第16話  失意のドロテア

 家の中にある、あらゆるものを壊し、踏みつけ、投げつけていたドロテアは、いつの間にかそのまま眠り込んでいたようで、目が覚めた時にはどうしようもない程の空腹を感じていた。


「エルマー、ねえ、帰っているんでしょう?エルマー?」


 壊れた家具が散乱する家の中にエルマーが居る気配はない。


「エルマー・・ねえ・・どこ?」


 エルマーには、ハインツとリンが、本当にキャンプに行くことになるのかどうかを確認するように言って出掛けさせた。


 それから二日経ってもエルマーは家に帰って来ず、三日目になってようやっと外に出ることを決意したドロテアが、エルマーが勤める軍部へと顔を出すと、

「エルマーは新婚休暇をとって休んでいるけど?」

 エルマーの同僚がドロテアを見下ろしながら言い出した。


「あいつ、お見合いパーティーで真実の愛宣言をやらかしたんだろう?そうすると結婚扱いとなって十日間の休みを取ることが出来るんだよな。その申請をして休暇中だったんだけど、エルマーに騙されたクチなのかな?」


「騙されたってどういうことですか?」

「いや〜」


 大柄の兵士は太い眉をハの字に広げて、小さく肩をすくめながら言い出した。


「フィルデルン王国では少子化対策のために、遺伝子レベルでカップリングをして子供を作ろうなんていうことをやっているわけだけど、実際、無理やりカップリングされるなんてことに忌避感を持っている奴もいるし、子作りで利用されるのが嫌だって言い出す奴もそれなりにいるわけなんだよね?」


 男爵の娘であるドロテアは、無理やりキャンプに参加をさせられることはないけれど、平民であれば、ほぼ、ほぼ、強制的に参加。女性はペアとの間で出来た子供を身籠ることになる。


「キャンプには絶対に参加したくないっ!って奴らが逃げ道として使うのが『真実の愛』宣言、これをやれば結婚したのと同等の扱いで記録院に登録されるからさ。この国では離婚は滅茶苦茶難しいし、片方が死ぬまで解放なんかされない。だけど、法律で、伴侶を養わなければならない、生活を補償しなければならないなんて文言は一つもないのは知っているでしょう?」


「え?」


「平民にとっては『真実の愛』宣言は、籍だけ入れて、後はご自由にどうぞってことなんだよ。登録済みであれば、強制的にカップリンされないし、キャンプのご案内も来ない。子供を産むことも強制されないから、最近、この抜け道を利用する奴が増えているんだよね」


「えええ!伴侶なのに、生活の保証をしないってどういうことなの?」


 大柄の兵士に飛びつくようにして問いかけると、困ったようにドロテアを見下ろしながら優しい口調で教えてくれたのだった。


「君はそんなことも知らないで『真実の愛』宣言をしちゃったのかい?そりゃ、昔はね、お互いが愛し合って一緒になるんだから、例え法律が無くたって、お互いを経済的にも愛情的にも支え合って生きていくなんて人は多かったそうだよ。だけど、今は隣国との衝突も多いし、何もかもが余裕がない世の中で、愛情一つで相手の生活まで保証するとか、養うとか?そんなこと、俺らみたいな下々の者には到底出来ないっていうの?まあ、俺らだけでなく王国の平民みんなに言えることかもしれないけどね」


 その後、ドロテアはエルマーが行きそうな飲み屋などを回りながら探してみたけれど、結局見つけることが出来なかった。エルマーの家に帰ってみても、誰もいない。出掛けた後に家の中をよくよく調べてみたら、身の回りの物と金目の物が持ち出されていることに気がついた。


「えー!嘘でしょうー!結婚さえすればそれで上がりでしょう!そういうことじゃないの?離婚出来ないんだから、嫌々でも妻は養わなければならないものじゃないのー!」


 ドロテアは生まれ変わる前の記憶を持っている。生前、日本という国で暮らしていたドロテアは、四十を過ぎてから夫の浮気を知り、その後、夫に離婚を切り出されるが、頑として離婚を受け入れなかった猛者なのだ。


 男の浮気に対しての最大の攻撃は、絶対に離婚をせず、事実が判明したその日に裁判所に赴いて『扶養請求調停』を申請することなのだ。


 民法752条では『夫婦は同居し、互いに協力し互いに扶助しなければならない』と定められているため、金を持っている方が伴侶を扶養しなければならないと義務付けられている。若いお姉さんの方が良い、こっちと結婚生活を送りたい、そう勝手なことを言ったとて、妻に何の瑕疵もなければ簡単に離婚をする事など出来やしない。


 夫から支払ってもらう費用については、家庭裁判所で話し合いの末に決定されるため、夫が失業をしない限り、お金は絶対に入ってくる。


 夫との関係性の再構築など、絶対に出来ない未来を選んだけれど、籍はそのまま、とりあえずお金は入ってくる。


 そんな感覚の持ち主であるドロテアは、記録院に登録しさえすれば大丈夫だと考えた。お腹の子供が誰の子供であろうと、エルマーとドロテアはどちらかが死ぬまで夫婦となる。エルマーを騙し討ちにするような形で籍を入れたドロテアは、完全にたかを括っていたのは間違いない。


「嘘でしょう!嘘でしょう!嘘でしょう!籍さえ入れれば、絶対にお金に困ることはない!エルマーの財産だってきちんと子供に分与されることになると思っていたのに!それは今世の知識じゃなくて前世の知識だったの?」


 ドロテアは前世の記憶を持っている。自分のピンクブロンドの髪の毛や、新緑の瞳で可憐な美少女顔を改めて確認した時には、

「これって絶対にヒロインだよね!何の物語に転生したのかちっとも分からないけど、ヒロインだよね!」

 と、興奮した声を上げたものだった。


 なにしろピンクの髪の毛、アイドル並みに可愛い顔、男爵の娘なのだから、ヒロイン以外にないだろうと確信した。


 しかも、十二歳になってから通い出したシュベーリン貴族学校で出会ったハインツ・バッテンベルグは、容姿そのものが王子様!ドロテアは絶対に彼がメイン攻略対象者であると思い込んだ。


 学生時代はヒロインよろしく彼の隣の席をキープし続けたし、怖い令嬢たちの嫌がらせにも耐え続けたけれど、結局、学生期間中に侯爵令嬢とか公爵令嬢がドロテアの前に現れて、思いっきり虐めるというターンが訪れることもなく、卒業と同時に、ハインツの結婚相手は王都の貴族学校に通う伯爵令嬢に決定した。


 学生期間中、ハインツが二つ年下の希少民族であるリンのことを、やたらと気に掛けていたのは知っていた。だがしかし、この年齢の二歳差はものすごく大きいため、まさか彼が恋心を抱いていようとは思いもしなかったのだ。


 ハインツの妻が駆け落ちした為、死亡扱いとして中央に届出をしているなんて知らないドロテアは、ハインツのことはもう忘れて、エルマーと新しい人生を歩んで行こうと考えていた。リンの腹心の部下であるアリーセからエルマーを奪い取るのは簡単だったし、アリーセがエルマーに一目惚れをしていたことを知っていたドロテアは、奪い取った後の優越感に浸っていたのは間違いない。


 何処で間違えてしまったのかとドロテアが頭を悩ませていると、父であるベルツ男爵がドロテアの元を訪れたのだった。

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