#6 現場検証のユーレカ
「まずは被害者の死因を白黒はっきり突き止めるのだよ。どんな謎も、けして
そう言って、第一に魔女は『スカイブルーム』に跨がったまま、足元の焼死体を見下ろした。
1日限定でも自らを師匠と呼んだ弟子の
アッシュは
そんな魔女の隣では「正視に耐えない」とばかりに、模型くんは白い手袋を装着した手で両目を塞いでいた。
この中でいちばん人間人間していた。
「あやつの悲鳴は懺悔室から遠く離れておった妾には聞こえんかったが……、ソナタはどうだったのだ?」
「僕にも聞こえなかったよ。そもそも盗み聞きしちゃまずいから懺悔室から全員一定の距離は保っていたし……」
「ふむ。悲鳴を上げさせず、犯行時間はあやつの入室からたった数分の早業か」
次に魔女は事件発生時の被害者の状況を確認した。
「懺悔室の内部に鍵は取り付けられておらん。それならば、なぜあやつは室外に逃げなかったのだ? 火の手はさらなる酸素を求めて外に向くはずなのだが……」
「パニックに陥って咄嗟に動けなかったんじゃないのか?」
「うむ。あるいは炎と煙を吸い込んで喉が焼けたか。そのままショック死した可能性もあり得る」
「魔女、人間はショックでも死ぬことがあるのか?」
「うむ。
「何にしろ、簡単に死なれちゃ淋しいもんだよな」
「ソナタは何をしたところで死なん……というより、死ねんからな。それはそれで淋しかろう」
「僕の場合、淋しいというよりは虚しいかな」
脱線しかけた話を魔女は遺体の検分に戻す。
「この焼死体は損傷が激しすぎて個人の識別はできんな」
「まあ仕方ないか」
「と、妾も思っておったのだが、あやつはお利口なことに懺悔室に入室する前、とある手袋を着用しておった」
「そうか」
アッシュはポンと手を叩く。
「――『リメンバーグローブ』か」
「うむ。ソナタの言うとおり。あのアイテムは耐水性、耐刃性、耐火性に優れておる。思いのほか頑丈なのだ。であるからして、この遺体の両手だけは綺麗な状態を保っておるはずだ」
魔女は丸焦げのタイツから『リメンバーグローブ』を優しく脱がせた。
「うん。これは間違いなくタイツちゃんの肌色だ」
アッシュはその薄橙色の肌色を見て思い出す。
教会のヴァージンロードを腕を組んでともに歩いた、愛らしいタイツの横顔を。
これで死体入れ替わりの線は消えたと思っていいだろう。
それから辺りに散乱している焦げた黒いクレヨンを魔女は滑空しながら器用に「1、2、3――」と、1本ずつ収拾した。
とそこで、手が止まる。
「11本……あと、1本足らんな」
「どこかに流されたんじゃないのか? 椅子の下にでもないのか」
アッシュは大洪水の起きた礼拝堂の床をくまなく探したが結局見つからなかった。
「ふむ。ぱっと見、何色のクレヨンが足らんのかわからんが、ひとまず持ち主に返しておくのだ」
魔女は11本の焦げた黒クレヨンと『リメンバーグローブ』をタイツの両手に握らせる。
それは、お絵描きの魔女なりの手向けの花だった。
「なあ魔女。両手だけが綺麗なままで死ねたのは画家を志していたタイツちゃんにとっては幸せだったのかな」
「どうだかな。何にせよ、若い身空で妾より先に立つとは不幸者なのだ」
その11本の黒クレヨンを見てアッシュは違和感を覚える。
しかし、その正体にはついぞ気づけなかった。
続けて魔女は、アッシュがこれまで何度となく思ってきたことを口にする。
「人間は、かくも儚すぎる」
あらかたの調査を終えたので、アッシュたちはタイツの遺体からひとまず離れた。
次にアッシュはびちゃびちゃと水浸しの側廊を歩き、魔女は『スカイブルーム』に腰掛けながら鏡張りの懺悔室へと移動する。
アッシュは無理しなくていいと思うのだが、模型くんもビビりながら追随した。
途中には懺悔室の中から水に流された木製の椅子が横倒しになっている。
炭化している以外に特段変わったところは見て取れない。
「この密閉された空間で焼かれたらひとたまりもなかろうな。まるで焼き釜なのだよ」
魔女の言うとおり、懺悔室内の鏡は黒く変色し歪曲していた。
この密室でつい先ほど、タイツは死んだ。
魔女いわく、何者かに殺された。
……まさか本物の幽霊にでも殺されたというのか。
鏡の世界から不気味な3人組がこちらを見返していた。
魔女と包帯男と人体模――ッ!?
「突然ビビるなよ、模型くん……そりゃあんた自身だ」
模型くんはガタガタ震えてアッシュに引っ付いてくる。
ミイラと模型のランデヴー。
アッシュはこの絵面のほうがよっぽど怖かった。
「外側からは特に不審な点は見つからんな」
魔女は外側からの調査を済ませたあと懺悔室内部へと飛び入り、鏡面の隅々まで観察した。
「変態神父側とのアクセスはこの放射状に空いた小さな穴だけか……」
魔女は神父側の鏡面を白いゴム手袋でペタペタと押し触る。
「ソナタが入室したときと何か変わりはないかね?」
「えっと、あれは――」
アッシュは懺悔室内に入って左下の鏡面を恐る恐る指差す。
「僕が入室したときには存在しなかったな」
黒ずんで歪んだ鏡面には、こう書かれてあった。
――『♯0000FF』
水を弾く青色のクレヨンで横書き。
その隣には同じように、
――『2076311』
と、記されていた。
魔女は「ぷっぷっぷっぷ」と冷笑を浮かべる。
「――
気取ったふうに指を鳴らす魔女。
ゴム手袋のせいで間抜けな音しか鳴らなかったのでカッコはつかない。
しかし、アッシュは疑問に思わずにはいられない。
「『2076311』って、なんのことだ?」
「ソナタ、いったいどこを見ておる……。そっちは鏡に映っておるほうだぞ」
「ん?」
「反対側の壁面を見よ。『Ikaros』と、しっかり明記されておるであろう」
威張る魔女の言うとおり、反対側の鏡の壁には青い文字が躍っていた。
「魔女、よく気づいたな」
「鏡文字しか書かん
「ふうん。ところで魔女、イカロスってなんだ?」
「……本当にソナタは教養が備わっておらんのだな」
魔女はため息とシャボン玉を吐き出したのち、しぶしぶ解説した。
異国の神話であるが、昔ダイダロスという細工の名人にイカロスという息子があった。
しかしある日、ダイダロスはミノス王から見放され、息子のイカロスとともにある塔に幽閉されてしまうのだ。
その塔を脱出するために、ダイダロスはイカロスと協力し鳥の羽を集め、蝋で固めて、大きな翼を造った。
2人は完成した翼を背中に付けると、父ダイダロスは息子イカロスに言った。
「イカロスよ、空の中くらいの高さを飛ぶのだよ。あまり低く飛ぶと霧の湿気が翼の邪魔をするし、あまり高く飛ぶと
イカロスは頷いて2人は飛翔した。
しかし、空を自由に飛べるイカロスは調子に乗ってしまう。
父の忠告も忘れ、高く高く飛んでいった。
太陽に近づくと羽を留めていた蝋は融けて、イカロスは翼を失い
以後、その海は『イカロス』と名づけられたそうなのだ。
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