残酷な世界、優しい世界

目の前で───ルクセリアさんが喰われた。


何の身寄りもない赤の他人の俺を救ってくれた。

身体に異常がないか病院に連れていってくれた。

お腹が空いているだろうと食べ物を渡してくれた。

服が汚れているからと新品の服を買い与えてくれた。


そんなルクセリアさんが俺を庇って、死んだ。


「ぁあぁ、あ、あぁぁぁ・・・うっ、うそ、だ・・・!そんなっ・・・」


頭がないルクセリアさんは死んだことに気付いていないかのように、立ったままフラフラとした後、後ろ向きに倒れる。

その衝撃で、ルクセリアさんの血が頬に掛かった。


『きゃぁぁぁ!!!!』


『人が食われたぞ!!!』


なんで?なんで?なんで?───どうしてこうなった?


困惑と驚きと訳の分からない感情が渦巻いて、うまく呼吸ができない。

周りにいた人達は倒れたルクセリアさんに気付いたようで、悲鳴をあげながら周りを取り囲むように集まってきた。


それが余計に、ルクセリアさんが死んだという事実を俺に突きつけてくる。


ルクセリアさんが倒れた先には、一体の鋭い形状をした鮫のような生き物が、地面に擦り切れ跡をつけながらジタバタと藻掻いていた。


血に濡れた口元は、モゴモゴと硬いナニカを咀嚼しているように見える。


『あれは飛行型の鮫の悪性生物?』


『ひ、酷いわ。頭からなんて・・・ 』


『もしかして死んでるの・・・ルクセリア様じゃないっ!?』


『そんなっ!!?』


『膜があるのに何で!?』


『・・・分からないわ』


周りの事情を知らない女性たちが、冷静に状況を分析している。何も考えられないはずなのに、何故か勝手に耳に入ってくる。


なんでそんなに冷静なんだよ。

幾ら命が軽くても、幾ら残虐で悲惨な光景に慣れていても、人が死んだことになんでそこまで冷静にいられるんだ。


・・・いや、俺が他人のことを言えた口では無い。


ルクセリアさんが喰われたのは、ぼーっと突っ立っていた俺を庇ったせいだ。


「つまりこれは・・・俺の、せい?」


聞きたくないのに、今は何も考えたくないのに。


今考えても無駄なはずのに、自分には何も出来ないはずなのに───そんな自分に腹が立つ。


そして何より。


『 G u u u u 』


俺の目の前でルクセリアさんの頭を咀嚼しているコイツを。


「っ!!お前ぇぇぇぇぇぇッッッッ!!!!」


到底許すことは出来ない。


俺は激情に身を任せながら、駆け出した。手には何も持っていない。丸腰だ。しかし例え武器があったとしても、きっと使わなかっただろう。


それはひとえに、武器じゃなくて俺自身の手でこの鮫を殺したいと思ったからだ。勝てる勝てないなんて関係ない。俺にとって命の恩人である人間を喰ったたコイツに、何がなんでも復讐してやりたかった。


『んなっ!?待て!そこの青年!!』


『ちょ、誰か止めて!』


鮫に向けて走り出した俺に、周りにいた群衆は俺を捕まえようとしてくる。

余計なお世話だ。

そう言いたかった。


俺は別に死んでもいいんだ。どうせ癌で死んでたし、ルクセリアさんに救われなければあの機械生命体に殺られていた。


「う"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ッ!!」」


『 G U G A A a a a !? 』


俺が叫びながら勢いそのまま突貫すると、鮫は驚いたように唸り声をあげながら逃げ出そうとしていた。


なんで、逃げようとしてんだ。

人の恩人喰っといて、今更逃げようなんて都合が良すぎるんだよ。


「おらァァァっ!」


俺に背後を向けて必死に逃げようとしている鮫に向かって蹴り、そのまま振り抜いた。

足に鮫の骨を砕き筋肉を引き裂いた感覚。

蹴りあげた足に激痛が走るが、もはや気にしていられない。


悲鳴をあげる鮫に拳を振り上げて何度も何度も殴打する。何度も何度も。

何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


指がひしゃげて骨が飛び出そうとも、俺は鮫に拳を叩きつけた。


『 a a a ・・・』


「・・・いいかげん、死ねよ」


効いているのか分からなかったが、虫の息になっている鮫の様子を見て安堵する。

そして、拳の形を作れないほど歪んだ指に思わず力が入った。勢いそのまま何度目かの殴打にもどる。


『 a ・・・』


そしてようやく、鮫は沈黙した。

殴り続けたお腹は拳の形に湾曲し、自身の指はもはや今後使えそうにないだろう形をしていた。


激情に駆られながらした行動だというのに、今更ながら後悔する。


「ルクセリア・・・さん・・・」


だってこうして鮫を殴り殺そうが、蹴り殺そうが、どうやったってルクセリアさんは戻らない。顔のないルクセリアさんの体は、もう二度と笑うことは出来ないのだ。


そう自覚した瞬間、湧き出た怒りが也を潜めて、代わりに“虚無感”が俺を支配した。

ルクセリアさんはもう、喋ることはないし笑うこともない。物言わぬ屍として、人間だった頃の記憶も残さないままいなくなるのだろう。


なら俺はもう───。


鮫の顎から血に濡れた牙をへし折って、首に向ける。

しかし・・・そのサメの顎から髪の毛のようなモノがはみ出ていた。


へし折った牙をポケットの中に入れ、鮫の口を開ける。

そこには変わり果てた姿のルクセリアさんがいた。何度も何度も咀嚼していたため、辛うじて原型だけは留めているだけの頭だったモノ。


きっと苦しかっただろう。

即死だったとはいえ、死ぬ間際は痛かったはずだ。


それなのに。


「なんで・・・」


ルクセリアさんの表情は、何処か安堵していた。

まるで俺を庇って助けることが出来て良かったというように、少しの後悔を浮かべない表情だった。


「・・・ばかだ、ばかだよあんた。なんで見ず知らずの俺を庇って・・・なんで、なんでなんだよッ!」


ルクセリアさんの頭を抱えながら、俺は慟哭の雄叫びをあげた。訳が分からないのに、勝手に涙が溢れてやまない。


見ず知らずの主人公を庇って死んだ時は感動したが・・・今じゃないだろ。なんで俺なんかのために命をかけて庇ったんだよ。


そう言いたかった。

もしこの後、「ドッキリ大成功〜!ふっふっふ、どうだい?びっくりしただろ!」なんて笑いながら出てきたら文句を言ってやろうと。

だが・・・ルクセリアさんは、もういない。


『な、何が起きたんだ?一体どうした!』


その時、群衆を掻き分け、見知った声が耳朶を刺激する。


あぁ、最悪だ。

一番会いたくない人物に会ってしまった。


声の主はどんどんと俺の元へ近付き、やがて立ち止まった。


『・・・うそ、だろ?』


目の前の惨状を見て、絶望に打ちひしがれたような声を上げる人物に、俺は思わず自分自身を絞め殺したくなる。


「ライラさん・・・」


騒ぎを聞き付けたのだろう。

額や首に玉のような汗をかきながら、彼女はライラさんの遺骸を目にした。


『ッ、れ、蓮くん!これは一体どういう状況なんだ。まさか、ドッキリなんていう巫山戯た真似ではないだろうね?』


動揺を隠しきれないまま、ライラさんは蹲る俺を目にして問いかけた。その声色は口調に反して、どうかドッキリであってくれという懇願じみた思いを孕んでいた。


俺は───答えようとしても、口を開けなかった。

事情を説明しようとしても、顔が強ばって上手く喋れない。舌が磔にされたように固まってしまう。


「るく、せりあさんが・・・おれを、かば・・・って・・・それで・・・」


『・・・そうか、もういい』


しかし、何とかして伝えようと口を必死に動かしている最中、ライラさんは俺の話を遮るようにして告げた。


もういいと。

それは聞きたくないものに蓋をするように、知りたくないことを知ってしまったように、彼女は一言だけ言ったのだ。


申し訳なさと不甲斐なさに、死にたくなってくる。


「ごめん・・・なさい」


『もういいと、そう言ったはずだ。・・・君が抱えているのはルクセリアの頭だろう?』


「そう、です」


『では・・・私に見せて貰えるか?』


「えっ、で、でも!」


『・・・いいから見せなさい』


そう言って俺からルクセリアさんの頭を取り出したライラさんは、ルクセリアさんの顔と見つめ合うと───ふっ、と笑った。


『馬鹿だな、コイツは。君を助けられて良かったみたいな表情をしたまま死んでいる。全くもって、筋金入りの馬鹿だ』


「ライラさん・・・」


分かっている。

ライラさんはルクセリアさんを決して馬鹿にしている訳じゃない。ここでもし泣き出して悲しめば、きっと俺が悩んだまま、苦しいまま生きていくことになってしまうと思っているから。

だからまるでルクセリアさんが悪いように、俺には一切の責任がないようにわざとそう言ってるんだ。


『あーあ、死んでしまったら何もないだろうに』


ルクセリアさんに庇われて、挙句の果てに一番悲しいはずのライラさんにまで気を使われた。


・・・俺は、無力だ。


『よし、それじゃあ蓮くん、君はとりあえず私の部屋に来るといい。ルクセリアは私が預かっておくから・・・場所は分かるね?』


「・・・はい」


私の部屋というのは、きっとさっき行った白い部屋のことだろう。

俺の帰る家がない、ということをライラさんがいつ知ったのかは分からないが、俺は無力感に苛まれながら肯定した。


『おいおい、そんなに落ち込む必要はないぞ?ルクセリアだって、君を護れて良かったと思っているはずだ。それに、ルクセリアに守ってもらった命なんだ・・・死のうと思っているのなら許さないぞ』


「ッ、はい・・・」


俺の目をじっと見つめながら、そう告げるライラさん。

すると、一部始終を見ていた周りの群衆達に俺を運ぶように命令していた。


誰かが持ってきてくれた簡易式のレスキュー器材の中に入れられながら、俺はライラさんがずっとルクセリアさんの頭を抱きしめていことに気付く。

俺に背を向けて顔をずっと眺めているから、ライラさんの顔を見ることは出来なかった。


しかし誰にも聞こえないような声色でライラさんは、抱きしめていたルクセリアさんの顔を眺め、呟いた。


『・・・デート、行きたかったな』


ライラさんの立っている地面が水滴で濡れている。


なんで聞こえたのかは分からない。泣き声を噛み締めているような声で、特に大きい訳ではなかった。でも、きっと神様という存在がいるのなら。


なんて残酷な神様なんだろうか。


俺は、ルクセリアさんを助けるつもりでいた。アニメの知識があるから、きっと自分でも主人公のようにルクセリアさんを助けられると。

驕っていた、自分に酔っていたかもしれない。


ここは残酷な世界だと言うのに、未だに第三者のような、アニメを見ている感覚で物事を捉えていた。


何が百合だ。

俺自身でその恋を終わらせたくせに。


何が死亡フラグを折るだ。

俺自身で殺したようなものなのに。


身体機能保全施設メディカルセンター』に向けて小さく揺れながら運ばれていくさなかに、俺は自分自身を責めた。

自分を恨み、不甲斐なさを呪い、無力さに狂いそうになった。


だから願ったんだ。


───俺の命なんて捧げてやるから、誰でもいい。力をくれ。


自分に力があればルクセリアさんは生きていたかもしれない。なんなら、なんの傷も負わずにあの鮫を倒せたかもしれない。


腕?足?目?それとも命?

なんだっていい、なんだって捧げてやるから。どうかルクセリアさんを助けられるくらいの力を。


俺は欲した。


そして───その願いが俺自身の命運を変えることになるなんて、俺は思っていなかった。


───

──


「・・・どこだ、ここ?」


数分、あるいは数十分。揺れに乗じた眠りが祟り、いつの間にか眠っていたらしい。

目が覚めると、いつの間にか違う部屋・・・否、空間にいた。


簡易式の運搬装置の中にいたはずなのに周りには何も無く、真っ黒な世界が俺を包む。

しかしその闇に紛れるように、ナニカが近くにいる気配を感じた。


『力がほしい?』


自分の真上からくぐもった女性の声が聞こえる。

聞こえてくる声色は優しいはずなのに、身体が恐怖で震えるようにガタガタなりだす。


しかし身体とは対照的に、聞こえてきた声色はねっとりと俺の精神を侵食する。一度しか聞こえていないはずなのに、エコーが掛かったように何度も聞こえてくるのだ。


そしてもう一度。


『ねぇ、やり直したい?』


蠱惑的な女性の声が、俺の耳に深く焼き付いた。

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