#5 第1の被害者

 アッシュが席に着いた直後、事件は起こった。


 懺悔室の扉の隙間からグレーの煙がもくもくと天に昇っている。

 アッシュがその異変に気付いて席を立つのと、ピエロ神父が懺悔室から飛び出してきたのは――ほぼ同時だった。

 この異常事態はすぐさま礼拝堂に伝播でんぱする。

 魔女は眉間にしわを寄せて、一方のコスモナウトは大声を張り上げる。


「何が起こったのですか! 神父!」


 その問いにピエロ神父は答える代わりに、タイツの入室した懺悔室を勢いよく開け放った。

 なんと懺悔室内は地獄の業火に包まれている。

 懺悔室内の鏡は火を幾重にも反射させて煉獄の火の海が水平線まで続いている。


「マリン! 血色を使うのです!」


 ピエロ神父は力強く怒号を飛ばした。


「は、はい!」


 水人のマリンは水色の素手を懺悔室にかざして「『♯00FFFF!』」と、血色能力である大量の【水】を放出した。


 ジュゥウザバーン!


 と、滝のように横溢おういつした水は懺悔室を飲み込む。

 一瞬で鎮火する。


「プギィィィイイイ! 水なのだあああああああ!」


 その光景に魔女は絶望に顔を歪ませて、ムンクの『叫び』のように絶叫した。

 真っ赤なランドセルから『スカイブルーム』を引っぱり出して跨がり、礼拝堂内の天井近くを狂ったように飛び回る。同じく水の苦手な黒猫ニジーも「ニャオーン!」と、ホウキの掃く部分に必死に掴まっていた。

 しかし、アッシュたちはそんな魔女に構っている余裕はなかった。

 礼拝堂に濁った水が進出する。

 その波に乗って黒く焼け焦げたタイツと思しき焼死体が、アッシュの足元に流れついた。

 シュークリームのようだった薄橙色の肌は焼けただれて見るも無惨な姿に変わり果てている。鼻をつく生理的嫌悪を掻き立てる刺激臭が辺りに充満した。


「どうして……?」


 青ざめた顔色のコスモナウトは、タイツの魂の入っていた入れ物にびちゃびちゃと駆け寄ってひざまく。

 黒ずんだ死体に涙が落ちて死に化粧を施した。


「どうしてですか!」


 コスモナウトのショッキングピンクの金切り声は礼拝堂に残響する。

 鎮火に尽力したマリンはシクシク、チョコはわんわんと泣き喚き、場は騒然としている。

 他の子供たちも目の前の事態が呑み込めず信じられないとばかりに茫然自失となった。

 特にタイツとどこに行くときもニコイチでもっとも親しかったであろうナースは空虚な紫紺の瞳で、黒焦げた焼死体を眺めていた。

 死体付近の水たまりには温度を失い黒一色になってしまったクレヨンと画用紙の燃えカスが浮いている。


「コスモナウト、子供たちを寝室に連れて行きなさい。はやく」


 ピエロ神父は気遣うように言う。


「はい」


 泣き崩れていたコスモナウトは昂然と足に力を込めて立ち上がった。

 途中よろめいて覚束ない足取りである。

 そのまま子供たちの手を引いてコスモナウトは礼拝堂をあとにする。


 礼拝堂には、魔女、模型くん、アッシュ、ピエロ神父、緊縛状態で卒倒したままのアフローの、合計5人が取り残された。プラス黒猫1匹。


「たいへんに嘆かわしいことが起こりましたな」


 ピエロ神父は胸の前で十字架を切る。


「僕は何もできなかった」


 アッシュは自らの無力さに打ちひしがれる。


「それは、この場にいた全員同じなのだ」


 魔女はやっと平静を取り戻したように『スカイブルーム』の高度を落として滑空する。

 珍しく不味そうにパイプを咥えていた。

 たぷたぷの灰皿を持つ模型くんも哀愁ペーソスを感じさせた。


「……いったい何が起こったんだ、魔女?」

「さあ。それをこれより解明せねばならんのだ」


 魔女はタイツの焼死体と水浸しの懺悔室を交互に見据えた。


「しかし、ソナタも薄々感づいておるはず……。自然発火とは思いにくい火の気のない懺悔室という密室で、あやつは殺された」

「それは、つまり?」

「これは歴とした――殺人事件なのだ」


 改めてそう言われると、これがありふれた出来事のようにアッシュには思えた。

 殺人事件なんてどこにでもある。

 でもタイツちゃんは特別だった。 


「だとしたら魔女、とりあえず警察に連絡しないと……」

「ソナタ。別に連絡してもよいが警察は動かんぞ。孤児院住まいのペールオレンジの子供がひとり、非業の死を遂げたくらいではな」

「……そんな」


 アッシュは絶句する。

 しかし思い返せばこういう状況は今まで何度も直面してきたことだった。

 一応、目線だけでピエロ神父にも伺ってみるが……。

 ピエロ神父は首を横に振った。


「ウィッチの言っていることは正鵠せいこくを射ています。連絡は入れてみますが実際に警察が動くのはいつになることやら……」

「どうせ警察など当てにはならんのだよ」


 魔女は真っ赤なランドセルからとあるものを引っ張り出す。


「アブラカタブラ・チチンプイプイ――『現場検証用・白いゴム手袋』」


 それはそのまんまの白いゴム手袋だった。

 自分用とは別にアッシュと模型くんにもそれぞれ配る。

 ピエロ神父は警察に連絡を入れるため教会のエントランスの黒電話に向かった。

 その背中を見送りながら、アッシュは魔女に提案する。


「なあ魔女、警察の代わりといってはなんだけど……。そのランドセルから事件を解決に導くようなアイテムは出せないのか?」

「この虚け! 愚か者! そんな都合のよい便利なアイテムなんぞ、ランドセルから出るかあ! 甘えるな! 生意気だぞ! 小僧!」

「……ここまで言われるのか」


 アッシュは落ち込む。

 すると魔女は一転、冗談めかして言う。


「ぷっぷっぷっぷ。ソナタ、腐るでない」

「そりゃあれだけ言われればゾンビでなくても腐るよ」

「所詮、アイテムなど補助に過ぎんのだ。ソナタにもとっておきのものがここに詰まっておるであろう?」


 魔女は冴え冴えとした表情で自らのこめかみを指差した。


「……だと、いいんだけどな」


 ピッチンパッチンと、魔女、鬼、模型は白いゴム手袋を嵌める。

 ともあれ。

 捜査開始だ。

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