山寺の岩 第16話

 ちょうど11度目の新月の夜のことです。条眼和尚はいつものように行灯ひとつを持ち、谷を降りてゆきました。ガーン、ガーンという音はその晩も山中に響いておりました。和尚が洞穴につくと、泥蓮は熱心に岩を彫っていました。泥蓮は和尚が来たのに気がつくと、急に彫ることをやめてノミを地面に落とし、口を開きました。


「和尚、聞きたいことがある。俺は業の中に生まれ、業のためにこうやって死ぬ。人は皆そうなのか。生きとし生けるものは皆こうなのか。和尚、あんたもそうなのか。」


和尚は少し考え込んで、また一言、うんと答えました。泥蓮はそれを聞くと、どこか遠く、遥か遠くを見つめました。岩壁に向いているというのにその焦点はどこまでも遠く、深宇宙まで見通しているようでした。和尚にはその醜い横顔が、ほんの一瞬だけ、まるで弥勒像のように優しく見えたそうです。もの悲しく、しかしどこか嬉しそうに思える、そんな表情でした。それは泥蓮の元来生まれ持ったその顔からは想像もつかないような変化でした。仏道が彼を変えたのか、それとも彫刻が彼を変えたのか、はたまた彼の人生全てなのか。それは誰にもわかりません。しかし彼の安堵の表情は、それはまるで超越者のような、計り知れないものだったのだと思います。


 泥蓮はノミをまた拾って咥えさせてくれるように頼み、和尚はその通りにしてやりました。そしてまた泥蓮は岩を彫り始めました。



 次の新月、和尚はまた山に入りました。あの音はしていませんでした。

 泥蓮は洞穴の中、岩になっていました。数えきれないほどの石像に囲まれて、彼もまたその一つとしてありました。その表情、その造形は他のどれと比べても美しく、比べ物にならないほど素晴らしい石像でした。喜怒哀楽どの表情とも取れる顔つきを浮かべ、そこに佇んでいました。


 明くる日、和尚は若い連中を連れて洞穴に赴き、石像をひとつひとつ寺へと運ばせました。若衆はこれらがなにか分からず、一体どのように彫ったのか、そもそもこれは誰が彫ったのか、和尚だというならばいつ彫ったのか、そんなことを話し合いましたが、皆ずっと昔に谷底へ消えた泥蓮のことなどとうに忘れていたので、結局誰にも本当のことはわからずじまいで、結局これは物の怪の類が作ったものなのだと決め打ちました。そしてその物の怪の残した奇妙な石像を和尚がどうにか処分するのだろうと思い込みました。和尚は石像の作られた経緯について、誰にも話すことはありませんでした。

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