第20話goki哲学20 ~碩学的、思想史的。カント、デリダについて~


職歴学歴マウントはそれなりにこなせないと一人前の男とは認められない。他にも結婚子育て年収マウントなど様々ありますが。わたしの経験則としてマウントにまったく勝てないのも良くないが勝ちすぎても場がシラケるだけというのはあります。大切なのはほどほどに勝ってほどほどに負けることです。


軽蔑も嫉妬もされないことの大切さ。人間の行動や感情には必ず一定の法則性があります。あざといようですがその法則性を他者より上手に読み取る能力もまた哲学者に求められる能力なのです(´・ω・`)


なんでみんなわたしと自分を比べて無駄に苦しむんだろう?伊東乾や左巻健男、堀江貴文と自分を比較して苦しむ人なんていないのに。なぜかわたしは比較の対象にされる(´・ω・`)


わたしはわたしと関わる人間の感情や行動の法則性をいつも観察していますが。多くの人間はわたしと比較したがりライバル視や敵視したがる。そういう持って生まれた「性分」というものをひとつ哲学してみたい。自分だけの精神的傾向ではなく、周囲の人間が自分に似たようなリアクションを取るとき。


そこに法則性が見い出せれば、それは1個の哲学となりうる。そういった自分が周囲の人間に与える「印象」的特徴。「性分」ともいえるが。これを自覚しておくと対人関係において円滑に相手の感情をコントロールすることができる可能性があります(´・ω・`)


もっとも、わたしはそんな器用な人間ではないので、分かっていても相手を怒らせるし泣かせるし笑わせてしまう。人間だもの(´・ω・`)


何もかもを失っていくとき言葉と思考は先鋭さを増す(´・ω・`)


世の中は甘くないかもしれないが、わたしはハッキリ他者に甘い(´・ω・`)


人間が好きだ(´・ω・`)


鬱陶しいほどのお人好しやお節介。そういったものが人類をしばしば窮地から救ってきた。それもまた史実ではあるまいか(´・ω・`)


現代は障害者の人権に寛容でわれわれの時代に比べたら強制入院の要件もずいぶんゆるくなった。その一方でどんな犯罪的行為をしても強制入院を免れるならず者のような障害者も増えてきた印象。わたしの個人的意見としては強制入院制度は必要だとおもう(´・ω・`)


他方で患者側だけでなく医療側の問題もある。一時話題になった一度強制入院になったら生きては出てこれない「死の病院」滝山病院のような例はゴマンとあって。結局入院の判断をくだす医療従事者の側がおかしな政治的意図など持たないよう第三者がしっかり監督する必要があるのだ(´・ω・`)


わたしが原病院に6年間強制入院させられていた際痛感したのがまさにこの点で。当時の第三者機関というのは群馬県知事、警察、弁護士くらいしかいなかったのだが、揃いも揃って精神病院には一切口出しできない仕組みであった(´・ω・`)


養老孟司先生も言及している通り東大でも本物の天才は周囲の政治的意図により精神病院に強制入院されられて薬漬けにされて精神を崩壊させられる例がよくあるという。わたしも退院の代償として強い薬の服用を強要されもはや断薬するのは困難な身体にさせられてしまった(´・ω・`)。


これも養老孟司先生の見解だが、病気だから薬を飲むのではなく薬を飲むから病気になるのだ。その薬は本当に必要なのか?医療の独断ではなく患者本人の意向も十分に尊重すべきだと思う(´・ω・`)


やはり医療従事者の責任は重大だ。患者の人生、生殺与奪の権利まですべて握っているということを十分に理解すべきだ。徳のない人間、善良で利他な心を持たない人間はどれだけペーパーテストで良い点数が取れても医者などやらせるべきではない(´・ω・`)


ただ仁義のある医者ほどダメな患者に無用な情けをかけてしまうという矛盾がある。ダメな医者ほどビジネスライクで患者に情け容赦がない。強制入院の線引きというのはマニュアルで決める類いのものではない。その強制入院が本当に患者や社会のためになるのか。医療従事者の総合的な人間力が試される。


狙いがあっても世の中そう狙い通りには事は進まない。相手あっての話ですし状況も刻々と変化する。ただ、仕掛けないと何も始まらない。待ってるだけ傍観してるだけというのは、まあ状況にもよりますが、基本的には良くない。まずは仕掛けて、その後の変化を見ながら柔軟に自分も対応していくのがいい。


ところでわたしの江戸川区のグループホームはゴキちゃんがやたらよく出没するんですよね。まあわたしの部屋が汚いというのもありますが、近所にゴキちゃんの巣のようなものがあると世話人さんがゆっていました(´・ω・`)


わたしが精神病患者だから文学賞を受賞させないのだ、という趣旨のことを編集者らしき人間に言われた。常識で考えろ、とも。これは明確な障害者差別であり、また多様性社会という時代の新しい常識とも相容れない危険な思想だ。彼らには猛省を促すとともに包摂的社会の到来を期待している(´・ω・`)


そもそもがフェミニズムやLGBT、障害者といった「差異」を持った人種を包摂していくというのがダイバーシティの基本的理念であり、それは1990年代のデリダの「差異の哲学」「豊かさの哲学」が出発点である。仮にも文学の世界で生きようと志向するのであれば最低限現代哲学の潮流ぐらい理解するべきだ。


デリダを読んで気づくことは現代哲学というのは、わたしの「LGBTの研究」などと非常に親和性が高いということだ。キャッチーでタイムリーな話題であり、一方で深遠な哲学的背景を持った文理融合性であることに気がつく(´・ω・`)


デリダの「差異の哲学」が21世紀の多様性社会、包摂的社会、多文化共生社会の思想的源流であるというのは哲学者の千葉雅也さんの発見だ。われわれはその示唆から敷衍して現代の諸問題を哲学的、碩学的に読み解く必要がある。大切なのは歴史的思想史的背景を意識することではないか(´・ω・`)


21世紀の哲学。インクルーシブ(包摂社会)、ダイバーシティ(多様性社会)、マルチカルチュラリズム(多文化共生社会)といった思想はほとんどがフランスの哲学者ジャック・デリダが起源である。このように思想が先にきて数十年遅れて現実の世界を動かす原動力になるというのは歴史的によくあること。


18世紀のドイツの哲学者カントは「永遠平和」など数多くの「大きな物語」を提唱しドイツ観念論やマルクス主義などの思想に大きな影響を与えた。やがてそれはナチスの全体主義や日本軍部の五族協和八紘一宇といった理念的世界平和、実態は世界征服へと形を変え凄惨な2度の世界大戦の呼び水となった。


こうした思想史から人類の未来を俯瞰していくと、今は良い影響を与えているように見えるデリダのフランス現代哲学もやがて形を変えて悪い方向へと変容していくことが予想される。歴史は韻を踏む。それは人間の感情や行動に一定の法則性があるからで決して偶然ではない(´・ω・`)。


わたしの目が黒いうちは第三次世界大戦など絶対に許さないが、100年後の世界がどうなっているかまでは分からない。われわれが後世の人類に遺してやれるのは先人たちが積み上げてきた叡智と社会、文化、地球環境といったものをできるだけ良い状態で相続させることであろう(´・ω・`)


思想史的に18世紀から20世紀半ばまでの250年間カントとドイツ観念論は世界人類に大きな影響力を持った。歴史は韻を踏むならば、20世紀から22世紀くらいまでデリダのフランス現代哲学が世界を席巻するであろうと予想している。哲学は前提知識が多く数百年スパンの文脈で読むもの(´・ω・`)。


であるならば前提知識などうっすらとしか持っていないこのパチモノ哲学者が思想史を語るのは滑稽かもしれないが。本当に現代、この30年くらいは人類の未曾有の大繁栄期であり世界中の専門知がこぞって叡智を持ち寄っている。わたしは「碩学」として全体を広く浅く把握することに努めたい(´・ω・`)


わたしはお金など持っていないしこれからも大して稼ぐつもりもない。能力主義社会(メリトクラシー)などというがお金や権力を持つことが有能な人間のすることならば、わたしは無能な敗者であると言えよう。マイケル・サンデルは現代を能力至上主義というがわたしには単なる拝金主義に映る(´・ω・`)


十分な富と権力を手に入れた拝金主義者は今度はお金では買えないものをほしがるようになる。知能、体力、感性、若さ、正当性、ヘテロなど。これが現代の分断と対立の時代の正体であるが一見解決策などないように見える。わたしは世界をみなが面白くて仕方ない仕組みに変えてしまえば良いのだと考える。


坂本竜馬、ジョン・レノン、シェークスピア。あるいはブッダ、キリスト、ムハンマドのようなまったく新しいムーブメントを巻き起こす天才の出現。利他であり、お人好し、人たらし、そして誰も真似できない大きな物語を紡ぐ必要がある。幸いというか大谷翔平君をはじめ有望な若い天才が出てきている。

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