鈴鳴りの舞

浜鳴木

第1話

 ちりりーん、という音にはっとした。

 思わず指先を自転車のブレーキにかけて力を込めると、また、ちりりんという音とともに、ミオちゃーーん、という桜の声が後ろから聞こえた。


「もぉ! どうして先に帰っちゃうの!?」

 勢い余ったのか、足をついて待つ私を追い越して止まった桜が振り返り、不満げに言った。

「部活じゃなかったの」

「今日はダンス部ない日だよ。それに、大事な話があるっていったじゃん!」

 ごめんごめん、と謝りつつ地面から足を離すと、自転車はまた道を下り出す。

 大事な話というのが何のことなのか見当はついている。毎度のことなので、つい聞き流して忘れてしまったらしい。


「ねぇー、一緒に青春をダンスに捧げようってばぁ」

「捧げないって」

 山間部にあってアップダウンが多い学校帰りの道中、道が下るたびに桜の大事な話が繰り返されている。

 感染症の流行がある程度落ち着いて、いろいろなことがまた少しづつ動き出す気配がしだしたころから、どうしてか桜は頻繁に誘いをかけてくる。

「えぇー、なんでぇー……」

「なんで、はこっちのセリフだって」

 小さな田舎町にある生徒数も多くない公立中学の、さほど熱心に活動していなさそうなダンス部だ。人数が足りなくて困っているわけでもないらしいのに、二年の一学期もそろそろ終わろうというこの時期に勧誘してくるだけでも、普通は意味がわからない。


「前から言ってるでしょ、ミオちゃんと一緒に踊りたいの!」

 そう言われても変わらず頷く様子のない私に、いつもよりも踏み込む必要があると思ったのかもしれない。

 だというのに、続きを口にする桜の様子は、それまでの押しの強さが嘘のようにためらいがちだった。

「その、前はほら、中途半端になっちゃったから……」

 言いよどむ桜が何を気にしているのか、そしてなぜ私を誘ってくるのかも、正直なところ薄々察しはついていた。

「だからって、なんでダンス部なのよ」

 そこはせめてバレエじゃないの、と続けそうになって飲み込む。いまさら桜にバレエを始められても困る。

「その……アイドルとかのダンスのコピーやってるんでしょ。それこそ前と全然関係ないじゃない」


 前、というのはこの町周辺に氏子を抱える地元神社でお祭りの際に奉納される稚児舞のことだ。

 私と桜はその稚児舞の舞手に小さな頃から選ばれていて、何度かお祭りで舞を披露している。


 しかし、舞手達の最年長として花形を務めることが叶わないまま、私達は舞手を卒業となってしまった。

 桜は、私がそのことを未だに引きずっていると思っているのだろう。私が通っていたバレエ教室をやめたことも、それと関係があると思っているのかもしれない。


 あれから二年ほど経つ。晴れ姿を楽しみにしてくれていた人に舞を見せられなかったのは確かに残念だが、別にもうそのことは気にしていない。

 そう告げようとしたとき、前方から私たちを呼び止める声が聞こえた。


 道路の反対側、道の脇の藪に添わせるように止まった車の横で、手を振っている人がいる。

「あぁ、よかった。美織ちゃん、桜ちゃん、小さい女の子見かけなかった? 上川さんのところの、アイちゃんなんだけど」

 私たちが左右を見まわしながら自転車を押して近寄ると、困った顔の西里さんにそう尋ねられた。

 西里さんは稚児舞のお稽古でお世話になったおばさんで、舞手でなくなってからは久しく顔を合わせていなかった。

 上川さんちの子の顔はぱっと出てこないが、それらしい子とはすれ違っていない。私と桜は顔を見合わせてから首を振る。


「そう……。今日、舞のお稽古の日だったんだけど、アイちゃん、いつのまにかいなくなっちゃったのよ」

 しばらく中止されていたお祭りが今年から再開されることは聞いていた。きっと私たちの時と同じように神社の境内にある集会所に集まって稽古していたのだろう。

「ちょっと他の子を見てる間に姿が見えなくなっちゃって……境内にはいないみたいだから、勝手に帰っちゃったのかと思って探してたの」

 驚く私たちにそう言いながら、西里さんは車のドアを開けつつ続けた。

「美織ちゃん、桜ちゃん、ちょっと頼まれてくれる? 集会所に他の子達が残ってるから見ててほしいのよ」

 こちらの返事も聞かず、車に乗りこんでしまう。

「私は別の道探してみるから。ね、悪いけど、頼むね」

 言い終えるやドアを閉め、車をUターンさせにかかる。慌てて自転車ごと端に避けた私たちが唖然としている内に、西里さんの車は見通しの悪い道の先に消えてしまった。


 慌てていたのかもしれないけど、それにしたって、と思う。思わず二人して、えぇ……という声が漏れてしまった。

 私たちに出くわさなかったらどうするつもりだったんだろう。神社に他の大人はいなかったのだろうか。

「……よくわかんないけど、行かないわけにいかないよねぇ」

 首をかしげつつ言う桜に私も頷く。

 私たちは舞手を卒業して以来はじめて、舞の稽古場に向かうことになったのだった。




 自転車でしばらく走って、普段なら住宅地に続く道に進むところを、山側に向かっていく分岐に入る。

 神社の参道は住宅地の通りに接続しているけれど、参拝以外で境内に入るときは、なるべく、境内の林に沿って斜面を上っていくこの脇道を使うことになっていた。


 神社側の手入れされた林と、山側のあまり手が入っていない藪の間を走る、どこか薄暗い道を抜ける。舞の稽古に来ていたときは、私や桜の親、西里さんといった誰かしらの大人に車で送ってもらっていた道だ。

 やがて林を二十メートル四方ほど切り開いて平坦にならした場所に出る。

 砂利をしいた敷地の端に自転車をとめ、その奥にある集会所へ続く小道の入り口に向かう。車が駐車されているのを見て、やっぱり他に大人がいるんじゃないか、と思った。


 じゃりじゃりと砂利を踏んで歩く二人の足音に、微かに、ちりん、という澄んだ音が混じった気がした。

 立ち止まっている私に気づいて、桜が訝し気にする。

「どうかした?」


 何か聞こえたのかと辺りを見回す彼女になんでもないと言おうとしたとき、桜がわっと声を上げた。

 驚いてその視線を追って振り返ると、車の影に小さな女の子が立っている。


「……びっくりしたぁ~。もしかして、アイちゃん?」

 駐車場の奥側の林と、とめられている車との間にあけてある空間で、車の後ろに体半分隠れるようにして、赤い袴姿に金色の飾りの被り物をした女の子がこちらを見ていた。


「お稽古の途中だよね? ほら、集会所に戻らなきゃ」

 桜の問いかけに反応を返さない女の子に、軽く屈んで目線を合わせながら声をかける。

 無言のまま、女の子は車の後ろに引っ込んでしまった。思わず桜と顔を見合わせてから、私は箱型の車体に隠れて姿が見えなくなってしまった女の子のいる所へ歩いていった。


 本当にアイちゃんだろうか、それとも他の舞手の子かも。なんて呼びかければいいかわからないまま、私よりも背の高い車と林に挟まれたせまい空間を抜けて車の後ろを覗き込んだが、女の子がいない。

 更に回り込んで反対の側面に出ても女の子は見当たらず、首をかしげながら車の正面に戻ると誰もいなかった。


 えっ、と思った刹那、車の後ろから桜の焦った声が聞こえた。

「あっ、ちょっ、どこいくのー!?」

 慌てて声の方に行くと、林に向かって手を伸ばす桜と、遠ざかっていく女の子の姿が見えた。

 一瞬ためらったが、覚悟を決めて林に踏み込む。


 ある程度手入れされているとは言っても、やはり林の中ではまともに走れない。女の子はと言えば、まだ十歳にもなっていなさそうな背格好で、しかも袴姿なのに、すいすいと進んでいく様子が木々の合間に見える。

「ねぇ、どうして逃げるの! 一人でどこか行ったら心配されちゃうよ!」

 何度か大声で呼びかけても、まるで聞こえていないみたいに走り続けている。

 どうやら林を斜めに突っ切って、先ほど私たちが上がってきた道に出るつもりのようだ。林の際を回って追いかけた方がよかったかもしれない、と悔やんだところで、女の子が林を抜けて道に出た。


 てっきり道の上を駆けていくと思ったのに、そのまま道を横切って反対側の藪に入るのを見て、

「うそでしょ!?」

 と後ろから追いかけてきていた桜が叫んだのが聞こえた。


 私たちも林を抜けて、女の子が見えなくなったあたりまでたどり着くと、そこには人ひとり分くらいの幅で、藪が切り開かれ下草も刈られた空間があった。

 こんなところに道なんてあったっけ、という思いが一瞬よぎったとき、道の先にかすかに舞う緋袴が見えた。

「いた、この先っ!」

 私たちは夢中で、山に分け入る道に踏み込んだ。

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