第2話

 翡翠色の瞳は怒気を帯び、腰ほどまで伸びる緩くウェーブの掛かった金髪は比喩ではなく、うねうねと揺蕩っているのは、怒りのあまり魔力が漏れ出してしまっているのだろう。


 無意識で発する魔力が物理的な現象すら起こしているという事は、相当な魔力の持ち主だという証だ。


 膨大な魔力の発露のせいで威圧感は現実に重圧を感じさせるほどで、せっかくの美人が台無しだなと俺は他人事のような感想を抱きながら、俺の首を絞め落とさんとばかりに力いっぱい襟首を掴みながら、今にもキスできそうなくらいに顔を近づけてメンチを切っている目の前の女をじっと観察する。


「ロック、知り合い?」


 金髪美人の登場で俺から一歩離れていたゲルダが、面白そうな顔で俺に聞いてきた。


「いや……どこかで会ったか? あんたみたいな美人、そうそう忘れる事は無いと思うんだが」


 ストレートに褒めたのに、俺を睨みつける表情に変化はない。おそらく言われ慣れているのだろう。


「……本当に心当たり無いわけ?」


 じっと俺を睨みつけたまま、声音は探るように聞いてきたので、俺は素直に首を縦に振った。


 途端に金髪美人は俺から手を放したと思うと、その手をそのまま己の額に持っていって、痛む頭を押さえるようにしながら天井を仰ぎ見る。


「そのパターンも居るのね。考えてなかったわ」


「何を言ってる?」


 俺の疑問の声にちらっと目線だけ寄越した金髪美人は、大きく嘆息してから、ちょいちょいと指で俺を招く仕草をする。


「耳貸しなさい」


 いくら相手は貴族で俺は平民とは言え、こんな場所で無実の平民を害す事もあるまいと考え、素直にその指示に従う。


 そして、周りをはばかりながら小声で告げられた一言は、俺に少なからぬ驚きを与えた。


「話があるから、ちょっと顔貸しなさい」


 貴族ってよりヤンキーだなと思いながら、俺はゲルダとゴンズに断りを入れ、打ち上げパーティーを抜け出し、女について行く事にした。










 酒場を抜け出した俺は、彼女が乗って来た馬車に有無を言わさず連れ込まれると、部屋までの間は一切の会話も無く、この街で一番の高級宿まで連れて来られた。俺の収入なら利用する事はできるが、宿なんぞ清潔に寝られるならそれ以上を求める主義ではない俺には無縁の高級宿だ。


 お召し物から、そこらの木っ端貴族とは次元が違う金持ちだろうと思っていたが、護衛の武装した男達に対して手振りだけで、下がって自分達を二人きりにしろという命令を伝え、淀みなく彼らが下がったのを見るに、信頼もされていると見える。


 まあ、感情の発露だけで魔力が暴発するような女なら、あの程度の護衛など有って無いようなものだろう。貴族としてのパフォーマンス以上の意味は無いのだろうな、とも俺が推測していると、彼女はソファに向けて首を振った。


「座りなさいよ」


 俺は特に逆らう気も無くソファに座ると、彼女の方はベッドに腰かけた。


「リンドロック・メイスター。ここから二つ隣りのリゼルビント王国のメイスター伯爵家の嫡男。合ってるわよね?」


「もう三年も前に廃嫡されてるからメイスターは名乗れない。今は一介の平民で冒険者、冒険者登録もリンドロックの名前だけだし、普段はロックで通してるから、そのつもりで居てくれると助かるな。あんたは?」


「カレン・ファルネシア。正式にはもっと長いけど」


 全部名乗るのは面倒くさいからそれだけ知っていればいい、と彼女は言う。


「ファルネシア嬢の方がいいか? それともカレンとお呼びしても?」


「カレンでいいわ。で、一応確認するけど――転生者って事でいいのね?」


 酒場で耳打ちされた内容を改めて確認され、俺は頷いた。


「ああ。もしかしてあんたもか?」


「頭は悪くないようね」


 言外の肯定を受け取った時、こんこんとドアをノックする音が聞こえてきたと思ったら、カレンは顎を浮かせて、俺に動けと指示してきたので、人使いの荒い事だと思いながら、男として美人を働かせるのも無粋だろうと、ドアに向かう。


 どうやら、カレンが事前に頼んでいたらしく、宿の従業員がワインとグラスを二つ持って立っていたので、俺はそれを受け取ってから部屋の中へ戻ると、彼女の座るベッドまで歩み、ワインを注いだグラスを手渡してから、自分の分もワインを注ぐ。


「乾杯するか?」


「何によ?」


「キミのような美人と出会えた幸運を祝って」


 と、俺から彼女の持つグラスに合わせてチンと音を立てると、彼女はぐっと何かを呑み込んだような顔をし、俺から顔をそらすようにベッドに片手をついた。


「ぐっ……あなたの顔でされると破壊力半端ないわね」


 ワインを飲む前から頬が赤く染まっているあたり、前世持ちという割には男慣れしていないようだし、どうやら前世もちゃんと女だったのかなと、俺は勝手にワインを飲みながら考える。ゲイという可能性もあるが、取り合えず中身が男というのは何か嫌なので、その可能性は考えないようにしよう。


 俺がソファまで戻って彼女の復活を待っていると、彼女は豊満な胸を押さえながら一つ大きな息をして、ワインを一口含んでから、もう一度深く息を吐き、俺を胡乱な目で見てくる。


「あのリンドロック・メイスターにまともな人格がインストールされるとこうなるってわけね……」


「『あの』ってどういう意味だ?」


「『デストラント・サーガ』って言葉に聞き覚えはある?」


「無い」


 俺が端的に答えると、彼女は大きく息を吐きながら更に応じる。


「でしょうね」


 先程の酒場での焼き直しかのように、彼女は額を手で押さえながら、今度は俯いてみせた。


「前世の日本にはデストラント・サーガってライトノベル発祥でアニメまで展開された物語があって、ここはその世界なの。で、あなたは本来、それに登場する悪役なのよ」


 ふむ。簡単に信じられる話ではないが、転生なんて奇跡にあずかった身としては頭ごなしに否定する気はない。しかしながら、一つ大きな問題がある。


「……こんな顔のいい悪役が居ていいのか?」

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