山寺の岩 第9話

 さて、そういうわけで泥鬼は名を泥蓮と改め、新しい人生を歩み始めることと相成りました。条眼和尚は他の寺坊主からの評価もありますので、泥蓮には雑用はこれまで通りこなし、それでいて空いた時間には彫り物をするようにと言いつけました。

 泥蓮は一層増して仕事を丁寧に、その上早く終えるようになりました。この頃にはもう誰よりも良い仕事をしていたことでしょう。これは泥蓮の才覚でありましたが、十数年の村での生活の中では誰も見出すことのないものでありましたので、噂を聞いた人々は大層驚きました。あのぐうたらで、でくのぼうの泥鬼が一人前に働いているなど思いもよらなかったことでしょう。

 泥蓮はいつも、他の者が朝早くから日が暮れるまで使ってやっと終える仕事を昼の梵鐘までに全て終えてしまい、午後の時間を全て彫り物に使いました。元より素質のあった彫刻の腕はめきめきとさらに上達し、それは見事なものだったそうです。しかし、泥蓮の彫る面は相変わらず怒りの面ばかり。地獄の獄卒がこちらへ這い上がってきたような、恐ろしい面ばかりを彫っていました。それを見かねた和尚はある晩、お堂へ泥蓮を呼び出すと、彼に見せるためだけに本尊を開いたそうです。初めてまじまじと見ることができる御本尊に痛く感動している泥蓮に、和尚は仏像について教えました。

 彫像というものの作り方は概ね決まっておりまして、ある程度まずイメージに近い構造で簡単なブロックを積み上げます。例えば坐像ですと、体になる大きな立方体、その上に頭となる小さな立方体といった感じです。その状態に細やかなノミを入れ、段々と丸みを出し、輪郭をなぞって作り上げていく、というのが彫像の掘り方です。しかし、泥蓮はこの方法を全く利用せず、丸太の状態からすぐにノミを入れたそうです。といいますのも、泥蓮には始めからイメージが見えており、どこをどのように掘ればそのイメージが形として現れるかわかっていたそうだとか。「全て大理石の塊の中には予め像が内包されているのだ。彫刻家の仕事はそれを発見する事だ。」というミケランジェロの言葉がありますが、彼もまたそのような類まれな才能に恵まれた人物だったということなのかもしれません。


 それと、和尚はこの頃から泥蓮にのみ、就寝前の少しの時間を使って仏法を説いたそうです。どの時代にもその時代なりの一般教養というものがあります。それは米苗の植え方であったり、牛馬の引き方であったり、文字の読み書きであったり、まあ各々レベルやジャンルが違っても”常識”として存在しているものです。生い立ちを考えれば明白ではありますが、泥蓮にはこれがありませんでした。そのため、誰もが知っている仏法ですら彼には知識がありませんでした。しかし、それは泥蓮の素質をよく理解している和尚にとっては耐えられない事実だったのでしょう。そうして和尚は毎晩のように、泥蓮に仏道を説くようになりました。泥蓮は和尚の話を大層熱心に聞いたそうです。泥蓮には仏法が金剛石のように輝いて見えました。仏とやらだけやらが俺をわかっている。だから住職も俺をわかってくれるのだと感じていました。

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