アニメ研究会より愛をこめて。

伊草

第一章 入部編

第1話 プロローグ


 深夜、日を跨いでから眠りにつくと決まって見る夢があった。


 まだ小鳥遊弘海たかなしひろみが中学生だった頃の記憶だ。


 夢のなかでは必ず、弘海は真っ暗な自室にいた。


 照明はわざと消してある。そうしないと早く寝ろと両親が注意しに来るから。あの頃は隠れてする夜更かしも一つの冒険のようでわくわくした。子供心に胸が弾んだのを覚えている。


 ただ意味もなく起きていたわけでもない。


 三角座りのまま微動だにせず、ただ夢中になって少年はテレビを観ている。そう、目当てはテレビにあった。それもこの時間帯にしかやっていない、特別なテレビ番組だ。


「始まった……!」


 デジタル時計が午前一時半を示す頃、待望の番組が開始する。


 オープニングが始まると、とたんに色鮮やかな絵が活き活きと動き出し、明るい調子の歌をBGMにデフォルメされた赤毛の少年がテンポよく敵をなぎ倒していく映像が映し出される。


 ——アニメ。


 それも頭にドがつく深夜帯にしか放送されていない、選ばれし者だけがリアルタイムで観ることを許された深夜アニメの最終回だった。


 主に母親の影響から、物心がついた頃にはすでにサブカルチャーが日常に溢れていた。そんな弘海にとってアニメは特別なものだった。男たちが派手に戦う熱いバトル作品も、可愛い女の子にドキドキするラブコメディも、切ない感動アニメも、どれもが弘海の胸を強く震わせる。


 現実とは違う空想の世界、しかしそこには彼ら彼女らの現実があった。


「最高だったなあ」


 赤毛の少年が宿敵を倒し、ヒロインと結ばれたエピローグが流れたのを最後にその作品は大団円を迎えた。弘海は感嘆の息を吐く。およそ三か月間、放送を追ってきたぶんその達成感もひとしおである。とうに眠気も消え去り、まだ興奮に胸が高鳴っているかのよう。


「……んん」


 そんなふうに視聴終わりの余韻に浸るアニメ好きの少年が、次に思いつくことと言えば大体決まっている。


「話したいな……誰かと」


 この気持ちを誰かと共有したい。語り合いたい。


 それはアニメオタクと呼ばれる者たちが往々にして駆られる衝動だった。この行き場のない熱情を誰かと分かち合えたならどれほど楽しいことだろう。妄想するが弘海は友達はいてもオタク友達には縁がない。どころか誰かと語り合ったこともない。


「そうだ」


 妙案を思いつき、弘海はにやつく。


 するとそこで夢の光景は急に飛び、翌日の学校の昼休みに移り変わる。


 仲のいい友達たちと席を囲む弘海は、恐る恐る後ろを振りかえる。教室後方、そこにはいつも数人で集まっている男子たちの姿があった。少し陰気な雰囲気が肌に合わずあまり喋ったことはないが、時々アニメの話をしているのを聞いたことがある。彼らならきっと弘海の話を楽しそうに聞いてくれるはずだ。


 そしてあわよくば他のアニメの話もしてみたい。


 弘海は意を決して席を立つ。弁当箱を包んだ巾着袋を片手に、いつものグループから抜け出して後ろの男子たちのもとへ。どうも男子たちは漫画の話で盛り上がっているようで、三人で額を突き合わせながらにやにやと笑い合っている。どうかそのなかに自分も入れてほしい。


 期待を胸に、弘海は声をかけた。


「あの! みんな、昨日のアニメ見た⁉」


 夢はいつも——そこで途切れる。








「……ッ‼」


 飛び起きると弘海は高校生の身体に戻っていた。


 朝陽すら差し込まない早朝。部屋は弘海を嘲笑うかのように暗い。


 呼吸が乱れていて、だらだらと流れる脂汗が肌ににじむ。気持ち悪い。


「くそ」


 あの夢を見てしまうといつも目覚めは最悪だった。


 デジタル時計に表示された時間は午前四時半。登校の時間まではまだ遠すぎる。


 だが弘海は迷わずベッドから起きた。どうせもう寝れやしない。


 部屋を出て洗面所に向かう。


 洗面台で顔を洗い、ふと顔を上げると、鏡に映る自分と目が合った。くせっ毛のある黒髪に線の細い顔立ち。カッコいいよりは可愛いと言われることのほうが多い少年の顔は今は幽霊のように青白く、目元には薄くクマができていた。酷い顔だ。


「…………はぁ」


 あの後のことはよく覚えていない。思い出せないのだ。防衛本能を働かせた脳が記憶のなかに鍵を掛けたかのように、酷く曖昧で靄がかった映像として残っている。


 ただ正確にわかっているのは、一時の気の迷いのせいで全てが大失敗に終わったことと、少年の純粋な想いがすっかり打ち砕かれてしまったということだけだ。


「昔のことだ。もう」


 頬を叩く。ぱす、と乾いた音が響く。


 そう。昔のこと。


 今はもう同じ過ちは繰り返さない。繰り返してはならない。


「好きは、もういらない」


 弘海は己に固く誓うのだった。









 これはそんな——『好き』を伝えることを辞めた少年の物語。


 『好き』を手放した少年の物語だ。




 

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