20:不機嫌でご機嫌なケイン


 そうやって、僕はどれくらいの間泣いていたでしょうか。


 泣き過ぎて目が溶けてしまったような気がします。あぁ、なんだか頭がクラクラする。僕が再び目元を擦ろうとした時です。それまで黙って俺を見ていたケインが口を開きました。


「ラティ、お前。最近ちゃんと寝てるか?」

「……うん、ねてるよ」

「嘘吐くなって。目の下にクマが出来てる。最近、まともに寝てないだろ」


 そう言って涙でみっともない顔になっているであろう僕の顔を、ケインの固く、太い親指がなぞります。触り方が強くて、少し痛いです。


「夜はちゃんと寝ろ。倒れるぞ」

「……ううん、勉強しないと。問題に答えられないから」

「何言ってんだよ。勉強してても今日は十五問も間違えたじゃねぇか」

「……う゛」


 痛いところを突かれてしまいました。そう、どんなに必死に勉強しても、僕はやっぱりダメなのです。だって、僕は希代の「落ちこぼれ王太子」なのだそうですから。皆そう言っていますし、僕もそう思います。


「もう、アイツのムチ程度じゃ、俺は痛くも痒くもねぇよ。鍛えてるから」

「でも、ケインは痛そうな悲鳴を上げてる」

「……いや、あれは。そういうんじゃなくて」


 僕の言葉に、ケインはどこか気まずげに目を逸らしました。ほら、やっぱり鍛えてるから痛く無いなんて嘘。だいたい、鞭に打たれて痛くない人なんか居ません。


「ともかく、もう今日は寝ろよ」

「いやだ」

「嫌だって……」


 呆れたようなケインの言葉に、僕は勢いよく首を横に振ります。


「ケイン。明日は……もっと頑張って、全部答えられるようにするから。見てて」

「バカ、もう俺の事は気にしなくていいって言ってんだろ」

「ケインが痛いかどうかなんて僕には関係ない。だって、ケインが鞭に打たれるのを見る“僕”が嫌なんだ。だから、僕は僕の為に勉強をしてるだけ」

「ラティ……」


 僕はフルスタのように立派な事は何も言えません。だって、僕は「名前も知らない国民」の為には頑張れませんから。

 そう、僕は「僕」の為にしか頑張れない。僕は、ケインが鞭に打たれるところを、もう見たくない。僕は、僕の為に勉強をしている……身勝手な王子です。


「ラティって、変な所は凄く頑固だよな」

「そ、そうかな?」

「ああ、昔からそうだった。すぐ泣く癖に、急に大胆になるから面白い」

「そっか!」


 ケインに「面白い」と言って貰えて、僕は急に元気になってきました。


「じゃ、じゃあもっと……あの、大胆な事をするようにするね!」

「っふ、ははっ。何だよソレ。全く、こういう所だなぁ」

「こういう所……」


 一体どういう所でしょう。自分なんて何の面白味もない人間だと思っていたけれど、ケインには僕が面白く見えているようです。ケインを楽しませることが出来ているのだと思うと、僕は僕の事が少しだけ誇らしくなります。よく分かりませんが、今後も、もっとケインが笑ってくれるように「大胆な事」をしていこうと思いました。


「……ところで、ラティ」

「ん?」


 なんだか嬉しくてクスクスと笑っていると、突然目の前にウィップが現れました。


「昨日のウィップに出てくる“サウト”って誰」

「サウト?えっと……誰だったっけ?」

「……昨日のダンスパーティで話したって書いてある。俺は訓練が長引いたせいで行けなかった。なぁ、誰?」


 なんだか急につっけんどんになってしまったケインに僕は「あぁ」と、昨日のダンスパーティの事を思い出しました。


「サウトはヒリスト家の子だよ。他の貴族と違って、なんだかお行儀が良くて……感じの良い子だった」

「へぇ。顔でも好みだったか?」


 顔?ケインは一体サウトを何だと思っているのでしょうか。サウトはただの中流貴族の、何の変哲もない男の子だというのに。


「えっと、顔は……そうだな。僕と同じで凄く凡庸で素朴な子だよ」

「でも、気に入ったんだろ?どんなヤツだったんだ?」


 ケインが矢継ぎ早に尋ねてきます。そんなにサウトの事が気になるのでしょうか。なんだか面白くありません。まだフルスタは分かるけれど、どうしてサウトみたいな何の変哲もない貴族の事を気にするのでしょうか。もしかして、友達になりたいとか?もうこれ以上ケインの意識を誰かに取られるなんて嫌です!


「気に入ったっていうか……ただ、他の貴族の子は、どうにも権力に擦り寄る汚いハイエナみたいな部分が透けて見えて凄くいやらしいんだけど、サウトにはそういう所が無かったから、話しやすかっただけ。それだけの子だよ!」


 そう、僕が必死にサウトの事を「別に面白い子じゃない!」と説明すると、どうやらケインは別の所が気になったようでした。


「ハイエナ……?」

「そう。他の貴族は皆そういう所があって、なんだか凄く気持ち悪いんだ!本人の器に見合わない過分な力を持たされると、あぁなってしまうのだと思う」

「……」


 そうそう、確かそうでした。僕はポロポロと思い出される、昨日のダンスパーティでの様子を思い起こしながらケインに語ります。ケインはと言えば、なんだか変てこな顔で僕を見ていました。


「他の貴族も自らの身持ちを整えなければ。器のない権力への執着は、余りにもみすぼらしく見える。大国スピルの貴族として、もう少し楚々とした丁寧さも身に着けて欲しいよ。でないと、うちが人間の貧しい国だと思われてしまうからね」

「……そ、そうか」

「うん。それに僕が、後にも先にもこの世で一番綺麗だって思うのはケインだけだよ」

「っぐ」


 だって、最初に見た時に、空から落ちて来たお星さまだと思ったくらいですから。あの日の衝撃は未だに忘れません。そうやって、僕が大好きなケインの顔をジッと見ていると、ケインは微かに頬を朱色に染め、スルリと僕から視線を逸らしながら言いました。


「ラティって本当に変わってるよな」

「変わってる……それは、ケインにとってイヤなところ?」


 ケインが嫌なら直さなければ。何をどう直せば良いのか分からないですけど。でも、直します。そう、俺がジッとケインを見ていると、今度は耳まで微かに朱色に染めながら言いました。


「別に……面白くて良いんじゃねぇの」

「っ!そ、そう?僕、面白い?」

「……あぁ、面白いよ」

「ケインが面白いなら良かった!」


 一日に二度もケインに「面白い」と言って貰えたのは初めてかもしれません。後でウィップに「嬉しかった事」と言って追加報告しなければ。僕が「ふふ」と笑っていると、ケインがウィップをソファの脇に置きました。逸らされていたケインの視線が僕の元へと戻ってきます。


 そして、ソッと僕の頬に触れてきます。あ、そろそろ“アレ”の時間みたいです。


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