雪穂
「角田さん、ほんとに嫁が喋ってくれないんですよ。どうしていいか分からないんですよ。」
正造はある日、僕に言ってきた。
「とりあえず、抱きしめてやれ。」
僕はそう助言した。支社長も社内の皆も、笑いながらそれに乗っかった。
僕もそんな状況に陥った事がないので、それが的確なアドバイスかどうかなんて分からなかった。ただ、正造からの話を聞く限りでは、それくらいしかできる事はないような気がしていた。
4人目の子供が生まれたばかりの時、彼は相談してきた。
どうも、嫁が産後鬱のようだと。
聞けば、その話を僕らが聞いた前日、ヒステリックに騒いで、茶わん食器、その辺りのものが飛び交い、小さな子供は泣きわめき、すぐさま子供達を部屋に押し込んで、正造とその父親とで必死に止める、という修羅場となったようだった。
それから雪穂は、正造ともほぼ言葉を交わさなくなり、ずっと笑わない、喋らない、座り込んで動かない、そんな状況にまで陥っていたようだった。
それから土日に家族会議が開かれ、もろもろと、炙り出されたようだった。
当時、同居していた正造の父親も大きな要因だったようで、小さな事から始まり、気が付けば修復不能、そんな状態に陥っていたようだった。だからこそ、雪穂はなんとしてでも、家を建てて住みたかったようだった。
その翌日、
「角田さん、ありがとうございました!」
と正造が言うのでわけを聞いたら
「いや、千円あげるから抱きしめていい?って言ったら、やっと嫁が笑ってくれたんですよ!それからほんのちょっとですけど喋るようになったんすよ!」
「おお、良かったやん。」
と、何がどう効力があったのかはよく分からないが、少し進展したようで、僕は少し安心したのだった。
それから徐々に、夫婦間は改善されていったようだった。
正造の嫁は、良く出来た嫁だった。
時折聞く正造の嫁の話は、支社長も僕も、また他の社員も、それを羨ましく思っていたのである。
まず、聞いていた事が、給料日の日には正造が帰ると、「今月もお疲れ様でした。」と三つ指立てて玄関で待っている話。そして、正造が嫁を使って営業の練習をしていたという話だった。ただでさえ、4人の子供、まだ上は小学生になりたてだろうか、下は生まれたばかり、そんなに旦那の事なんて考えられる状況でないのに、いつだって正造から聞く嫁の話は、拍手を送りたいものだった。
営業の練習というのは、どうも夫婦間で、何度かロープレをしていたようだったのだ。
「こんにちは!夜野です!」
と正造がドアを開けて言うと、
「は?何その笑顔?キモイっちゃけど。」
という的確な指導があっている事を聞いて、さすが元№1キャバ嬢、やはり接客だとか、人を見る目に長けているんだろうなあと、僕も支社長も、2人して雪穂に脱帽していた。
そのくだりでも、僕らが正造の嫁の話で感嘆の声を上げる度に、また正造は鼻息を荒くし、調子に乗っていくのだった。
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