綱吉
「真理恵からLINEきた?」
いつもの喫煙所で山之内は聞いてきた。僕は静かに首を振った。
「返ってこんから今日はなしですね…」
「しずちゃんとこ行く?」
「いや、今日はもう真っすぐに帰ります。」
「了解、1人で行ってくるわ」
彼が何時頃来るのか、パチンコに行くのか、はたまた仕事帰りなのか、大体の情報は自然と得ていた。しずかの勤めるラウンジは、大体21時に開店する。その彼が歩くルートと、時間帯、僕たちが綱吉から出て次の店に向かうその時間帯が、少しだけ頭をよぎった。
聖地と言うと少し行き過ぎた表現だと思う。
確かに美味しいと有名で、こと刺身に関しては定評があった。カウンターが6席程、後は全て襖で仕切られた小上がりの個室で、雰囲気もいい。高級店ではなく、どちらかと言えばリーズナブルだろう。
真理恵はいつも着ていた茶色っぽいワンピースだった。
「実はここ初めてなんですよ~。」
「そうなん?。」
元キャバ嬢の真理恵はもう少し、色んな居酒屋を知っているかと思っていたが、そうでもなかったようだった。だからこそ「聖地」という呼び方をしていたのかもしれない。
僕がビールを頼むと、真理恵もビールを頼んだ。
「ビール飲むんだったっけ?」
僕がそう聞くと、真理恵は
「男の人ってビール飲むじゃないですか?私も慣れようと思って。」
そう言った。
「いやー、でもすごいですよね、さとし君は。」
「何が?」
「なんかこう、いつだって中心にいるじゃないですかー、会社の時も、こないだ同級生と来た時も。」
「そうだっけ?」
思いも拠らない見られ方をしているもんだ、と思った。こちらへ来る前までは、できない営業員として社内では取り残されてるような感覚すらあった。こちらの社員は若い人間も多く、たまに課長とママレードに連れていっていた。ママレードに連れていった面子からすると、そうかもしれないと思った。
山之内としずかの話はやはり鉄板で、その話がメインであった。お互いまだ探り合っている部分も多く、本心は言ってくれずに、胡麻化されたような会話ではあった。僕が欲しいのは「山之内さんはただ遊ばれているだけです!」とか「しずちゃんは絶対無理です!」という言葉であった。
ただそれは、元キャバ嬢としては、言ってはいけない事だったであろう。
それから真理恵は、元№1の上手ではない褒め方で、半ば客っぽい扱いをしてきた。僕はというと、もろもろ聞きたい事も、怖くて何も聞けなかった。その当時、若い女の子に慣れていなかった部分も大きい。
ただその、真理恵と二人、その空間は、他にはない、それは十分に感じていた。会話云々ではなかった。
お会計の際、財布を出そうとした真理恵に、
「いいよ。」
とは言ったのだが、
「いえいえ、お子様もいらっしゃるでしょうし。」
と一万円札を三つ指立てて机の上に差し出した。
親や祖父母、親戚の「いやいや私が」「いやいや僕が」という無駄な問答をしょっちゅう見てきた僕は、それに発展するのが嫌で素直に受け取った。
綱吉を出て、二人並んで歩く、その横に少しだけ視界に入ってくる、真理恵の背格好が、好きだった。
当時、宣言解除中の開いてる店が少ない中、行きつけとまではいかないが、何度か行ったスナックへ向かった。薄暗い歩道を真理恵と話しながら歩いていたその時、
一瞬、すれ違った。
僕は歩きながら、振り返った。
黒縁メガネの、少しガタイのいい、いわゆるサイコパス。
彼もまたこちらを振り返って、両手をポケットに突っ込み、少し屈むようにして歩きながら、上目遣いで、こちらを睨んでいた。
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