まだ名前がないんだ。

それだけ答えて少しはにかんだ青年に、肩をすくめた車掌さんが片道切符をきりました。


 退屈な田舎の風景を飽きもせずに眺める青年を、まばらに座った乗客たちが不思議そうに見ています。どこまでも続く牧草地を見つめる横顔は、きらきらと紅潮していました。青年が口ずさむメロディが、汽車が奏でるリズムに乗って広い草原を渡っていきます。


 青年をのせた汽車は、街に向かって進んでいました。街の駅には大きな広場があって、青年は今日そこでひとりの女の子と会うのです。青空に高く飛沫をあげる噴水の前で、小さな青い宝石の指輪を、その子のくすり指にはめる約束をしているのでした。


2. 


 広場にはたくさんの人がいました。色とりどりのアイスクリームに、おしゃべり好きな夫人らの語らいが木陰を伝い、ボールを追いかける子どもたち。何もかもが青年を祝福しているようです。真上に輝く太陽の陽ざしに目を細めながら、青年はポケットの中でくるりと指輪を回しました。


 さざめきの中に吹きあげられた噴水の水は、きらきらと輝きながら溜まりへ還り、白く泡立ちます。澄んだ水の底には、とりどりのコインが沈んでいました。使い走りの子どもたちが握りしめているものもあれば見たこともない異国のものも、ずっと昔の古ぼけたものもあります。


 再会あれと願いを込めて、広場を去る人々が投げ込んでいくのでした。


 昼下がりの時間が過ぎても、夏の広場はまだまだ明るく、人々のざわめきも絶えません。噴水の淵に腰をおろして、青年は口笛をふきました。汽車のリズムで刻むメロディは、楽しげなざわめきに吸い込まれて消えていきます。ひとりの子どもが差し出したアイスクリームを、笑って少し齧りました。


 昼間の熱を冷ます心地いい風が吹くようになると、広場はますます活気づきます。噴水の向こう側では手品が始まり、大きな歓声があがりました。陽気に楽器を吹く男たちの帽子には花が投げ入れられ、焼き菓子の屋台に子どもたちが駆けていきます。青年はその風景を眺めながら、靴の先でタタン、タタンとリズムをとっているのでした。


 薄紫に染まった空を、小鳥の群れが飛んでいきます。ずっと遠くまでそれを見送った青年は、ぱしゃりと噴水の溜まりに手をひたしました。冷たい水の感触がすこやかな胸までじんわりと広がると、青年は立ち上がりました。そしてタタン、とひとつステップを踏んでから、駅へと足を向けたのでした。


3.


 どこまでも続く牧草地の風に乗って、デタラメなメロディが流れていきます。聞いたことのないデタラメな旋律に首をかしげて、少女が尋ねました。

それはなんていう歌なの?

さぁ、まだ名前がないんだ。


 線路はどこまでも続き、まばらに乗った乗客を街へと運んでくれます。なぜだか楽しい気分になって、少女はあどけなく笑いました。

おじいちゃん、なんだか嬉しそうね。


 街に着くと、広場の真ん中に高い噴水がありました。溜まりの底をのぞいて見ると、さまざまなコインに紛れて、ひとつの指輪が沈んでいます。迷うことなくそれを拾いあげて、老人は少しはにかみました。


いつだって、人はすれ違うものだけれど、最後はここにたどり着くんだよ。


 再会の願いも永遠の約束も、それが果たされるいつかさえも、汽車のリズムに揺られてやってきます。


 途切れることなく浮かびくるメロディに名前をつけるとき、それを幸せと呼ぶのでした。

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ユモレスク Hiroe. @utautubasa

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