廃ホテルの怪

馬村 ありん

前編

※これから話す、ある廃ホテルは、A県のX市にある。昭和の初期ごろにオープンし、令和に入って、コロナ禍の最中に廃業した。




 ある夏の夜のことだった。


 帰省した僕は、仲のよい幼馴染の男女四人組と連れ立って飲み屋街に繰り出した。学生や職業人となった僕たちは近況報告をしあい、思い出話に花を咲かせた。


 居酒屋に行って、カラオケにも行って、静かなバーに行って、それから帰途についた。さびれた地方都市だ。町の大通りとはいっても、明かりは乏しく、時折コンビニが強い光を投げかける中をおしゃべりしながら歩いた。


「なんか気持ち悪くない?」


 専門学生をやっている女友達が言った。


 彼女が指さした先にあったのは、一軒の廃ホテルだった。


 十階建てで、あたりの建物に突出して高い。当然のことながら、全ての窓の明かりが消えている。街灯のわずかな光が照らし出す壁面には、汚れや荒廃が目立ち、異様な光景を作り出していた。


「怖っ。なんか出そうだな、ココ」


 男友達が言った。


「どうする? 真っ白い顔が窓に浮かび上がったりしたら」


 僕は言った。


「それなら全ての窓にびっしりと人間の手が張り付くってのはどうだ?」


「もう、やめてよ。私そういうの苦手なんだからね」


 専学生が、男たちの即興の怪談話に血相を変えた。


「ごめんごめん」


「ここ、まさかツブれちゃうとはね」


 男友達が言った。


「もう2、3年前になるかな。経営者が事業継続が難しいというのでやめちゃったんだって」


 地元で郵便局員をしている女友達が言った。


「そりゃあまあ、使う人もいないだろうしな」


「常時 閑古鳥かんこどりがなっている状態だったからね。もとから経営がやばかったみたいなんだけど、コロナ禍がトドメになったみたい」


「こんな田舎で宿泊業は難しいよなあ」


 男友達が言った。


「天皇陛下が宿泊したことだってあったのにね」専学生がため息をついた。「昔はよく家族で十階の展望レストランに行ったんだけど」


「俺は高校のとき、野球部の連中と食べに行ったのが最後だったな。チキンピラフがやけにおいしくて好きだったよ」


「わかる。カラッとした唐揚げがライスの上に盛られてて、それが美味しいのよね」


 郵便局員がほほえんだ。


「一階のロビーが喫茶店になってて、お母さんが元気だった頃、よく行ったなあ。瀟洒しょうしゃな空間がね、とっても好きだった」


 専学生が言った。


 僕はここのスイートルームに宿泊したときのエピソードを語ろうとした。母の叔父、つまり僕の大叔父がここでホテルマンをやっていて、その関係で安く宿泊できたことがあったのだ。


「――えっ?」


 だが、僕の思いは口にされるされることがなかった。


 ふいに高い部屋の窓が開いた。そして、突如暗闇の向こうから髪の長い女が現れ、外に向かって身を投げた。悲鳴が夜空を切り裂いた。


 僕は目をむいた。地上20~30メートルという高さから、重力に沿って人間が落下してきたのだ。


 女の体は二階テラスのビアホール場になっていたところに落ちた。すごい音がした。


「じ、自殺だッ。通報、通報しなきゃ!」


 男友達が声高に言った。けれど言葉に反して、体は動こうとしていない。


「ああッ……ッ!」


 専学生は地面にへたりこんでしくしくと泣いてしまった。


 僕は郵便局員と冷え切った顔を突きあわせ、うなずきあった。その後間もなく、通報を受けたパトカーがやってきた。



「窓が開いて人が落ちたってことだけどね」三十代手前くらいの警察官が言った。「見た感じ、どこの窓も閉め切られているよ」


 そんなはずはない、男友達が言おうとして口をつぐんだ。確かに全ての窓が閉ざされていた。


「あれ……僕らが見たときは開いていて……」


「周囲を調べてきましたが、ドア等に侵入された形跡はありませんでした」


  もう一人の警官が言った。


「二階の死体を見てください。落ちてきたんです」


 専学生が食い下がった。


「隣の建物からテラスを目視してみたけど、怪しいものはなかったよ。人が飛び降りたら当然起こるようなこともね」


「でも見たんですよ」


 それから僕らはいろいろ質問された。悪戯いたずら目的じゃないかと疑われているようだった。関係は? ――近所の幼馴染。酒は? ――飲んでいる。麻薬は? ――やっていない……。やがてそれぞれの両親が駆けつけて、僕らの身元を証明した。


「俺たち幽霊でも見ちゃったのかなあ」


 迎えの車に乗りながら、男友達はぼそぼそと言った。


「絶対見たもん! なんなのよこれ!」


 専学生が声を張り上げた。


「みんな気を確かにね」


 郵便局員がみんなを慰めた。


 ホテルの夢を見たのは、その夜のことだった。

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