第20話 ヒロイン登場
「おい!ゴキブリ!」
貴族学校に通っている間は、紳士でお上品な領主様の息子であるハインツが、顔をくちゃくちゃにしかめながら私に呼びかけてきたわけですよ。
この世界にも、前世と同じように皆んなから忌み嫌われる『ゴキブリ』なるものが生息しているわけだけれど、黒髪、黒眼で、平民の私なんかは蔑みの象徴みたいなものだったんだろう。
普通の子供だったらそりゃ、激しくショックを受けたと思うんだけど、何せ五歳から戦闘に駆り出されているわ、入学式の際に、はっきりと前世の記憶を取り戻すわで、性格的なものが前世である大人のものに引っ張られるような形となっていたんだよね。
だから、
「ゴキブリ!」
と言われたところで、
「はあ、そうですか」
くらいのものにしか感じられなかったけれど、貴族学校の頂点みたいな位置にいるハインツからゴキブリなんて言われたら、
「おい!ゴキブリ!」
「ゴキブリ!」
と、同調するように言い出す奴が山のように出て来たわけだよ。
うちの実家は黒の一族という遊牧民族なんだけど、武力に特化した特性を持っているだけあって、戦闘での残虐さとか、恐ろしさとか、結構な逸話が残っていたりするわけ。そのうち残虐非道だという一族の噂が学内で蔓延するようになって、皆んなが私を無視するようになったんだけど、その噂を流したのがハインツだということには気が付いていた。
何せ希少と言われる辺境の一族だし、王族からの扱いも最低だし、ゴキブリ並みに忌み嫌われていると言われれば、そりゃそうでしょうねと思うしかない。
前世の記憶を取り戻して、同じように前世の記憶を持つイヴァンナ様と出会って、私の中では学校なんか、とりあえず通っているだけのどうでも良いものであったし、ハインツのクソ野郎のことなんか、実にどうでも良い存在。
「死ね!」
と、貴族学校に通っている間は、心の中で何度、呟いていたことか。
学園を卒業して、ハインツは中央の貴族令嬢と結婚して、子供も生まれたなんて話は噂で聞いてはいたけれど、いくら昔の同級生だからって、
「はあ、そうですか」
くらいにしか考えられないよね。
ハインツの妻が愛人を作って出て行ってしまったし、元々、僕は君のことが好きだったんだ。子供達と同じように君は僕の宝も同じだから、どうか、僕に守らせて欲しい。なんて言われても、五日ほど前の私だったら、呆れ返りながら顔を顰めて、
「はあ?」
と言っていたよ。
「お前、学生時代に、ゴキブリ、ゴキブリ言っていた癖にふざけんなよ?」
くらい、言っていたかもしれないよ?
だけど、子供たちは可愛らしすぎるし、ハインツは学生時代では見たことないほど真摯な対応だったし、結局南極、ほだされていたかもしれない、五日ほど前の私だったら。
だけれども、約二日前に出会った男と、酒の勢いでベッドインした私の頭の中は、大半があの男のことで埋め尽くされているわけよ。だからこそ、子供達も可愛い!ハインツの言っていることも有難いんだけども!彼らの存在が自分のど真ん中に移動して来ない。
本当にどうしようもないと思うのは、さっきまで一緒にいたウィルさんは、私の恋人でも何でもない、赤の他人以外の何者でもない。将来の約束をしたわけでもなく、今後、何かの関わりがあるわけでもない、カンポット小砂漠で砂の象(ダムレイ)に襲われていた商隊の人というだけの存在だってこと。
もう会うこともない人が自分の頭の中の中心に鎮座している今のこの状況に苛立ちを感じるんだけど、この状況で、真摯に私のことを思ってハインツに話しかけられると、無茶苦茶罪悪感が湧き上がってくるわけですよ。
「一緒に皇国に行こうよ!」
なんてことを気軽にウィルさんは言っていたけれど、そもそものところが冗談みたいな話だし、その冗談を間に受けて商人のウィルさんについて行ったとしたらだよ?最終的には飽きられて何処かに売り飛ばされるのが関の山。族長の娘が皇国人と駆け落ちした〜、なんてことになったら、一族郎党皆殺しは決定したも同じこと。
だったら、バッテンベルグ家の次期当主であるハインツの手を取った方が良いんだろう。ハインツは私を壺詰にするつもりもないと言うし、彼のお気に入りの地位に付けば、うちの一族が優遇されるなんてこともあるかもしれない。
そう考えれば、愛とかなんとかは別として、自分が取るべき道は決まったようなものだと思うんだけど、どうしても葛藤が生じてしまう。
それは学生時代にハインツから虐められたから?
いや、そういうんじゃなくて、前世に引き続き、今世でも、男に口説かれるという経験が少な過ぎるし、今となってはどっちの男の顔を思い浮かべても、ただただ、罪悪感が溢れ出てくるだけだから。
今後、会うこともないウィルさんに罪悪感を抱くのは全くもって不毛だというのは分かっているんだけど、とにかく、一ヶ月くらい時間が欲しい。一ヶ月くらいしたら、彼の事を記憶の彼方に捨てることが出来ると思うから。
「はあ〜」
ハインツの色気ダダ漏れの甘い瞳を前にして、居た堪れなくなった私は、お花摘みに行くと言って席を外し、救済テント近くにある女性用トイレに向かって歩いていると、
「ねえ!ねえ!ちょっと!ちょっと!」
と、灌木の茂みの中から女性が声をかけて来たのだった。
「リン・ヴィトリア・アヴィス、あなた、今、二人の男の間で心が揺れ動いているのではなくって?」
「はあ?」
「どちらが好きなのかと思い悩み、イケメン二人の間に挟まれて、自分の心がわからなくって、悩み苦しんでいるのではなくって?」
「はい?」
あまりにも聞き捨てならない言葉が連続して発せられた為、灌木を掻き分けて中を覗き込むと、ピンク頭が星明かりの中に浮かび上がる。
灌木に埋もれているのはヒロイン、ドロテア・ベルツだったのだが、男たちを魅了する新緑の美しい瞳が私を見上げると、
「ねえ、あなた、前世の記憶ってある?私、昔は日本人で、この世界のことを映画で見て知っているんだけど」
と、言い出したのだった。
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