違界求人倍率(最新版)

そうざ

Job Opening Ratio in a Different World (latest version)

 ――ポーン――

 通知音が鳴ると電光掲示板に整理番号が表示された。

 ぼうっとしていた俺は反射的に腰を浮かせたが、手元の整理票と見比べ、また硬いベンチシートに腰を下ろした。

 まだ俺の番ではなかった。

 気まずさから思わず周囲を見渡す。冴えない顔をした連中が冴えないなりの希望を持って屯している。圧倒的に中高年が目立つ。

 知った顔がちらほらあるように感じるのは、常連が多いからなのか、それともここに来る人種は元から似た面貌を持っているからなのか、判断に迷うところだった。

 今日はまだ薄暗い頃に家を出たにも拘わらず、局の正門前にはもう行列が出来ていた。訊けば徹夜組の数が益々増えていると言う。

 次回は寝袋や食料を持参するか――否否、今回こそこれで最後にしたい。毎回そのつもりで遠路遥々足を運んでいるのだ。


 ――ポーン――

 待合エリアの広さに比して窓口の数が少な過ぎる。十人にも満たないなんてあり得ない。

 それに加えて対応する職員だ。人を捌く事しか考えていない奴と、一人にだらだらと時間を掛ける奴とに大別される。効率と非効率とのバランスも欠けているのだ。

 一様に若年世代なのも気に掛かるが、九時五時勤務の週休二日制を当然と思っている連中に何が解る。

 そこかしこから聞こえて来るのは、愚痴に批判に妬みに嫉み、時折紛れる怪しい勧誘、泣く子も呆れる嘆き節だ。

出界しゅっかいをもっと制限するって噂は本当ですかね?」

「らしいねぇ。水面下で両界の間に協定が結ばれたとか」

「ちっくしょうっ、こんな毎日、さっさと終わりにしたいのにっ」

「待てば海路の日和あり、人間万事塞翁が馬、住めば都と諦めますか……」

「嫌なこった! 俺はで人生をやり直すんだっ!」


 ――キーンコーンカーンコーン――

 職員達がだらだらと窓口に戻って来ると、電光掲示板の『休憩』の文字が消えた。やっと業務の再開だ。

 奴等が午前十時のを摂り終えるまでの三十分間、俺達は大人しく待つしかない。不用意に一時退出してしまうと、また最後尾から並び直す事になるのだ。

 正午になれば一時間の昼休憩になり、また受付が中断される。勿論、俺達は大人しく待ち続ける。当然、腹が減る。腹の虫が鳴く。

 待合エリアの片隅にこぢんまりとした売店があるが、俺はまだ一度も利用した事がない。ここへ来ると水分補給でさえ便所の洗面台で済ませるくらいだ。因みに、食い物の持ち込みは何故か厳禁。

 ――ポーン――

 福祉事業の一環なのだから、序でに只飯くらい食わせろと言いたい。こんな事だから、求人倍率はいつまで経ってもコンマ以下を推移した儘なのだ。

「整理番号171の方、どうぞぉ」

「……あぁっ、俺かっ」

 慌てて通知灯が点滅する窓口へ向かう。窓口は一ヶ所ずつ仕切りがあり、一応は個人情報保護に配慮されているが、会話はほとんど両側に筒抜けだ。

「いらっしゃいませ」

 アクリルガードの内側で、若い女性が立ち上がって頭を下げた。さっきまで窓口は男性職員ヤローばかりだったが、おやつ明けに交代したらしい。

「本日は私、伊座内いざないが担当させて頂きます」

「それはそれは、どうぞ宜しく」

 ここへは何度も通っているが女性職員は初めてで、丁寧な挨拶から始まるのも新鮮だった。

 いつもは開口一番、希望通りになるとは限りませんよとか、本当にその気がありますかとか、こちらの出端を挫く横柄な台詞から始まるのだ。

「履歴書を拝見させて頂きますので、その間にこの資料をご覧下さい」

 俺がアクリルガードの隙間から履歴書を差し出すと、交換するかのように折れ線グラフが描かれた紙ぺらが提示された。

 伊座内女史は履歴書の文字に指を滑らせ、唇を微かに動かす。声に出さずに音読しているらしい。他の職員だったらほんの一瞥いちべつで終わらせるところだ。丁寧な対応に益々好感度が上がる。

『違界求人倍率(最新版)』なんて資料を見せて貰うのも初めての事だ。グラフの横軸には年号、縦軸には倍率が記されている。〔出入界制度〕が整備されてもう百年になるのか。

 折れ線は当初、地を這うような軌跡だったが、やがて徐々に上向き、幾つかのピークを作りながら乱高下を繰り返し、数年前に急下降して現在は最も低い値を叩き出している。具体的に見せられると遠い目にならざるを得ない。

「もう〔違界〕は俺達を求めてないって事か……」

「やっぱりGCBが大きく崩れますと宜しくありませんので、両界共に制限を掛けざるを得ません」

「ジーシービー?」

出界ゴー入界カム・バランスです」

「それが崩れたらまずいの?」

「やっぱり生産人口と労働人口に影響しますので」

 次々に専門用語が飛び出し、早くも混乱していると、今度は棒グラフが描かれた二枚の資料を提示された。何方どちらも『人口の推移と今後の予測』と題されているが、一枚は『〔自世界〕版』、もう一枚は『〔違世界〕版』と補記されている。

「積み上げ棒グラフの赤い部分が生産人口、青い部分は労働人口を示しています」

「そもそも、そのナントカ人工っていうのは……」

 そんな事も知らないのか、なんて顔はせず、伊座内女史はにこやかに説明をしてくれる。

「簡単に言いますと、生産人口は『労働可能者の数』、労働人口は『労働意欲者の数』です」

〔違世界〕版のグラフはどちらの人口も横這いだが、〔自世界〕版では共に減少の一途を辿っている。

「やっぱり一番の問題は生産人口と労働人口の比率です」

「比率……」

 益々話が見えなくなる。

「赤い部分の減り方に比べて、青い部分の減り方はどうなっていますか?」

「……青い部分の方が減りが激しい?」

「そうなんです。働ける人の数も減っていますが、働く気のある人の数はもっと減ってるんです」

 働く気の人が減るという事は、働く気の人が増えている事になる。それだけは、身につまされるだけにすんなり理解出来た。

「……という事は、どうなるんですか?」

「やっぱり〔違世界〕側にしてみれば、働く気のない人ばかりに来て貰っても迷惑ですよね」

「あぁ……」

 ここに集う連中は皆、〔違世界〕の実情をよく知らない。それなのに、こんな俺でもあっちへ行けば何とかなる、やる気も能力も自ずと湧き上がる、〔自世界こっち〕で駄目でも〔違世界あっち〕ならば――そう思い込もうとしている。

「一方の〔自世界〕側は、労働力確保の為に〔違世界〕からもっと人を呼びたいところですが、やっぱり中々来て頂けません」

 そして、〔違世界〕へ行った切り誰も還って来ないのは、それだけあっちが素晴らしい場所だから――そう信じ込もうとしている。

「最初に申し上げましたように、やっぱりGCBの観点では〔自世界〕からの出界を制限せざるを得ません」

「成る程……」

 伊座内女史の口癖なのか『やっぱり』が気になってしまい、どう納得して良いものやら、納得してはいけないのやら、考えが纏まらない。

「やっぱり、なんだねぇ……」

「はい、やっぱりなんです」

「でも、まぁ……駄目元で応募エントリーだけはしておくわ」

「では、こちらの書類にご記入を」


 ――キーンコーンカーンコーン――

 電光掲示板に『終業』の文字が表示され、職員が一斉にふぅ〜っと息を吐いた。そして、すっくと立ち上がり、大きく伸びをし、同僚と私語を始めた。

「おい、何だい? まだ五時じゃないよ」

「連休前は正午で終業になります」

「えっ、いつの間にそんなルールが?」

「労働改革の一環と聞いております。やっぱり働き過ぎは良くないという事で」

 待合エリアの連中は一斉にはぁ〜っと嘆息した。そして、さっさと立ち上がり、気怠く伸びをし、同病相憐あいあわれみ始めた。

 ガガガガ――アクリルガードの内側にシャッターが下り始める。

 慌てて書類を書いていると、伊座内女史が足元に置いていたらしいビジネスリュックを背負った。

「あのっ、まだ書けてないんだけど」

「連休明けに他の職員にお渡し下さい」

「あんたはもう対応してくれないの?」

「申し訳ございません。私はこの後〔違世界〕行きの最終便で」

「えっ、出界すんのっ?!」

 もしや職員特権みたいなものがあり、一般人おれたちを差し置いて出界しているのか。

「違います、帰るんです」

「帰る?」

「私はあちらから短期派遣された研究員なので」

「研究?」

「こちらの世界がどれだけ不毛なのかを調査する為に参りました」

 ガガガガ――俺は半ばまで下りたシャッターを気にせずに問い掛けた。

「教えてくれっ、あっちは好い場所とこかっ?!」

「感じ方は人それぞれだと思いますが……既に出界された方々の中にこちらに戻りたいと仰る方が居らっしゃらないのは事実です」

 完全に閉じたシャッターを前に俺は思った。

 あのレベルの女がごろごろしているのだとしたら、やっぱりあっちは楽園なのだ。

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